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Channel: 日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき
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あなたの意識が、今の現実を創っている

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 許すと言う事・・・カウンセリングの世界では、受け入れること、受容することの大切さを伝えています。

 過度の緊張なり神経症を治すセラピーとして、有名な森田療法でも「あるがまま」と呼びます。


 川は、上から下へと流れてゆきます。それが自然です。


 人前で緊張するのも、なれていなければあたりまえ。それが自然です。その自然に反して、緊張すべきでない、リラックスしなければと思えば思うほど、実際に緊張している状態、つまり声のふるえ、手・足の震えに心が集中するので、余計にあがりや緊張が強くなります。


 眠れない人も、眠れない状態で眠ろうとします。それが、よけいに興奮を呼び覚まして、眠れなくしてしまいます。


 飛べない動物なのに、どうして自分は飛べないのだと考えると、自分がさらに嫌いになります。飛べないものは飛べない。ならば、飛行機に乗っても、気球に乗っても飛べばいいのです。


 親から愛されないといけない、愛されるのが普通であると思うから、愛されなかった出来事だけが恨みになって執着する。

 そして、誰かに「それがあるから、人をうまく愛せない」「インナーチャイルドが、癒やされていない」と言われると「そうなんだ!!」と確信して、愛が足らない、自分には何かが欠落していると思い込んでしまう。


 親から愛されなくても、幸せになっている人びとのグループは、その人たちにとっては、特別な集団になってしまう。僕も両親の離婚や義理の母の自殺があっても、何か性格的に問題があるかと言われれば…多いに問題があるけれども…(笑)

 それは、自分の行動の結果であって、すべてが親との関係にしてしまうには、それはあまりにも親に甘えているし、責任転嫁だと思うのです。


 僕の周囲の「ステキだなぁ」と感じる人たちは、それぞれの過去にトラブルを抱えている人も多いけど、それを「これ見よがし」に深刻に語ることもなく、知り合って、何かのはずみで、その事実を知ったくらいの結果でしかない。でも、相談に来られる多くの人や「トラウマだぁ」と深刻に暗くなっている人は、そのことばかりに、こだわっている人が多く、そこから動けない人が多い。


 完全な愛とはなんなのか?


 人間という動物は、ジャングルに赤ちゃんでほうり出されると3日くらいで死を向かえます。

 でも、大人になれた現実を考えるなら、誰かに保護され、養育されてきたのも事実です。その「ある部分」を意識するのか「ない部分」を意識するのかは、それはすでに自分次第だと思うのです。そんなふうに前向きになれない自分まで、過去の生い立ちや親との関係、トラウマ(心的外傷体験)に責任を押しつけるのは、その姿勢こそが自分を変えられないのだと思ってしまいます。


 完全な愛や、完全な職場、完全な家族を探して、今ある幸せを探さない人が多いような気がします。


 こんな人たちを、僕は「探せない見つけ物探しの旅に出た人(永遠の旅人)」と呼んでいます。


その人たちの口ぐせは「何かが足らない」「幸せはどこかにあるはず」「今の自分ではいけない」「あの人、あの環境が悪い」「あの過去だけは許せない」


 だから、幸せの扉が見えなくなっているようなのです。










収穫の時…

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 博多の修了式がクリスマス前に終わって、メンタルも土曜日の東京校の講座を最後に休みに入ります。

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 今年の後半は、名古屋、大阪と毎月ごとに修了式があり、スタッフは嵐のような忙しさだったでしょうが、反面、それぞれの地域の修了式で感動も味わいました。 本当にスタッフのみんな、ご苦労様でした。

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 修了式では、参加者の多くが、大人になって、自分で決めて勉強する⁈ いや、楽しむことの面白さ、週一の心のカラクリの発見と変化、講座が面白いほど、日常とリンクして、生活が、心ひとつで魔法のように様変わりする様子をそれぞれに報告してくれました。

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 ある女性は、兄と比較され、母親に気をつかいながら、幼い頃を過ごしてきたと言った。いつしか「自分が何を言っても聞いてもらえない」といった思いから、自分を素直に出しても無駄だから…といった思いに取りつかれた。でも、メンタルを受ける中で、母親も最初からそうだったのではないと思えるようになっていったそうです。彼女いわく、母は夫の両親との同居で7人家族。その夫である父親は単身赴任をくりかえし、ほとんど家にいない。長男の嫁として義理の父の介護などのストレスがたまっていたこともあったのだと…その母も16年前に脳卒中で倒れ、入退院のくり返し、後遺症と闘いながらの生活だそうです。

 メンタルの教室で、練習で母に「感謝のアイ・メッセージ」は作ったものの、言えるかなぁと思ったり、それでも、いつか「母との確執を乗越える」のが私の課題なのだなぁと感じていた。

 でも、何度か母の病室に行って「アイ・メッセージ」伝えようと思っても、話しているうちに、いつもの母のイヤな一面が感じられて、その一歩を踏みだすことが出来ない日々が続いた。そんなことを博多校のスタッフの池田さんに話すと「実は、私もそうだったです。でも、いつか“コレだ”ってチャンスはきますよ! 」と言われても「そんなチャンスは来るのだろうか」と半信半疑だったそうです。

 でも「そのチャンスは突然におとずれたのです」とふりかえって話してくれました。

 母の誕生日に今まではパジャマやタオル、流行りの美味しいスィーツなどを、贈っていたのですが、でも、昨年の入院からは、母は口から食べることができなくなって、母にとって「食べる」という唯一の楽しみが失なわれました。今年は、母の日の当日まで考え続け、とうとう夕方になって、思いつかないなら、時間をかけて母がよいものを探そうとあきらめかけた時「これがチャンスかもしれない!今からなら面会時間に間に合う」と、100円SHOPで便せんを買い、高速道路で病院に向かいました。すると、伝えたいことが、後から後から、あふれ出し、病院のロビーのソファーで母への感謝のアイ・メッセージを下書きなしで書いたのです。面会時間ギリギリに病室に入り、ふと見ると兄から贈られたであろう黄色のカーネションが、すでに病室にありました。「お母さん母のプレゼント持ってきたよ。今までプレゼントを贈ってきて、ネタがつきたけん今回は手紙書いてきたよ」そして、目の不自由な母に代わり、自分で読みました。初めての母への手紙…逃げ出したい気持ち…。

 最初はこんなに恥ずかしく、照れくさい思いをするくらいなら、一万円でも、二万円でもお金を出してプレゼントを買って贈ったほうが、よっぽど気が楽だと思いましたが、読んでいるうちに、母に対して本当に心からの感謝の気持ちが、胸にこみ上げて涙が自然にあふれてきました。すると、先客のお見舞いで疲れ、目をつぶって聞いていた母が「ありがとう……一番嬉しいプレゼントや!」と喜んでくれました。その母の言葉で、その受講生は「今までのツライ出来事が清流に流されたようで気持ちがフッと楽になりました」と優しい笑顔で話してくれました。

 はじめは目的意識もなく、ただ何と無く通い始めたメンタルの講座でしたが、本当に大きな収穫を得ることが出来ました…この帰りに車の中で思ったことは、このプレゼントは母のための手紙ではなく、自分のための手紙だったことに気づかされて、更に感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

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 僕もそのお話をきいて、彼女にこう語りました。カウンセリングをやっていると、亡くなった人の遺族の話を聴くことがあります。多くの遺族は後悔をしている。

 「もっと、やってあげることはなかったか?」「もっと、治療の選択肢はなかったか?」と、でも、僕はいつか人は逝く者だと思っています。その時に残された者として、後悔や反省は、完全になくならないのかもしれない。でも、ほんの小さな「今、やれること」が、残された後に、自分自身が救われて癒される思い出になる。だから、まさに情けは人の為ならずと言いますが、まさに、人にやれる情けは、自分のためなのですね…と話し合いました。

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 また、ある男性の受講生は、アイ・メッセージで、父のことより、母について考えるようになりました。母は子どもの時から卓球が命の人で、高校も、就職も卓球で入ったくらいの女性でした。

 母にとってエライ人は、政治家でも、経営者でもなく「愛ちゃんであり、かすみちゃん(石川佳純:愛ちゃん二世と呼ばれています)」なのです。70歳の今でも卓球を続けています。その母が三年前に父方の両親を見ていた長男が急死して、二男である父が99歳の祖父と、92歳の祖母の面倒を見ることになりました。

 幸いに近くの 病院に入ることができたのですが、それからという二年間は、祖父母の面倒をみたのは父ではなく、卓球が命の母でした。毎日、病院に行き、洗濯物をひきとり、話し相手になり、一日も欠かさず顔を出したのです。しかも、母は義務感でやっている感じがなく、親戚に礼を言われても「病院が全部やってくれとうけん、私はなんもやっとらんとよ」と笑っていました。

 それが、祖父母がなくなり、遺産がうちの父が少し多めに取ればいいとなった時、他の兄弟から弁護士を通じて、異議申し立ての手紙が送られて来ました。僕が一番許せなかったのは、母が祖父母の面倒をしっかりみていなかったと誹謗することも書かれていたこと。

 ほとんど顔も病院に数度しか来なかった親戚の中で、自分の楽しみの卓球の時間をけずって、一日も欠かさず通いつめた母のことを考え、僕は「こっちも弁護士を立てて戦うばい!一銭たりとも遺産は渡さん!」と声を張り上げると、その声を聴きつけ、隣の部屋から母がおもむろにやって来て僕に言ったのです。

 「あんた、なんごと大きな声ばだしようと⁈ 面倒は病院が看て、私はなんもしてないのは本当やない。私は卓球が出来れば幸せやけん、何言われてもいいと。私は何もしてないのは本当やない。私は卓球が出来れば幸せやけん、何言われてもいいと、それより、遺産、遺産言いよったらあんた病気するばい。そういう人を、お母さんは何人も知っとうちゃけんね!遺産が欲しいって言いようなら、他の人にやったらいいやないね!」

 僕だけが頭に血が上り、とうの母に「卓球さえ出来ればそれでいい」と言われてしまうと、腹を立てていた自分がなんだか滑稽に感じました。そして、そのあと父と話し合い、遺産は兄弟で分け合うことにして、弁護士も立てずにすみました。もし、あの時に母の言葉が無かったら遺産は少し多く手に入れたかもしれませんが、大切な血のつながった、親戚との人間関係が完全になくなってしまっていたことでしょうと語ってくれました。

