通信機器の発達は、人と人との距離を近くしました。でも、僕には通信革命は、心が遠ざかる何かが隠されているような気がしてならないのです。
携帯電話の無かった頃の待ち合わせは「どうしていたのだろう?」と過去を思い出しても、すでに想像できないくらい通信手段の発達は私たちの生活に浸透しています。
現代は、突然の雨による待ち合わせ場所の変更や、渋滞などで遅れてしまうこともスグに携帯電話で連絡ができてしまいます。
昔はひたすら待つしかなかった。偶然と、その人を想う思いが試されていたように思います。
だから、出会えた時は当たり前ではなく感動に似た思いがあったのかもしれません。
携帯のメールをやり始めて感じること。思い立った時に何気ない思いを書いて送信を送れる人と、相手に強い思いを伝えたい時にしかメールを作成するのは逆に失礼だと思っている人がいます。
もうかりますか?ぼちぼちですわ…
どちらまで?チョッとそこまで…
このように深い気持ちがなくても、とりあえず相手に合わせて反応するようなことをステレオタイプ的会話と呼びます。
僕も伝えたいことがないのに、相手に合わせて、ステレオタイプ的に返すのは失礼だと思っている旧人類に分類されます…
だから、相手から返信がなくてもさして気にならない(インディアン的なのかも⁈)。
こちらが思っている時に、相手が何か同じことを思っているはずもなく、だから、返信がなくても気にならない。もちろん、何かを問い合わせたのに返信がないと困りますけど…
自分の思いをツラツラと書いて送ったことに、相手がいつも反応してくれなければならないと思うことは母子一体感(子供がいつもお母さんは僕と同じように思って欲しいと感じる心理=幼児性)だと思うからです…
もちろん、恋人同士がいつ、いかなる時にも自分のことを思って欲しいという思いは理解しています。
ただ、この思いのズレで別れるカップルも多いのも現状です。
現代は、この思いのズレの中にトラブルが生じています。
返信の早さが思いの強さだと思っている人と、思いのほうが大切だから時間よりも、気持ちが熟成され、何かを伝えたい心があふれ出してメールを送ろうと考える人とは両者に「思いのズレ」が生じます。
一日のズレで別れたカップルが多いのです。時間は思いによって長くもなり、短くもなります。
返信のない一日を永く感じて誠意ないと悲しくなる人と、たった一日くらいで⁈ と感じる人もいるのです。もちろん、仕事のハードさと、時間をゆっくり過ごしている差もあるでしょう。
現代の多くはメールはスグに返すものと思っている人々のほうがずーっと多いのです。
ですから、心が疲れている人に、僕はカウンセラーとして、電話やメールはすすめません。(もちろん、書類のやり取りや業務上緊急が生じている場合は別です)
ただ「元気なの?」という電話での問いかけは、相手にもそれにスグに応えないといけないという圧力を与えます…
また、ウツの人は人一倍気を使うので「ムリをして、スグに出社できると思います…」と応えて、電話を切って、より今スグに出社できそうにない自分を省りみて、より落ち込みウツ的な気分が進行することが多くなるからです。
だから、手紙はお奨めです。手紙は相手が読みたい時に見ればいいのです。
そのぶん相手に優しいのです。
それにメールと違って筆を取ると一字一字想いを入れて書きますから、ムダな言葉のぜい肉が削ぎとられ深い思いが伝わります。なぜなら、字は寝そべっては書けないからです。
僕も、時より忘れていた頃に突然に舞い込む、友人の絵葉書に優しさを感じます…何より友人が旅人だから、返信を期待してはいないことを、僕も心から感じるからなのでしょう…
相談で、会社に出社していない友達にメールを送っても返信がないし、メールアドレスを変えてしまったかもしれませんとのこと。
僕はメールを変えたのは貴女がキライだからではなく、永くいい関係を続けたいから受け応えが今は上手くできないの…
だから、今は静かに待っていて…のメッセージかもしれないと…
あなたが本当に友達ならば、求めない絵葉書を書こう。
私は今日こんなドジをしました…という日常を…
そして、〆の言葉はいつも、あなたが大好きです。あなたが、この世界に生きていてくれることが嬉しいと…
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優しい手紙…
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