人は苦しみの中で、その人の地金が見える時があります。
どんなに美しく着飾っていても、その人の心が憎しみで満ちているなら美しくはない。
その人の真実が試されるのは、順風満帆の時でもなく、愛の中にいる時でもない。
地獄のような孤独で苦しい中で、どう自分を振る舞うかで、その人の真なる姿が見えてくるもの…
心が真に問われるのは孤独に置かれた時です。孤独で苦しい時に、その人に地金(真の姿)が見える時があります。
人は地獄のような苦しみの時期でとる行ないや言動に、自分のまことの姿を垣間見ることがあります。
ドイツの捕虜収容所で、自分が骨と皮になっても人に食べ物を与える人がいました。一方で、相手が弱りきるのを待って相手から配給の食べ物を奪い取ろうと誰かの死を願う人もいるのです。
自分に利益を与えない人を愛する。これは一番難しい。それができないのなら、憎しみから離れることです。一番醜いのは愛情を憎しみに変えて相手を傷つけてやろうとする心…
「愛がない!」と他人を裁きながら、自分自身が一番愛がない批判を繰り返していることに気づかない人たちがいます。
人は人生の中で、すすんで独りになる必要があると、インディアン(ネイティブ・アメリカン)は教える。
人生の中で独りになることは自分と世界を、内側や外側から角度を変えて眺める練習になるのだと言います。
だから、彼らはある年齢を過ぎると意識して、独りになる時間を作りヴィジョン(自分の真なる姿)を求める。
シャカ族の王子として生まれた釈迦のシッダールタも、モーゼも、ヨセフの息子イエスも、ある時期には、孤独を乗り越え、その中で学びました。
アメリカにいた時、アリゾナからネバダに向かう道で夜中に車を止めて独りで、朝まで夜空を眺めていたことがあります。
星も大地も、とても優しかった記憶があります。
孤独の奥に、自分の内と外の世界がつながっていると感じることができました。そう、自分は決して孤独ではないと…
自分の中の深いところに、自分を存在させる何かを感じることができたような気がしたのです。
石も、大地も、寄りかかる木でさえも、その時に眺めている夜空の星でさえ同じ存在なのだと…すべては同じ原子からできています。
「ミタクエ・オヤシン」インディアンのお祈りの言葉。それは「我われは、すべてとつながっている」英語ではオール・マイ・リレーションズ(All My Relations)というシンプルな三つの英単語になる。
インディアンは語ります…完全なものなど何もない、あるのは完全に向かおうとする意志だけが、すべての中に存在すると…
《インディアンの言葉》
自然の中に見えない人がたくさん隠れている。川の流れにも、竜巻の中にも、雷の中にも、空の彼方の青い大気にも、落ち葉の中にも、虹の中にも、
どこにでも見えない人がいる。
孤独の時には、怒りがわいてくる。でも、その怒りに心を支配させてはならない…
すべてをリスペクト(尊敬)しなさい。リスペクトは、誰かを妨害しないこと、リスペクトは、対立させないこと、リスペクトは非難しないこと…そして、あざけらないこと…そして、そんなリスペクトできない自分をコントロールできる方法を学びなさい。
孤独な時は、自然の中にいる見えない人に話しかけなさい。
自然の中にいる見えない人と友達になりなさい。
憎しみで満ちた仲間と一緒にいるよりも、はるかに心にも体に癒しになる。
そうすれば、自然の中にいる見えない仲間があなたを守ってくれるだろう。
インディアンの言葉は北山耕平(For Your Heart and Soul 自然の中の友達を作ろう)より