 後編の講座で、衛藤先生が話してくれた、タルムードの聖典の中に書かれていた話が、母そのものだったのです。

「この世界に、神様はガッカリして亡ぼしたいと思っている。でも、神様がこの世界を滅ぼさないでいるには理由がある。それは、まだ生きている『聖なる人びと』が住んでいるからだと…。そして、その聖なる人びとは、政治家でもなく、有名人でもなく、テレビに出ているキラキラした人でもなく、人しれず、自分の世界を楽しみ、天上から、いただいた、この瞬間の出来事を感謝している人々…
 その人々は、苦しみや、悲しみ、そして、わずかにある少しの楽しみを、しっかり味わって、感謝している人々…そんな人々が、この世界に住んでいるからこそ、神様は、この世界を亡ぼすことが出来ないでいるのだ」と言う話を聞いて、母を思い出しました。「誰にも認められるわけでもないのに、何十年も卓球をやって、帰っては家事をこなす母親の日常こそが崇高であったのだと思った」と彼は語ってくれました。

 メンタルの後編で、幸せの本質の勉強するまでは「人より優れたい、いい車に乗りたい、有名になりたい」とばかり思っていて、母のような生き方や日常を、正直に言うと退屈な人びとと、感じていました。そのこり固まった自分の固定観念をハンマーで「ガツン」と殴られた気になったと…

 そして、彼はご両親にこう伝えたそうです。

 「お父さん、お母さんこれまで、何不自由なく育ててくれてありがとう。 これまでに、一度たりとも2人以外の子供になりたいと思ったことはないし、離れてひとりでいても、いつも誰かがそばにいてくれるような暖かい気持ちで過ごせたのも2人のおかげです。 だから、もし2人がこの世からいなくなったとしても、誰よりも愛された思い出があるので、寂しくありません。 そしてもし、生まれ変わることがあるとすれば、また2人の子供として産まれてきます」

 そして、音楽療法のワークで思い出したのが、家の裏の旧国鉄の操車場の跡地で、母親と二人だけで遊んでいる場面でした。
 広い広い赤土の空き地に、土管が3つだけあり、その土管に上って遊んでいる自分の姿を母親が、ただ微笑んで見ている場面だったのです。家族で行った、遊園地やレストランの楽しい思い出もある中で、何もない場所で母親と二人で遊んでいた瞬間が一番幸せだったと思い出したと…。そして、彼は、何気ない日常、海外やテーマパークで思い出をつくるよりも、好きな人がいて、その人が微笑んでくれることが一番の幸せであるとも、伝えてくれました。

 そして、彼は奥様に「何で俺を選んだ?」と聞いたそうです。すると、奥様からステキなアメ・メッセージもいただいたそうです。

 「あなたはいつも前向きで太陽みたいなの、少し暑い時もあるけど、女性はひまわりだから、あなたが雲に隠れると枯れてしまうわ」と言われたと…
 
 ステキな奥様です。

 こんなフィードバックを頂くと、僕はカウンセラーになったことに感謝する瞬間です。幸せは、本当に突然に降り注ぎます。

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 また、ある女性はこう話してくれました。私はメンタルの体験に行った時、先生が話された事例が、すべて私のことだったのです。

 その頃は私は長男の事で悩んでいました。学校で離席が目立ち、友だちとのトラブルも増え、思ったことを言えない彼は、自分の中でイライラし、そのたまった感情が、何かのきっかけで爆発をする。顔つきまで変わってきた長男に戸惑っていました。
 メンタルの体験の日も「学校に行かない」という子供と「行く、行かない」を言い合った時でした。

 あの子の心からの叫びを聴くこともなく、私はいつも子供たちに「あーしなさい、こーしなさい」と、押しつけ「この子が問題です」と思っていたのです。ですから、先生が話される事例が「えっ、私」のこと。「そうだ私にトラブルの原因があるのかも」と思い受講しました。

 数年前に離婚したことで「あの子は片親だからね」と言われないために、二人の子に必要以上に厳しく叱っていました。今思えばメンタルに通う前の私は、つねに怒った顔していたように思います。

  「脳のカラクリ」の授業で、自分にムリをし過ぎると、脳が身体に指令を出して、病気を作りだす心身症の話を聞き、その頃の、体調不良で寝込んでしまったり、急性胃腸炎になったことも、重度の喘息発作も、脳からの説明で納得しました。
 でも、その頃の私は「私だけがツライ、私だけが被害者」と思っていて、子供たちが、パニック発作で病院に運ばれる母親を見ながら、幼い心を痛めていたことすらも思いが及びませんでした。あの時に、おばあちゃんの家にあずけられ、子供たちは、どれだけ不安で淋しかったことでしょう。それを思うと今でも涙が出ます。当時の私は、そんな子供たちの心の叫びも、聴いてはいませんでした。

 最初の講座で、聴き方秘密のテクニックを聞いていて「話してくれない子供も話してくれるでしょうか?」と先生に質問した時に、教室で僕に「話せなくなったのは、何か原因があるはずですから、まずは今まで『聴く』と言いながら、聴けていなかったことを子どもに謝って下さい。そして、『これからはどんな小さな事でも聴くから、よかったら話して欲しいの』と自己開示(アイ・メッセージ)してみて下さい」と言われて、その夜に謝ったそうです。「これからは何でも話してくれる?」すると、長男は「うん」と答えてくれたそうです。

 ある日のこと、甘えることのできなくなった長男に「あきと(仮名)くんは、何でママに甘えんと?」と聞いてみたそうです。「だって、弟が甘えん坊やん」「そう、弟が甘えるけん、あきとくんが我慢してるんだ。ありがとう。でも、今日は二人だけやけん、いっぱい甘えていいとよ」と、この日は久しぶりに長男の微笑む顔をゆっくり見た気がしました。不思議と、この日から学校でのトラブルが減ってゆきました。

 また、子供たちが毎日、朝準備が遅くなるのがイライラの元でした。いつものように「早くしなさい!早く!」と叱っていました。
 講座でイライラの裏にあるのは「私の期待」が隠れていると学び、アイ・メッセージで伝えました。「あなた達が学校に行くのが遅いと、きっと、学校の先生や、友達が心配するんじゃないかと気になるし、あなた達が遅く出ると、ママも仕事に行くのが遅くなって仕事の人に怒られるんだ」すると子供達の口から「ママ、ごめんね。今からすぐに行くね。ママ、昨日も遅かったけど大丈夫やった?怒られた?」と意外な返事が返ってきました。それからは、朝から気持ちよく子供たちを見送ることができるようになったのだそうです。

 そして、いま子供たちの流行りは「ブレイン・ストーミング」だそうです。

 誰かに自分の望むことをやらそうとしないで、それぞれに意見を言い合うブレイン・ストーミング、誰かが言ったアイディアに批判しないで、どんなくだらない、実行不可能な意見でも「イイね!」と言って意見を出し合う。

 そう「参加することに、意味がある」を学んで、家でも取り入れようと思って、子供たちが和太鼓を習い始めたことで「心配なこと、気をつけないといけないことを」ブレイン・ストーミングしたそうです。最初は、お母さんが「バチ(叩く棒)を持ったまま走っては危ない」「バチで人を叩いたら大ケガ」とかの問題点を出しました。「他に注意すること?」をみんなでドンドン出してと言うと、次男が答えたアイディアに、お母さんが「イイね、イイね」と言ったのが面白かったのか、次々とアイディアが子供たちから出てきたそうです。最初は「そんな意見あるわけないやん」と言っていた長男も、いつしか一緒になってアイディアを言ってくれました。それから子どもから「ブレスト」ではなく「イイね、イイね」しようと言ってくるそうです。

 抑えつけて叱っていた、お母さんから、問題解決の協力者への格上げです。

 メンタルに来る前は「問題だ」と感じていた、長男も最近は思ったことが言えるようになりました。でも、最後に「一番変わったのは私なのです」と…語ってくれました。

 最近、毎日が楽しく過ごせています。何げない子供たちと過ごした一日を「今日も幸せだった」と思えるようになりました。最近は寝る時に子供たちに必ず伝えています。「今日一日、がんばってくれて、ありがとう」と…

 アメリカ・インディアンのように感謝のアイ・メッセージを伝えるのだそうです。

 ある夜に、子供たちに「生まれてくれて、ありがとう」と伝えました。すると次男が「ママ、はるきを生んでくれてありがとう」すると、長男も恥ずかしそうに「ママ、あきとを生んでくれてありがとう」と言ってくれたそうです。

 それを聞いて、お母さんである修了生の女性は、涙が止まらなくなったそうです。「こんなママで、ゴメンね」と声にならないで泣いたと…

 衛藤先生、今の私は本当に幸せです。いつか巣立っていく、子供たちに今のうちに感謝のアイ・メッセージをたくさん、伝えていきたいとも語ってくれました。 そして、キレイに巣立ちを見送る。

 「幸せは外になく、今日という一日にいっぱい隠れているのですね」と僕は思いを語りました。「いつか、その、あたりまえの日常が、子供たちを守ってくれるプロテクションになりますね。あなたはステキなお母さんだ…」とも、僕は伝えました。

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 それぞれに、みんなステキな自己開示をありがとう。

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 そんなステキなドラマを聴くことが、修了式での僕の最大の楽しみであり、僕も受講生から、学ばせていただく、至極、ステキな瞬間なのですよ。

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終わりなき世のめでたさ…

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 2014年になりました。

 メンタルの仲間、読者のみなさん、明けましておめでとうございます!

