お盆になっても、暑さはうなぎ上りです。
ついに高知の四万十川では、40度の大台を超えて、記録更新です。異常気象は世界中で報告されています。
夏があるから秋にホッとするのです。冬があるから春に開放感を覚えます。貧しさを知らなければ、恵まれた喜びも感じません。悲しみを越えてこそ、幸せを感じるのです。
彼らは言います。自然を愛することは、晴れの日も、雨の日も、嵐の日も愛することだと。子どもを愛するのも、勉強ができる子どもも、できない子どもも、静かな子ども、やんちゃで手のかかる子どもも、同等に愛することが「子ども、その者を愛している」と言えるのだと…
「晴れの日しか愛せない」「勉強できる子どもしか愛せない」のは、自然を愛することも、子どもを愛することも、できない人々だと。
話はそれましたが、この暑い夏も愛さないといけません。
「暑い~」「セミがうるさい~」とか、文句を言わないで、この毎年来る夏の暑さも、時雨のようなセミの声も、楽しまなければなりません。
有名なインディアンの族長シアトル酋長は言いました。
水面を駆け抜ける 風の音や
雨が洗い清めた 空の匂い
ヨタカの さびしげな鳴き声や
夜の池のほとりのカエルのおしゃべりを 聞くことができなかったら
人生にはいったい どんな意味があるというのだろう。
獣たちが いなかったら 深い魂のさみしさから 人間も死んでしまうだろう。
大地がわたしたちに属しているのではない。私たちが 大地に属しているのだ。あらゆるものがつながっている。
わたしたちが この命の織り物を織ったのではない。
わたしたち人間も
その中の 一本の糸に過ぎないのだ…
生まれたばかりの赤ちゃんが母親の胸の鼓動を したうように
わたしたちは この大地をしたっている。
どうか、白い人たちよ わたしたちが 大切にしたように
この大地を 大切にしてほしい。
美しい大地の思い出を
受け取ったままの姿で 心に 刻みつけておいてほしい。
そして あなたの子どもの
そのまた 子どもたちのために
この大地を守りつづけ
わたしたちが愛したように
愛してほしい。
いつまでも どうか いつまでも…
「父は空 母は大地」インディアンからの手紙より抜粋
このガヤガヤした日常のサウンドも、汗をカキカキ過ごす今日も、やっぱり夏に生きていることを楽しまなくてはなりません。
千の蝉が 千の鈴を鳴らしていた
燃え盛る 夏の緑の炎にあぶれながら
眩暈するほど うちひしがれたんだ
命のうねりは 耳底までも染みてゆくから
夏に捨てられるまで
季節の端に しがみついたおまえ
なんて潔い執着!
蝉の一生ほど わたしは生きられない
蝉の一生ほど わたしは覚悟出来ていない
夏の底深く 焦げた羽をふるわせて
千の蝉が 千の壁に突き当たった
理想でもない 夢でもない
このアスファルトの隅なんだ
森に捨てられるまで
都会ほどには高く飛べないんだよ
これほど 潔い抵抗!
蝉の一生ほど わたしは生きられない
蝉の一生ほど わたしは覚悟出来ていない
セミは白い腹を 天にさらして
たった今に満足し たった今を終えていった
ああ ちっぽけで偉大な蝉たち!
蝉の覚悟ほどは 蝉の一生ほどは
まっすぐに 鳴くことも出来やしないが
僕たちは「今日で最後」と思って、人と自然と出逢っているのでしょうか? セミの覚悟よりもシッカリと…
せみ ありま たかし
じぶん じぶん じぶん
じぶん じぶん じぶん
じぶん じぶん じぶん
じぶん じぶん じぶん
じかーん じかーん じかーん
じかーん じかーん じかーん
じかーん じかーん じかーん
じかーん じかーん じかーん
じゆう じゆう じゆう
じゆう じゆう じゆう
じゆう じゆう じゆう
じゆう じゆう じゆう
確かに、君たちセミは「今ここ」を謳歌しているね。ゲシュタルト療法の達人。それがセミ ‼
生きている意味も、時間の価値も、自由の素晴らしさも、僕ら以上に知っているかも知れないね。
彼らの応援歌に耳を傾ける盆休み…
けっしん 工藤直子
あけがた せみが しずしず あらわれ
「おまちどおさま」と殻を脱ぎはじめた
眠さもわすれ 見つめると
「この殻はなあ 生まれ変わるための『じかん』の家さ」
よいしょっと羽を抜き出し せみ
私をみて
「あんたも生まれ変わりたいのかい?」
・・・どきっ・・・
殻をかぶっているのを見破られたか
しかし どうやったら?
「決心するんだよ いっしょうけんめい」
ひとりで行かなくちゃならない道があるんだ
いま歌わなきゃ いつ歌う?
歌いきったら死にます と 飛び立ったせみを
空は しっかり抱きよせ
見えないところで涙をながした
やっぱり、僕は「沈黙の夏」より、にぎやかな夏が、僕は好いかなぁ。
そう、七世代先の彼らにもガヤガヤした人生を!