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 やっぱり、車も少ないせいか、生駒山の中腹にある、我が家から見る大阪市内の空気も凛として、とても澄んでいるように感じます。

 昨年から一日が過ぎ去るだけなのですが、元旦は、すべて新しい年から再スタートをきれるようで、やっぱり新しい年の幕開けはいいですね。

 お正月に流れる「年の始めの ためしとて おわりなき世の めでたさを…」のフレーズにある、終わりがない世、世界のみんなが、心から幸せでいる日々が続くことを心より願います。

 自分がどうなりたいかではなく、世界がどうあってほしいかに、自分自身の願いもいつの間にか変わってきました。これも、年齢からくるものなのでしょうか⁇

 もちろん、まだ若いのですけど…(笑)

 トランスパーソナル心理学の講座の時に、アメリカ・インディアンの死生観の話をしました。インディアンは「大地で死にたい」と願う。と、そこには全ての多くの先祖が眠っているから、そこで出逢えると…

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 現代、物理学では、すべての物質は素粒子からできていて、この机も、このiPadも、僕の身体も、素粒子の波が形を変えた世界だと。この新年の夜空に輝く星々たちだって、僕たちの身体を作っている素粒子と同じ物で出来ている。星と僕たちは同じなだと…

 この世界での「あなた」と「私」という存在も、物理学の世界では、同じ粒子が形になって、やがて大地や空気や水になって世界のどこにでも存在できる粒子となって大地や大気に溶け合うと言うのです。

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 僕たちは死を通して全てと、一つになると言うのです。

 それは、インディアンの「大地で一つになる」という死生観と似ていると話しました。雑談のついでに「天国とは、そういう所なのか????すると、大好きなあの子、この子とも一つに…ただ、嫌いな奴と、一つになるのはねぇ『それは勘弁』と言う人もいるでしょうが…」と笑っていました。

 後で「殺した者と、不幸にして殺された者が、一緒だなんて雑談でも納得できない」とアンケートをいただきました。

 その通りですね…

 ただ昔読んだ、ある作家の本で、こんな話しが、僕の心に残っています。

 その作家は大量虐殺があった、アウシュビッツに行ったそうです。そこで収容所の内部を見ました。ガス室を見て、ナチが行なった残忍さのために、三日間、彼は食事もノドに通らなかったそうです。

 何より彼が嫌悪したのは、たくさんのユダヤ人をガス室に送り込んで殺害した夜に、ナチの将校たちが音楽会に行って、モーツァルトを聞いて感動して涙を流したことです。人間性の表裏の恐ろしさ、なんとも言えない戦慄と、嫌悪感を感じたそうです。

 その旅を終えて、彼が尊敬している神父に質問したそうです。そんな人は救われない、救われるワケがないと…すると、神父は「天国に来る者は、ユダヤで殺されたであろう、たくさんの子供たちが『あの自分たちを殺した、大人たちも、神様お願いです。許してあげて下さい』と願ってやまない場所なんです」と答えてくれたそうです。

 僕はこの話しを聞いて心の底から、感動したことを今でも憶えています。

 もちろん、殺された者からすれば「あんまりダァ」となる人もいるのかもしれないし、僕も半分は、その人びとの気持ちもわかるのです。

 でも、もう一つの半分は、自分の常識や倫理よりも、広くて深い愛が存在し、そんな場所があり、神さまがいるのなら、天国は、そういう場所であるかもしれないと…僕は「信じてみたい」と思っている願いも確かにあるのです。

 昨年の年末に、安部首相は自分の信念を通すため、靖国神社に参拝しました。でも、それが東アジアの緊張を高め、もし最悪にも、中国や韓国との武力衝突などが起きれば、この国の「終わりなき世を」願って戦った、いや、それを信じこまされて、戦った人たちは、喜んでくれるのだろうか?

 靖国神社で眠っている英霊は、戦争に対する緊張を高めてまで、自分たちを参拝することを、心底に願っているのかを僕は考えてしまいます。

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 死んでいった英霊が、心から願っているのは、やはり「終わりなき世の めでたさ」だと信じます。

 世界が、幸多かれと願っています。

  いい時代のおとずれを新年の始まりに祈ります。

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 いつか、国籍にこだわらず「あなた何人?」「僕たち⁈ 地球人」になる日まで…












究極の受容、究極のポジティブ。

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 過ぎたるは、なお及ばざるが如し

 百薬の長と言われるお酒でも、人によってはストレス発散や、食欲の増進になりますが、個人の限度量を越すと、二日酔いになり、飲酒が習慣化してしまいアル中になることもあります。まさに、過ぎたるは、なお及ばざるが如しですね。

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 お正月にお酒を飲みすぎたり、胃袋が膨らみ過ぎた人は、少しずつ、いつもの生活に戻していくことが、1月の大切な行事かもしれません…

 人はどうして「やり過ぎてしまうのか?」

 ゲシュタルト心理学では、人は未完成の出来事には、未練が残るといいます。

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 途中で終わった恋、断念した夢、親からの愛情が足らなかったと、ありとあらゆる本を読み、セミナーに通い続ける人、残すのがイヤだからと言って、自分の限度まで食べ続け、肥満に苦しんでいる人もいます。

 メンタル受講生の中にも「いまだに人を平気で傷つける人、歩きタバコする人に腹が立ちます。どうしたら良いでしょう」と質問されると「僕も、イライラします あせる」と答えてしまいます…(笑)

 本やセミナーで「優しく受容しましょう」「ポジティブでありましょう」と言われると、なんだかイライラしている自分や、ムカッむかっとしている自分が小さい人間であるように思えてしまいます。ダウン

 ポジティブでありたいと願いながら、後ろ向きネガティブに考える自分が許せなくて「自分はダメだ」と、よけいにネガティブな気分に襲われる本末転倒タイプの人がいます。ガックリ汗

 《究極の受容》とは「ダメな自分もある」という現実を知ることなのです。すると似たような、弱さに苦しんでいる誰かを責めないでいられるのです。

 《究極のポジティブ》とは、ネガティブに落ち込んでいる人生もあり、そんな人生をも楽しむ心です。雨や嵐の日々がないと、晴れの素晴らしい日々が分からない。心寒い冬の時代があって、順風満帆の日々に感謝できるのです。ネガティブを知らない、ポジティブな人は、調子にノリすぎたイヤな奴になってしまいます。

 完璧な人間を目指す人ほど、落ち込みやすく、鬱病を発症するリスクが高いのは分かるような気がします。

 では、メンタルで勉強した人と、勉強しなかった人との違いは何か?

 お釈迦さんは言っています。
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 「人は誰もが、感受作用はある」と。

 列にも並ばないで、横入りする人には腹が立つ。足を踏まれて痛い。花を見てキレイ!車内で大きな声に「うるさいなぁ」と。

 このような感じる心(感受作用)は誰にでもある。でも、悟りを開こうとする者は、それを感じるだけで、「それから」(第二の矢)がないと…

 「それから」とは、人が横入りするなら「俺もしてやる!」一言「注意してやらないと気がすまない」メラメラ

 足踏んだ奴が悪い、怒鳴りつけてやる「バカやろーッ!気をつけろ」そして結果、相手とケンカしたりします。
 
 花を見てキレイ音譜はある。でも「持って帰って自分の部屋だけに飾ろう」の「それから…」がない。

  大きな声「イヤだなぁ」はあるかもしれないけど「うるさい!静かにしろ!」や「チェッ!」っと、舌打ちはない。

 誰にでも感じる心はあるけれど、悟り目指す人には「それから」がないから、相手を車内で攻撃し、もめて、その一日をイライラ過ごすという事はない。だから、車内を出た瞬間に、楽しく「生きられる!」走る人

 メンタルは悟りを開くことは、目指してはいません。だって、コミュニケーションの勉強が、なんだか抹香臭くなりますから…(笑)。

 でも、イライラは、外(出来事)にではなく、内(自分の心)にあるとメンタルの心理学では教えています。

 自分は「あんな人には、なりたくないなぁ」とか、自分だったら「こうしょう!それのほうがステキ!」ひらめき電球そんなことは学んでいます。

 だから、人は結婚していても「あの人、ステキは!」は、あるのかもしれません。でも「それから…」がない。
 また、逆に「ステキなんて思ってしまった、自分は汚れている」ダウンと感情までを否定すると、宗教の戒律になります。

 僕たちは、宗教的な悟りまでは開けないにしても、今日の悟りくらいは開きましょう。

 たとえ、明日は、また悩んだとしても…

 そんな自分が可愛く、そんな人生が愛おしく思えたら、それが究極の受容だし、それが究極のポジティブなのです。







固い服…

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人はそれぞれ心に服を着ている。
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素直な子どもの服、優しい母親の服、強面の上司の服、テキパキとしたOLの服、良い人の服、甘えたさんの服など、たくさんの服がそれぞれの心のクローゼットにはかけられています。

幼い子どもの頃は、この洋服の着替えは簡単ではありません。「素直な子ども」という名の服は、周囲から微笑んでもらえるし、頭をなでてもらえて心地がよいから。
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でも、大人になるにつれ、それが段々、窮屈に感じてくる。そこで、ある時期にドラマチックに、強引に服を着替えようとする。それが「反抗期」と言われるものです。

自分の好きなように生き、ケンカの強さと、自由を誇りとしていた学生が、会社に入ってからは、直属の上司に、愛想笑いしている自分自身に気づき「自分らしくない」と落ち込んだりする。

ある女性の相談者が「私は自分に自信もなく、明るくもなく、すぐに落ち込んでしまうのに、周囲からは『明るく、いつもニコニコしていて元気だね』と言われて、自分を作っているようで、嘘をついているようでイヤだ」という。

 「私は、そんなに明るい人ではないのに、本当の私を周囲の人は知らないのだ」と悲しくなるのだとも語った。

僕は、彼女は幼い時に、周囲から期待された「~らしさ」に応えてきたので、高く自分自身が、誰かに期待されると無意識で、何かにまた縛られるようで不安になるのだと思う。叫び

何かしてもらった時に「ありがとう」ではなく「すいません」と言ってしまう人にも、このような「申し訳ない傾向」があります。

僕自身にも以前はそんな傾向がありました。でも、心理学を学んでいくうちに、人は、それぞれの仮面(ペルソナ)をつけるのだと学びました。

 健康な大人は、自分で、それを付け替えることができるのです。

 そして、他人が、こちらを「どう見ても」それは自分の一部でしかないのです。相手からは「ニコニコしている、明るい人」と一部を見られて、そう評価されただけの話なのです。それは相手の見たいように見た見方なのです。

まして、会社とプライベートでは、心の洋服をTPOに合わせて着替えている人は、海辺の砂の数ほど存在しています。

それに、その女性を誰かが24時間、365日そばにいて調査した結果ではないのです。たとえ、24時間、365日でも、たかだか一年です。人は数ヶ月もあれば性格は変化します。他人から見た、自分のある側面の一部でしかないのです。

 また、その人が見た見方を、こちらが受け取るか、受け取らないかは、こちら次第なのです。さらに、受け取って落ち込むか、落ち込まないかも、こちらの選択権にあります。

その女性は「『ありのまま』の自分を知りたいのです。また、知って欲しいのです」と続けた。「ありのままの自分」は、都市伝説のようなものです。

 僕は決して完全に「ありのままの自分」であってはいけないと思っています。大人は適度にペルソナを付け替えないとならないからです。

イヤな人に「イヤだなぁ」と、露骨に態度に出せば、周囲にも気をつかわせます。やりたくない仕事に「俺、イヤっす!」と言ったら「明日から会社に来なくていいよ」と上司からリストラへのイエローカードを渡されます。

「講座したくないから」と、突然に予告なしに、僕が休講にしたら社会からの信用を失います。

この世界で唯一の「ありのままの存在」は、赤ちゃんです。
泣きたいから泣いた、ウンコをしたいからした、ミルクが欲しくないからイヤイヤと首を振った、それが「ありのまま」の状態です。

相談者は、ニコニコ笑って、明るい人を、会社や社交では演じられているのです。立派なものです。
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 もし、彼女が会社でイライラし、陰気な人を演じているなら、僕もその女性に、洋服の付け替えを、積極的にお勧めしますが…(笑)

僕たちには気が弱いとか、心配性とかの基本性格はあります。でも、現実社会の性格は洋服の付け替えなのです。

今、人とうまくいかないなら、心の洋服の着替えが必要なのです。「私はこれが性格だから」と言う人は、固い服を着ている人なのです。

 私たちは、ファッションや言葉使い、日常の立ち居振る舞いまで、誰かの真似なのです。その真似(モデリング)で、今の私たちは出来ています。

 ステキなモデルがないなら、家の中でネットの情報や自己啓発の本なんかに頼らないで、外のリアルな世界に飛び出すべきです。ステキなモデルを探して!

 現代はSNS、ブログ、フェースブック、Lineなどの文書の中では、とても雄弁なのに、直接に会ってみたら、目も合わさない、会話にも魅力を感じない人が増えています。

 ネット空間の中に社会があるのではなく、今もなお、最終的な決め手は、リアルな世界の人間関係で人は出逢い成功するのです。

いつも「ありのままの自分」にこだわらないで、その瞬間、瞬間に最高の自分を着せ替えしましょう。

 そして、しっかり社会生活し、演じ続けている自分に、時よりセルフ・ハグしてヨシヨシしてあげてください。
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「よくガンバっているなぁ合格」と自分をねぎらって。

なぜなら、自分が自分の最高のパートナーなのだから。ラブラブ

「ありのまま」になることを求めているのは、心が子どもです。

会社で演じすぎて、家では演じることを手放した横暴な夫に、泣いている妻が、僕のカウンセリングルームに多く来室されます。そうなのです。愛する人にも多少なりとも演じることが必要になります。ガンバる夫の役割も…

 お父さんが子どもと「遊びたくないから」と、家でゴロゴロしていたらどうなりますか? そう、このお父さんは、ありのままの子どもです。「腹が立つから」と、子どもを折檻する母親も、自分の幼いありのままの心に忠実なのです。

決して忘れないで下さい。ステキな大人は、生まれつきではありません。僕たちはステキな大人を演じて生きて行くのです。

 そして、それがいつか、ありのままの自分になれば、その人生は成功なのです。

成功を祈ります!アップ

記念日

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 今日は僕の誕生日です。ある年齢になると誕生日は、嬉しくもあり、嬉しくもなし。
 十代の頃は一年があんなに長かったのに、今は新幹線いや飛行機なみのスピードで訪れては去ってゆく“そうなのね記念ひらめき電球”日なのです。


 元旦や、クリスマスならまわりの気配も師走特有のあわただしさがあって、準備している気にはなるけど、僕のような平民の誕生日は、社会では、何も変わらなく活動しているし、僕自身も、相変わらずスケジュールはタイトに組まれています。


 もし、誕生日は、国が保証して個人の祝日にしてくれるなら、何だか誕生日も得した感もあるのだけど、そういう声が上がらないのは、やっぱり家にいても誰も祝ってはくれないから⁈ なんだろうか?って思ってみたりする、まさにそんな普通の昼下がりに、この文章を書いています。


 ただ、僕の場合は、誕生日が結婚記念日と重なっているので、誰かに声をかけていただくと、「そうなのねひらめき電球」と同時に結婚記念日を思い出す寸法になっています。これは若い時に考えた僕のアイディアが功を奏して、どんなに僕が忘れっぽくても「そうなのね 記念日‼︎」として思い出すから、家庭はトラブらない。僕の誕生日にはそんなメリットがあります。


 ただ、ウチの娘が二日前の20日が誕生日なので、後から生まれた娘のせいで、僕の誕生日は、みごとに娘の誕生日に吸収されてしまっています。家では、ケーキのチョコ・プレートのすみに申し訳ない程度に、僕の存在があるような、ないような(微笑み)


 もちろん、それを僕は良しと思っているし、望んでいるのだけれど。


 僕のような小心者は「おめでとう、ございます」と言われると「僕なんかのために…申し訳ない」って、少し後ろめたい気持ちになります。人の誕生日は俄然楽しめるのだけれど、自分の誕生日は「いやいや…滅相もございません」って、だから誕生日記念パーティーを主催される大人物を見ると、単純に「スゴイなぁー」って思ってしまいます。


 そうそう、娘の誕生日にメールで、誕生日は自分のためではなく、お前が生まれた年の「今日この日」に、ママが痛みと苦しみの中で、君をこの世界に招き入れたんだから、ママに感謝をしてね。という内容を「おめでとう」と一緒に娘に送ったら「了解、本当にママには感謝しているから」って返信が来ました。スタッフの野本君に「ママ“には”ではなく、ママ“にも”だよなぁーむかっ」って、パパにも感謝は????って(笑)


 こんなことで僕の一日は過ぎてゆきます。


 実は3週間前に妻が健康診断を受けた結果、肺がんの疑いがあって、今週、再検査をしました。結果、ガンではなく、炎症だけだったのでホッとしました。その間はブログを書く気にもなれずじまい。でも、何気ない日常が、幸せなのだと感じた数週間でした。ひすいこたろう君の言うとおり、音譜ピンチ ピンチ チャンス チャンス ラン ラン ラン音譜日常が切れた時に、日常の美しさに気づくチャンスなのです。


 昨日は、名古屋で誕生日の前夜に受講生から祝ってもらいました。まさに申し訳ない気持ち満載でした。そして、ホテルに帰って祝杯を一人でしました。もちろん、結婚記念日おめでとうをです。




 妻の日常にも感謝です。









大切な人の最後に会えなかった人に…

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 大切な人の最後に会えなかったことを後悔し、それに苦しんでいた男性がいました。


 「どうしたら、後悔の苦しみから逃れられるのでしょうか?」講座の後の食事会でのエピソードだったので、カウンセリング的な時間も取れずに、申し訳ないと思いながら「もし君が亡くなったとして、誰かが君の最後を看取れなくて後悔して、苦しみを抱えて人生を生きていたら、君はその人になんて言ってあげたいかなぁ」と僕。

 その彼は「もう気にしないで、苦しまないでいいよ」と答えた。「じゃぁ、その亡くなった人も、そんな気になっているんじゃないかなぁ」と僕は告げた。

 このやり取りは、精神科医フランクルの事例から思いついたものです。

 ユダヤ人だったフランクルは、脱出のためのパスポートを取りながら、父が病弱でドイツから脱出できなかったので、アウシュビッツの捕虜収容所に収監されました。

 フランクルは、自分だけ助かるよりも、父親と収容所に入るほうが、自分の人生に意味があると判断したからです。

 そこでは地獄の日々が続きました。豆を一つか二つしかないスープだけで、一日中過酷な重労働で、骨と皮だけになって生き続ける。そして、一日何千というユダヤ人が、ガス室に送られ帰って来ないという絶望感。

 ある時に、愛する妻が亡くなって、生きる希望さえ失なった人に出会う。
 「そんなに痩せ衰えて苦しむほど、貴方は奥さんを愛していたのですね」と、フランクルがその男性にたずねた、さらにフランクルは「奥さんも、あなたを同じくらい愛していたのでしょうか?」とたずねる。

 男性は「もちろんです。僕たちは心から愛し合っていたのですから」と答えた。「では、もし貴方が先に死んで、奥さんが悲しみのために痩せ衰え、今のあなたのような悲しみを奥さんにも味合わせたいですか?」そこで男性はハッと気づいたのです。自分が苦しむ側でよかったと…

 そこで、このエピソードは終わりです。

 でも、僕は亡くなった奥さんは「ご主人にも、自分の死で苦しんで欲しくないだろうなぁ」と思ったことを、今でも鮮明に憶えています。

 この社会では、大切な人の死に目に会えない人が、大勢いるのかもしれません。
 「すぐに来て!」と言われても、立場があって、仕事があって、誰かに気をつかって、もちろん、交通機関が間にあわなくて、と誰もが、そのような後悔を抱えながら生きることを強いられるかもしれません。

 そうであるならば「自分が亡くなる時にも、たとえ誰かが来られなくても、相手の立場を考えてあげたい」と心に強く思って生きればいいのです。

 自分の出来なかった事を、人に求めて攻撃する人がいます。それは最低です。

 僕にはいいモデルがいます。

 僕の義理の父も、亡くなる時に「孫たちの、明日の学校を気にして、皆が帰ることを命じました」義理の父は、いつも家族の幸せだけを願った人でした。

 僕の祖母(僕の育ての母)は、僕が後ろ髪引かれる思いで祖母の家を出る時に「ノブちゃん」と、手招きして病床の枕もとで、消え入りそうな声で「あんたは忙しいけんね。もし、私が死んでも、帰って来んでイイけんね。頑張らんといかんよ(大分弁)」と耳もとで囁きました。「何言いよるんね。また、来るけんね」と僕。「お婆ちゃんは大丈夫…」と祖母の目は優しく笑った。それが、最後の二人の会話。

 僕の約束は果たされないまま、帰郷したのは、祖母のお葬式の時でした。

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 だから、僕も亡くなる時には、そういったモデルを見習いたいと思う。

 してあげれなかった事を後悔するよりも、してもらえなかった時に受け入れる強さを学んで欲しいと質問した彼に期待したい。









無声呼人

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 子どもの不登校や引きこもり、家庭内暴力。そこまでいかなくても、子どもの反抗で手を焼いて相談に来られる家族に多いのは、こちらが子どもの日常の様子を聴いた時に、当の子どもの父親は「自分は、こんな大きな立場の仕事をしている」とか「自分の友人の中には、心理学の有名な大学教授がいる」とか、一生懸命に自分の社会的なポジションを語らないと会話が進まないご両親がいます。


 そこで、僕は「お父さんの立場よりも、僕は子どもさんのことを聴きたいのです。来られて15分、子どもに向けるべき大切なカウンセリングの時間を、自分の社会的なポジションを語ることに使われたのですよ。お父さんの地位や立場よりも、その時間を、子どもの心に意識をむけませんか ‼︎」と指摘することになる。

 このお父さんには、自分がどう思われるか、自分がどう尊敬されるかしか、関心がない。何よりも、それが優先課題なのです。それほどに子どもの心には無関心なのです。関心ごとは、子どもの学校復帰と、子どもの学歴だけなのです。それがこのお父さんの重要課題なのです。だから、子どもそのものに目を向けておらず、子どもが自分の立場を揺るがすことがないかが中心になってしまっている。

 人の集まりに参加する時にも、誰か仲介者がいて、前置きに「こんな立場の方である」とか「こんな本を書いている」というバックボーンを話してもらわないと、集団の中にとけこめない人がいます。

 自分自身で出会うより、社会的なバックボーンという、盾や鎧がないと人と出会えない。

 「男は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言われます。

 もともとはリンカーンの言葉だと言われています。Every man over forty is responsible for his face. ある年令を越すと、顔の造りのことではなく、その顔には、その人の人生、生き方、考え方が、笑顔が刻み込まれているということなのです。

 日々、イライラしていると、眉間にはいつしかシワがよります。いつも、冷たく人を横目で見てニヒルに笑っていると、表情のバランスがおかしくなるかもしれません。

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     写真は(富士通のグランノートより)

 ステキな表情は、人と人との出会いの中で身につくのです。インドのジャングルで、狼に育てられたと思われる狼少女は、最後まで人間のように笑うことはできなかったそうです。人との間で表情は生まれるのです。
 
 ブログやフェイスブック、メールでは雄弁なのに、出会ってみると目も合わせず、会話の内容も面白くないという人がいます。

 そういう人は、仮想空間のコミュニケーションは得意なのですが、現実のリアルなコミュニケーションでは、自信がなく、積極的に人と関わることが出来ません。

 どんなにネットサーフィンし、多くの情報を知っていても、最後の勝負どころは、現実の人間空間です。僕は教室でも「リアルなコミュニケーション能力を身につけよう!」と呼びかけています。だから、僕は教室での生きた関係性を大切にしています。

 ネットや本で、何でも知ってるクン、物を何でも持ってるクンよりも、人生の成功は、どんな時でも、誰からも愛されるリアルなコミュニケーション能力です。それこそが、誰からも一生涯、奪われない財産になります。

 自分に自信がない人は、社会的地位や名誉、成功を求めて、その鎧に逃げ込もうとします。そう、社会的名声で自分自身を補おうとするのです。生身の自分自身では不安を感じるので、付属品(地位、金銭)で自分をカモフラージュすることに一生をついやそうとします。

 だから、地位や金銭がなければ、誰からも相手にされない、よって、それにしがみつこうとします。

 成功者と言われれる人の中には、人間として品格が感じられず、取り巻きやお金、立場の話ばかりをする鼻息の荒い人がいます。
 そんな人に出会うと僕は「この方向だけは、目指したくないなぁ」と思ってしまいます。

 このような人は、人生の方向性がかたよっているからでしょうか、どこかにシワ寄せがあります。社会的に名声があっても、家族から嫌われていたり、部下からは慕われてはいない。そんな人生をやはり生きています。

 自分自身の心の内を鍛えるか、自分自身の外の付属品を集めるかに、人生は分かれます。

 人に会った時の笑顔、優しい聴き方、穏やかな語り口調、トラブルに見舞われた時のほどこし方など、その人の笑顔にステキな残り香が漂います。

 内に魅力がある人は、どこに行っても必要とされ、尊敬され、笑顔に囲まれます。

 お姉さん夫婦の家に、弟夫婦の奥さんから電話が入ってくる。
 「そろそろ、お爺ちゃんを、こちらに来させてくださいませんか。お姉さんのとこばかりだと、こちらが淋しいです。いつ、こちらに来てくれますか? お爺さんの話はとても、ためになるし、いつも笑顔だから、皆が幸せになるんですから…」「そうですか(残念そうに)やっと、お兄さん夫婦のところから、我が家に来てくれて半年しかたっていないのに…」このようなお爺ちゃんは、誰からも必要とされる人なのです。

 無声呼人(むせいこじん)という言葉があります。ペットボトルのお茶「伊右衛門」は、福寿園の創業者の名前が付けられています。その福寿園に代々伝わる家訓が無声呼人です。いつも声高らかに、自分をアピールしなくても、いつも笑顔で人に喜ばれる生活をしていると、何も持ってはいなくても、多くの人々は、その人の人格に集まってくるのです。

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 そういう人に私はなりたい!(宮沢賢治ばりに)








成長するための「さよなら」

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 自分が好きになれません。どうしたら自分を好きになれるでしょうか?
 よくある質問です。


 僕はたずねる。
 では、君はどんな自分だったら、自分自身が好きになれると思えるのかなぁ?
どんな風になれば自分自身を愛せますか?


 私は人よりも仕事のミスをするし、小さなことでスグに落ち込んでしまって…


 君が「ステキだなぁ」と思う人は、小さなことで落ち込んだりしないかなぁ…誰もが仕事のミスは起こさないで、すべての人がパーフェクトだと思う?


 少なくとも私よりもパーフェクトだと思います。


 あなたは多くの人に聞いてみた、誰も絶対にミスをしたことはないですか?と。ミスをして落ち込むことはないですか?と…


 聞いてはいないです。


 ということは、あなたは誰も、小さなミスはしないし、仕事はパーフェクトだと、勝手に思っている、確認することもなく。どうなんだろう、どうして、あなたは完璧にすべてをやりとげなくてはならないのかなぁ?


 それを誰かに言われた?ミスはするな!完璧であれと。そして、落ち込むことはよくないと…


 言われてはいないです。私が勝手に思っているだけだと思います。


 そうか、あなたが勝手に完璧であるべき、小さなことでは落ち込んではダメと… 自分で自分に言い聞かせているんだね。


 完璧でないと、何か困るのかな?


 完璧であれば仲間からも尊敬されるし、私が強くなれば人が認めてくれるから…


 今のあなたでは、誰もが認めてくれないの? あなたのままでは認めないって誰かが言った?


 言われてきました。私は両親から「あなたがダメだから、人から認められない!」と。「失敗をするようでは、人は成功しない!」と(彼女は泣き出した…)


 じゃぁ、君の両親は完璧だったの?絶対に失敗はしなかった?

 誰からも好かれていた?
 充実した人生をおくれていた?


 いいえ、いつもイライラしていました。(キッパリと)


 そのイライラしていた人たちの考えを、これからも自分で抱えて生きて行くの?
 それが、君が将来幸せになる方法だったり、自分を好きになれる近道なのだと思う?

 

 (彼女は泣き続ける…)



 でもね、それは、ご両親のせいではないんだよ。そこが一番大切なんだ。


 君が間違った世界観を手放すか、持ち続けるかは、自分で決めているのだからね。そしてそれは、君が今まで勉強している、あやしいトラウマでも、インナーチャイ ルドが傷ついているのでもないんだよ。君の間違った世界観を変えるのは、過去へのこだわりではなく、大人の君の決断が大切なんだよ。


 ご両親も気づかないで、世界を間違って見ていただけだから、ゆがんだ考えかたであっても君を正しく導こうとしたんだよ。きっと、ご両親も、ゆがんだ世界観の中で、不安で生きていたんだと思う。


 世界をゆがんで見ているとね、自分も、大切な人をも、そのゆがみを持った世界観で人を育てようとするから、過剰になったり、強圧的になったりするんだ。すると家族全体が歪み始めてしまうんだ…


 だから、世界を変えることが出来るのは、過去の問題でも、僕でもなく、君自身なんだよ。世界を変えるのは、自分自身の価値観や生活を変えることなんだよ。


 いま、彼女はメンタルの教室に来て、たくさんの人と出逢って、たくさんの考え方、世界観と出逢って、さらに進化を続けています。そう、世界には自分の知らない幸せになるたくさんの道があるのだと…


 人は変わりたいと思いながら、いつもの生活、いつもの通勤、いつもの仲のよい友と過ごす。だから、自分の世界も変わらない。




 部屋の中に迷い込んだミツバ チを逃がそうと、窓を開けても、同じ窓にぶつかり、同じ行動をくり返す。


 人もまったく同じことに、ぶつかり悩む。 少し行動をズラせば、世界は大きく変われるものだ。大きな変化は、少しのアクションの違いで起こるものですね。








誰かを活かす死。

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アメンバー限定公開記事です。

天国からの減点法と地獄からの得点法

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 人間関係に苦しんでいる人は、自分にも、他人にも、環境にも、高い基準を持っています。


 人生は順風満帆で、いいこと続きであたりまえ。子どもは勉強が出来てあたりまえ。夫は自分に優しくてあたりまえ。上司は部下を親切に指導してあたりまえ。恋人は私に会いたがってあたりまえ etc.

 数え上げるとキリがありません。

 この「あたりまえ思考」が人間関係のトラブルを作り出すことになります。

 これは、自分自身が「そう勝手に思っている」の領域を抜けないのです。そして、この思考は、子供が、お母さんは「自分の思ったように動いてあたりまえ」と思っている母子一体感(甘え)の心理に似ています。

 相手には相手の都合があり、こちらの思ったようにデザインされ、作られているわけではありません。それを強引に「普通は、こうだ!」とレッテルを貼って、その予測から外れると、相手を責めたり、恨んだり、攻撃してしまうとトラブルの連続の人生になります。

 ビジネスの世界では、お客様のニーズを探ることに力を注ぎます。そうでないと物が売れないからです。でも、こと上司となると上司へのマーケティングには手を 抜きます。

 なぜなら「上司なんだから」「普通はこうだむかっ」と自分の持っている上司のイメージを押し付けます。

 この「あたりまえ思考」が現実認識の低下をもたらします。

 上司にも、ピンからキリまで存在します。話をよく聴いてくれる上司から、自分のミスを部下に押し付けて罪の意識も感じないで平然といられる上司まで…

 でも、上司も人間ですから、単純に上司の味方になりさえすれば、喜びます。たとえば、「誰に頼もうかなぁ…」と上司も悩んでいる時に「私がやりましょう!」と率先して手を上がれば、やは り上司はその部下を評価してくれます。
 「報告を!」と言われる前に、わかりやすく、今の現状を報告をしていけば、やはりその部下は重宝されます。

 上司は「こうあるべき」と、上司側に完ぺきな自分の理想とするタイプのレッテルを貼ってしまうから、そこからの減点法になってイライラし始めてしまうのです。

 だから、上司にも、子どもにも、恋人にも、完ぺきな自分自身の理想とするイメージのレッテルを貼るのではなく、自分がどう行動すれば「相手がこちらの望んだ動きをしてくれるか?」のマーケティングが必要となります。

 そのマーケティングが出来れば次に、相手を動かす心理テクニックが必要になります。それらは、メンタルで学べばいいのです。

 まさに心理学の基本「他人と過去は変えられない、変えられるのは自分と未来だけ!」なのです。

 そして、人生も「自分にだけは天国であるべき」と思って生きていると、その天国イメージからの減点法になってしまいます。

 天下を制した徳川家康が「人生とは、重荷を背負って、遠き坂道を登るものだ」と言ったように、天国だと考えずに、苦しい修行場、地獄だと思って生きれば、けっこう、この現世の地獄は過ごしやすい。

 だってそうでしょう!血の池地獄がなく、毎日、気持ちのイイお風呂に入れたりして・・・(僕の故郷の別府には血の池地獄はありますけど、でも、観光名所だったりするのです(笑))

 鬼ばかりと思って過ごせば、親切な人に会うと「ありがとう」と、少しのことでも感動の涙を流せたり、炎を喰わされることもなく、なんだか美味しい 食事にありつけたりして、空から火が降ることもなく、太陽や恵みの雨だったりと…

 「神さま、こんな地獄でいいのですか? けっこう、この地獄は過ごしやすいです」と心から感謝したくなりませんか?!


 でも、人生は順風満帆で「いいこと続きでなければ、自分は我慢できない」と、思って生きていると、電車が来ないことも、信号が自分の前で赤に変わることも、目の前で エレベーターのドアが閉められるたびに「チッ!」と舌打ちして、イライラして、そのうちに人相が悪くなって、誰からも敬遠されて、さらにイライ ラして、舌打ちして、さらに…悪循環が続くだけです。


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 ですから「死んでしまって、会えないはずのカレシと逢える」と想像しながら、いつもの見慣れたカレシに会えば、マンネリ化したデートが輝かしい一日になります。

 リストラされて、ハローワークに通って収入がない状況を考えれば、イヤな上司のお小言も給料分だし、結婚した先の、お姑がこんなタイプかもしれな いから、この上司を練習台にして心理技術の実践だ!と思えば、ストレスは少しは軽減できます。
 また、アメリカの子どもをホームステイさせていると思えば、日本語を流暢にしゃべれるだけでも、子どもは立派です(笑)

 さぁ、今日も地獄の生活なのに、なんとなく穏びんに過ごせました。神さま、本当に感謝です! 明日からも、けっこう過ごしやすい地獄の日々頑張ります。(笑)


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時をかける…

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♪ 今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて もう二度と笑顔にはなれそうもないけど そんな時代もあったねと ♪ いつか話せる日がくるわ♪ あんな時代もあったねと きっと笑って 話せるわ音譜

 中島みゆきさんの「時代」の歌詞です。

 よく心理学では「今、ここ」を強調します。けれど「今」が苦しくて逃げ出したい時は誰にでもあるものです。

 そんな時にどうするか⁈ それは「時をかける少女」になるのです。

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 僕の尊敬する心理学の教授は、昭和二十年八月十五日の終戦時に、陸軍幼年学校にいたそうです。多くの国民が、玉音放送で、はじめて直接天皇の声を聴き、敗戦を知らされました。それからの日本は大混乱の嵐。

 その教授の話では「徹底的にアメリカと戦う」と言い切る軍人、いさぎよく自決した将校たちも少なくなかったそうです。なかには、食料や衣類をトラックで自宅に運んだ盗っ人のような上官もいたそうです。

 教授のいた陸軍幼年学校では、それほどの混乱はなかったそうですが、アメリカ軍が上陸して来た場合は、将校生徒には、どのような、ひどい仕打ちが待っているかわからないという不安が漂っていました。

 上官の中には「俺たちは刑務所入りかもしれない。しかし、君たちには刑務所入りをさせたくはない。即刻、帰省地に帰れ ‼︎ そして、軍の学校にいたことはあまり口にするな!」と教えてくれた優しい上官もいた。

 事実、多くの生徒は終戦後二、三週間以内に、大部分の生徒が学校を離れた。

 ところが、その嵐のような不安と危機感が漂っている時に、大学卒の学徒兵の中には、目の輝きを失わない人もいて、それはそれは悠々としていた。

 「君たち、すまんが辞書をくれないか。俺は辞書を空襲で焼いてしまったんだ。俺は、これからも東京にとどまって勉強するつもりだ!」と言った。もうすぐ赤鬼のように血も涙もない、アメリカ軍が上陸してくるというのに、逃げも隠れもしないで勉強するとは!!

 その学徒兵が言うには、今から九年もすれば、日本はもとの状態に戻る、これからは学問の時代がくる。君たちも地方に逃げないで、勉強を続けろ、と。しかし、当時、この学徒兵の言葉に耳をかす者はいなかった。いや、混乱の中で気がおかしくなったと、この学徒兵を笑う者さえいた。

 教授にも、この話は別世界の考え方だった。そして、自分の辞書をよろこんで提供した。

 ところが、時代の流れは学徒兵の予測通りに進んだ。

 なぜ、あの学徒兵は、あの混乱の中にあっても、その混乱の嵐に巻き込まれなかったのか!「それは、心のパニックから抜け出して、時間(歴史)の上から、人生を眺めていたからなのだろう」と、教授はその話をしめくくられた。

 僕はこの教授をモデリングして、悲しみ、苦しみ、落ち込みがあった場合には「この苦しみ、孤独は、自分の人生にどういう意味があるのだろう」

 いつしか、人生の外に出て、考えるのがクセになった。一時的な、時をかける少女(いや、おやじ?あせる

 そして、インディアンの居住地で考えたことは、いつか、年老いた時に「たくさんの苦境を乗り越え、その知恵をいっぱい、心の貯蔵庫に蓄えたインディアンの長老のようになるための、必要な経験だ‼︎」と。

 そう、人生の外にジャンプして、外から今ある心の混乱を眺める方法です。

 過ぎ去らない嵐はないのだから…

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Do my best.

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 連休が終わり「5月病」の季節です。

 日本では新入生、新社会人、また、新しい場所への転勤など、4月から新しい生活が始まることが多く、糸が張ったような緊張が続き、そこに5月に入り連休になります。そのホッとした心のすきに、緊張の糸が切れ、体と心のバランスを崩してしまうことから、このネーミングがつけられました。

 ましてや、今年は消費税が8%に上がり、その準備や対応に追われ、その前から社会の中には緊張が続いていたように思われます。メンタルのカウンセリングルームにも、心と身体に不調を抱える人が増え続けています。

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 やはり新しいことに飛び込むことはストレスをともないます。このように書くと「やっぱりストレスなんだあせる」と、より心身に不安を感じて、落ち込む人が出てくるかもしれません。なぜなら、心と身体は結ばれて連動しているからです。

 でも、五月病などになりにくい人がいます。それは「My best.」の人です。

 自分に完ぺきを求めない人です。「今」自分が、やれることにエネルギーを集中します。

 その逆の「 The best.」完ぺき主義者は、いつも全てのことに、あまりにも高い目標をかかげます。だから、そのあまりにも高い目標をかかげるから、その目標には到達できません。

 それを誰もが「笑っている」「バカにしている」と周囲の目や、他人の評価まで、間違って受け取ります。

 だから、その失点をとりもどすため、周囲から認めらるために、さらに高い目標へと、自分を追い込んで行くのです。その夢みる目標はあまりにも高すぎるから、当然、到達できることはありません。

 その高すぎる目標から、到達していなかった自分自身を見て、マイナスに減点してゆきます。そう悲しい減点主義者になってしまうのです。

 そこで、さらに自信を取り戻すために一発逆転の、途方もなく高い目標を目指そうとします。

 「 The best.」の人は、もともと目標が高すぎたり、方向が間違っているとは思わないで、さらに自分を追い込んでゆきます。

 やがて自分で作りだした高い目標のための「苦しみ」と「あせり」という、地獄のスパイラルに真っ逆さまに落ちて行くのです。それが、五月病になりやすいタイプの人です。そこから長期ウツ病になったりもします。

 心理カウンセラーとして、多くの自分が好きになれない人を見てきて、共通点は「ビックマウス!」そうデカイことを言い過ぎる。不思議と、大口を叩く!

 そうなのです、自分に自信がない人ほど、デカイことを夢みる。日本では「弱い犬ほど、よく吠える」と言いますが、実に的確にそのことを言い表わしています。

 新しい世界に入って行く時に大切なことは、少しずつ階段を上がることなのです。

 何か新しいやり方を教えると、すぐに「難しいですね。先生のように上手くはできない!」と、言う人に出会います。

 僕はそんな時には、すぐさま「今は難しいと感じているんだよね! でも、トライすれば、その分、上手くなるからね」と、言い換えるようにしています。そうなのです、スグに「難しい」と言う人も、やはり完ぺき主義者です。

 完ぺきを最初から意識し過ぎて、そこから減点して「難しい」と言ってしまう。そして、難しいから、最初からトライしなくなる。そう、オール or ナッシング!100か0かタイプの人です。

 だから、以前と変わらない自分の世界に住み続けます。「変わりたいあせる」と言いながらアクションしない。それが、このタイプです。

 インディアンの言葉に「巨木を見ると、自分にはなれないと思うけど、もともと巨木は、最初はドングリからのスタートだ!」と。誰でもドングリの可能性が隠れています。


 だから、マイベストなのです。やれる範囲でやる。失敗しても、死にはしない。「一歩、一歩、やってみよう!」「楽しそう!」「今日より、明日は上手くなる」「自分には、その可能性が宿ってる」何かを始める時に、このような「My best.」的な言葉のパワーは、強いエネルギーを生み出します。

 マハトマ・ガンジーは言いました。

 言葉が変われば、行動が変わる。
 行動が変われば、習慣が変わる。
 習慣が変われば、人格が変わる。
 人格が変われば、運命が変わる。

 それに影響を受けて、マザーテレサも語りました。

 思考に気をつけなさい、
 それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい、
 それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい、
 それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい、
 それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい、
 それはいつか運命になるから。











誰かのお陰で…

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 講座後に受講生から「先生ありがとう。楽になった!」「 今日も来てヨカッた!」「まさに今の私に必要な内容ばかりでした」と言われると、その笑顔や、その優しい言葉によって、僕は生かされていると実感しています。

 受講生さんの中には「先生、痩せられてませんか?睡眠とれていますか? ご飯食べていますか?」と年下の人にでも、母親のように心配されると「ありがたいなぁ」と思うと同時に、心から「その優しい言葉の、何パーセントでも、僕はあなたに返せてますか?」と思ってしまいます。

 「あなたは、お金を払って、時間を作って来てくれています…」その代価は、イヤな上司にお小言もらってですか、留守番するご主人に、早めにご飯を作って教室に来てくれていますよね。あるいは大切なデートを延ばして来てくれるのかも…。そんな気持ちで僕がいると「自分が来たいから、来ているんです」と、また言われてしまう。どこまで「優しい人たちなんだろう」と思ってしまいます。

 人という字は、持ちつ持たれつと書きますが、僕はそんな受講生に生かして(活かして)いただいています。

 だから、人前に立つ時には、そんな代価以上のものを返そうと、燃える講座になってしまいます。

 僕はね、いつも “いっぱい、いっぱい” いただいています。舞台の中央で、光にあたって、でもその陰で講演会、講座を支えてくれている多くの仲間がいます。

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 その人は、目立たないところで、教室の楽しさを支えてくれています。何も賞賛という見返りがないのに…そう言うと、「でも、怖い顔をしていた人や、人生が暗いものだと嘆いていた人が、笑顔に変わっていくのを見ていると、それだけで感動しますよ!」と、どこまでも「優しい人たち」だから、テレビの出演依頼は多いけど、やっぱり教室のライブをテレビでは越えられないと思うから…ごめんなさい、テレビ関係者さんあせる

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 東京のメンタルの受講生で、松澤萬紀さんという最高に笑顔の達人がいます。
 彼女は、僕も研修を担当したことがある全日空(ANA)の客室乗務員(CA)を12年間務めた人です。

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 その松澤さんから教えてもらった話です。

 ある国内線で、高校生たち数名が折り紙の鶴をせっせと織っていた。あるCAが訊ねると、同級生が手術をすることになり学校を代表してお見舞いに行くのだけれど、千羽鶴が間に合わなくて、仲間と協力して機内で織っているのだと言う。この時のCAのメンバーも、その仲間思いの高校生たちに心を打たれ、手伝いを申し出たそうです。そして、チーフパーサー(CAのリーダー)が機内放送で、その高校生たちのことを伝え「どなたか、お手伝いいただける方は、いらっしゃいますでしょうか?」と乗客に呼びかけました。すると、ほとんどの乗客が手をあげ、そして、目的地に着く頃には、千羽鶴が織りあがったそうです。

 機内は感動で満ちあふれました。「100%好かれる1%の習慣」~500万人のお客様から学んだ人間関係の法則~ダイヤモンド出版 松澤萬紀 著より(とってもステキな本です!)

 今、人と人が傷つけ合うニュースが国内、国外に満ちあふれ、人は「どうして?」と思ってしまうけど…

 でも、やっぱり人は誰かを必要としています。また、人を元気にさせるのも、やはり人なのです。それは、少しでも誰かの役立っているという思いが、今日の自分自身を救います。

 工場の人は、喜んでくれるお客様の笑顔を想像しながら、消防士さんは火災のない日常を願っています。

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 コンビニ店員の「今日も、お仕事ガンバって!」の一言を付け加えるだけで、人を元気にできるのです。

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 それは、あなたの笑顔でも、「ありがとう」の一言でもいいのです。病人にとっては黙って手を握ってもらえるだけでも救われます。仕事は、人に仕える事と書くのです。

 「機内でお客様が倒れました!お客様の中にお医者様はいませんか?」そんな時、お医者の役割に憧れた人も、たくさんいるでしょう。「お医者さんカッコいいなぁ」って(笑)

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 でもね、あなたは気づいてはいないかもしれないけど、この世界は、いつも放送が流れていますよ。

 「あなたの身近で、淋しがっている人がいます。誰かそばに居てくれませんか?」

 そう、あなた、あなた呼ばれていますよ。誰かに…









PR: 子育ては1人で悩まず、まず相談を!-政府ネットTV

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専門家のインタビューを中心に、出産や子育てに悩む家庭を支援する取り組み等をご紹介

「今、ここ」を抱きしめよう!

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 一瞬の中に、永遠を感じることがある…

 アメリカで学んでいた時のこと「あなたの命が、あと余命、三日しかなければ?」と思って遺書を書けと参加者に課題が出た。

 ある人は「あの傷つけた友人に心から謝る」と書き、 家出して親と絶縁状態にある仲間は「いろいろあったけど、やっぱり自分を産んでくれて、ありがとう」と伝えると…。中には「好きな人に愛を告げる。本当に心から好きでした」と、もう三日だったらフラれてもかまわない。このまま死ぬなんて嫌だから…と、感動的な発言が続きました。 その時の指導の教授が「君たちに一つたずねていいですか?」と前置きした後で…

 「君たちは三日あれば出来ることをどうして一生かけてしないのですか?」

 教室中はショックでシーンと静まりかえった…
 そして、教授は「今日の授業は以上!」と去って行った。

 当然、それぞれの学生が静かに自分を見つめる時間になった…

 タイム・バジェット(時間予算)の人生をシッカリ生きるには、この一瞬のシーンも「あっ!」と言う間に過去に変わって行き、もう戻っては来ないことを自覚することです。

 過去に、自分を捨てたカレシを恨んでいる人も、親が愛してくれなかったことを恨んで「過去の自分探し」に時間を費やしている人も同じ…

 カウンセリングをしていて、人生が止まった人の共通点は、過去に囚われていて、数年先、自分がどうなっていたいかを考えない。

 将来のために、今、何を学ぶことが必要かを考えてはいない。ただ、生きることの迷子になっていて、結果、キラキラした成功のセミナーにお金を使い、華麗なる世界に憧れて、勧誘とその仲間づくりに時間を費やしてしまう。

 学校に遅刻する常連学生も、何時に家を出たら遅刻しないで学校に行かれるかがわからない。それは頭が悪いわけではなく、将来のなりたい自己イメージがないから「時間」の使い方を誤る。

 ですから、過去に決別し、相談者が未来を語りだすとカウンセリングは終結の合図になります。

 もちろん「誰もが未来のことなどわからないだろう!」と言う人もいるでしょう。

 ただ一つだけ、誰にもが約束されている未来がある…

 それは、

 いつかは、誰もが「死」を迎えるということ…。

 それが明日かもしれない…
 だから、「今日」を人生の集大成の時間にしなければならない。

 そのためにも「今」目の前に出会っている人の笑顔、景色、自分自身の鼓動の一つ一つを味わいつくさねばならない!

 誰もが、若かった両親の写真を見て、不思議な気持ちになることがあります。

 僕の場合は、両親が離婚していて、母はすでにこの世にはいない。

 昔見た両親の若い頃の写真…

 今でも不思議に憶えている。

 若い二人の笑顔には、かげりも嘘もなく輝いていた。

 その時に気づいた感覚「その瞬間の愛は、永遠なのだ!」と…ひらめき電球

 愛はどこに行くの⁇

 愛は「その瞬間の中に永遠にとどまっている」どこにも行きはしない。写真の中にも、思い出の中にも…

 そう思ってから、日々の授業も、いつものスタッフとの語らいも、家族との何気ない日常も、いつか終わるであろう子育ても…いつか、すべては過去になる。そう意識して過ごし始めた。

 そんなタイム・バジェット感覚を意識するようになってからは、人生の生きかたが定まったように思うメラメラ

 今年から東京の大学に進学した、娘から思いがけず、父の日にメールが来た!?

 日々の学生生活に悪戦苦闘していると妻から聞いて、彼女に出した陰の応援メールへのお礼と「毎日忙しくて大変やけど、頑張ります」の少し大阪弁の入った短いメール。

 父の日を、彼女が憶えていたのは小学校低学年の時以来…

 その時に、もらったティッシュペーパー入れと、短い手紙。

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 君は知らないだろうけど、今でもそれは僕の宝物…。たとえ、何も君からプレゼントも、言葉がなくても…僕はいつも、平気でした。

 君が生まれて来て今までの、それは沢山の、たくさんの思い出が、いつも心の風景にあるから…それだけで、父親って存在は大丈夫なんだよ。

 誰もが、今、この瞬間が、いつかは懐かしい瞬間になります。

 今日のあなたが、誰かと過ごす瞬間が、誰がなんと言おうと、永遠へと、すべてが過去に変わって行きます。

 だから「今、ここ」の瞬間のすべてを心からハグしょう!

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現実の向こう側にあるもの…

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 以前「ホームレス中学生」の本の中に、中学生の時に家族がバラバラになり、食事するお金がないので、一度、食事にありつくと、その幸せを最大限に味わうために、編み出した方法があります。

 ご飯をすぐに呑み込んでしまうと食事がアッという間に終わってしまうので、ご飯をすぐに呑み込まないで、何度も何度も気が遠くなるほど噛んだそうです。
 味がまったく無くなり液体のようになった、その先に突然、口の中に何とも言えない最後の甘い味のピークが来るそうです。それを著者の田村君と家族は「味の向こう側 」と呼び、それを確認してから飲み込んだそうです。

 現代の文明は、よりスピーデイに、便利になってゆく。お店に物はあふれ、本来、暑さ寒さを防ぐための衣服は、捨てられるのを待つようにクローゼットからあふれ出す。

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 心揺さぶられるセリフや歌も、スグに心から忘れさられ、すべてを味わいきれないまま、過去へと過ぎ去ってゆく。

 僕たちは「今、ここ」を味わうこともしないで「今、ここ」の向こう側を知らないで、人生を終わらせてしまうのかもしれません。一瞬の時間の中にも、しっかり味わうと素晴らしい感動とキラメキが隠れているのに。(カメラのCMではありません(笑))

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 人と会う時にも、僕たちは、どれだけシッカリと「その人との今、ここ」を噛みしめ、その瞳の奥にある「心」と出会っているのでしょうか?

 しっかり、しっかり、二人の時間を味わい、会話に耳を傾け、その場の空気、周囲の光、相手の息づかいを噛みしめた先にこそ、もう戻らない時間と、出会った奇跡が隠れているのかもしれません。

photo:01

 「家族の向こう側」「恋人との向こう側」「職場仲間との向こう側」「今日、歩く街の向こう側」、もう戻らない「今の自分の向こう側」そんなことを感じながら、いつも歩いている見慣れた街並みを味わってみようではありませんか。



《この時代に生きる 私たちの矛盾》

ビルは空高くなったが
人の気は短くなり

高速道路は広くなったが
視野は狭くなり

お金を使ってはいるが
得るものが少なく
たくさん物を買っているが
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが
家庭は小さくなり

より便利になったが
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても
センスはなく
知識は増えたが
決断することは少ない
専門家は大勢いるが
問題は増えている

薬も増えたが
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し
笑うことは少なく

猛スピードで運転し
すぐ怒り

夜更かしをしすぎて
起きた時は疲れすぎている

読むことは稀で
テレビは長く見るが
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが
人生を学んでいない

長生きするようになったが
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが
より良いことはなしえていない

空気を浄化し
魂を汚し
原子核を分裂させられるが
偏見を取り去ることができない

急ぐことは学んだが
待つことは覚えず

計画は増えたが
成し遂げられていない

たくさん書いているが
学びはせず
情報を手に入れ 多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている
ファースト・フードで
消化は遅く

体は大きいが 人格は小さく
利益に没頭し

人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない
夫婦でかせいでも 離婚は増え
家は良くなったが 家庭は壊れている

忘れないでほしい
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 一円もかからない

忘れないでほしい あなたのパートナーや愛する者に「愛している」と言うことを 心を込めて
あなたの心からのキスと
抱擁は傷を癒してくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握りその時間を慈しむことを
愛し 話し あなたの心の中にあるかけがいのない思いを分かち合おう

人生はどれほど呼吸するかで決まるのではない
どれだけ心がふるえる瞬間があったかだ

ボム・ムーアヘッド原作
佐々木 圭一 訳








人「間」

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 先日、東京校銀座に新潟から懐かしい受講生が顔を出してくれました。
 出版の報告です

 東京校のアイコ・マクレーンさん。彼女は新潟からメンタルに通ってくれていた頑張り屋さんの女性です。

 そして、これもまた東京校・卒業生のひすいこたろう君との共著で出版したことの報告でした。

photo:02

 メンタルの卒業生の多くは、その後、各方面で活躍し、テレビ出演やベストセラーも数々輩出しています。

 博多・大阪・名古屋・東京と、それぞれの教室に卒業生の本を飾っています。

 彼女は「ここに本を飾られるのが夢でした」と、本当にキラキラと涙顔で報告してくれました。

 今回のカウンセラーEtohのブログは、珍しく本の応援ブログです。

 そして、ひすいこたろう君のメルマガに出版のエピソードが載っていましたと、博多の受講生から教えてもらいました。ちなみに英語のepisodeの語源は、ギリシア語でepi-「間」sode「入る」という意味です。

 人と人とをつなぐ「場所」になりたいと、僕もメンタルの仲間に対しては、いつも思っています。

 下記はひすいこたろう君のメルマガより

 どうも。ひすいこたろうです。
 さてさて、
 「3秒でHappyになる名言セラピー(英語で幸せ編) 」
 いよいよ明日発売です。わーー。
 やっと読んでもらえる。うれしーー。

 今回も、この本の中から一話ご紹介させていただきます。
 あなたのブログやFacebook等でシエアしていただけるとうれしいです!
────────────────────名言セラピー    - meigen love

 0円で新しい旅に出る方法

 「discover」覆いを外すと発見する。

 「人生を変える4つの質問」
 (バイロン・ケイティ&スティーブン・ミッチェル著)という本があります。
 人生を変えるためには、たった4つの質問でいいのです。
 しかも、4つのうち、2つに登場するのが、この英語です。
 「true?」
 「Is that true?」(それって、ほんとう?)

 さらに「Is that really true?」 
 (それって、絶対ほんとうって言いきれる?)

 この2つです。
 (あとの2つの質問は本を買って読んでみてね)

 この本の共著者の、
 アイコマクレーン先生は、かつて、病気をしたことがあって、しばらく薬を飲んでいた時期があったそうです。

 だから、また具合が悪くなるかもしれないという不安があり、そのことを心理学を学んだ衛藤信之先生に相談したことがありました。
 すると、衛藤先生は逆にこう質問を返してきたそう。
 「完璧な元気を目指しているんですか?」

 「人はいつもないものを探している。
 いま、だいぶ元気になって、それでここに学びに来くることができている。それでいいじゃないですか。いまのままのあなたでいっしょにがんばっていきましょうよ」と。

 この時、無意識のなかで、
 「いつも完璧な元気であらねばならない」と思い込んでいた覆いがパカッと音をたてて外れたのだそうです。

 現実はなに一つ変わっていない。
 しかし、それでも心が晴れ渡った。
 「dis(外す)」+「cover(覆い)」
 =「discover」(発見する)
 思い込みという覆いを外したら、
 新しい世界を発見できるってことです。
 「discover」の語源はラテン語「discooperire」
 「dis」+「cooperire(=cover)」です。

 ではあなたの心の「覆い」はどうやって見つければいいんでしょう?

 「覆い」は嫌な感情の背後にある「思い込み」にあります。
 「~すべき」
 「~してはいけない」
 「~ねばならない」
 といった「思い込み」こそ、
 あなたの心を曇らせている「覆い」です。
 「子どもは学校に行くべきだ」
 「人に嫌われてはいけない」
 「お金を稼ぐためには嫌なことをしなければならない」などです。
 一度、それらの覆いを
 「それって、絶対ほんとうって言いきれる?」
 と疑ってみるんです。
 ちなみに、この本の出版社さんの名前の由来もこの「Discover」です。
 読者さんの心の覆いをはずしてあげる本をつくるのがミッションだからです。

 旅とは何も新しいところへ出かけていくことだけではない。
 思い込みというメガネ(覆い)を外せば、いま、この場で、世界は違って見えてくる。
 それが「Discover」(発見)の旅です。
 ===================================
 ●3秒セラピー
 覆いを外せば
 「Sky is the Limit」(限界はない)
 ===================================
 (↑空が限界だって書いて、
 「限界はない」って意味になるんです。英語って素敵でしょ?)

 ●アイコマクレーンコラム。
 心理学を習っていた衛藤信之先生(日本メンタルヘルス協会)に、サインをいただいたときに、先生はこう言葉を添えてくれました。

 「雲の向こうは、いつも晴れ」
 英語にすると、
 「There is always light behind clouds」
 心が曇った時には、この言葉を思い出しています(^^)

 ちなみに、衛藤先生に「この本を出すのが夢です」と伝えたときはこう言葉を贈ってくれました。
 「夢を追いかけるその時、夢のど真ん中」だと。

 ひすいこたろう君のメルマガより

 そして先日、メンタル博多校で、研究コースの講師で、ひすいこたろう君が登壇してくれた時に、一番人気だったのが、ヴィジュアルブック「HUG!friends: セラピーフォトブック (小学館SJムック) 」だったそうです。

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 これも読ませていただきましたが、白い世界に癒されて、そして、動物たちの純白の友情に、心まで漂白されてしまいました。

 どちらも僕のお薦めの本です。









未来へSTORYをつなげ‼︎

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 私の人生なんて意味がない。自分が死んでも誰も困らない。そんなことを思って死を選ぶ人がいます。本当に存在に意味がない人がいるのでしょうか?


 この世界は人の存在の内に存在している。これを「世界内存在」と呼びます。

 この文章を打っているキーボードも、タブレット型のモニターも、内部の基盤にホコリが入っていないかと工場内で検査する人がいます。水道を開いた時に勢いよく水が出ることも、水道管に破損はないかを調べている施設担当者の努力があります。歩いている駅のコンコースがゴミだらけにならないのは、清掃員の努力が隠れています。着ている服のボタンが、ボタンホールにスムーズに入るのも製品をチェックする誰かの生活がそこにあるからです。

 僕たちは誰かの存在なしでは、ほんの一時も存在することはできません。

 若い頃に「俺は一人で生きているんだよ!」とツッパってみても、誰かのお世話なしには、人は生きてはいけないのです。ツッパったところで、補導されても、家の誰かが迎えに来てくれるのです。家人でなくても、友人の誰かが迎えに来るのです。そして、誰かの家の屋根の下で眠れることを期待しています。


 ですから人は「縁」という、つがなりなしでは生きられません。また、この縁は人間関係だけではありません。


 いつも浴びている陽の光でさえ、地球に到達するのに100万年かかっています。


 太陽の内部核から、太陽の外側に飛び出すのに100万年かかります。そして、太陽の外側から宇宙へ出発した光の粒子は8分かけて地球に到達します。僕たちが見ている太陽の光は100万年と➕(プラス)8分の歴史を乗り越えた光の粒子なのです。


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 100万年前と言えばアフリカで人類の祖先がようやく登場した頃です。その頃に生まれた光を僕たちは浴びているのです。


 この地球上のすべての動物や植物、海のプランクトンにいたるまで、その太陽の光のエネルギーが必要なのです。その天からの光の恵も太陽の奥深くで100万年前に今日のために作られた贈り物です。


 また、僕たちが住んでいる銀河は、地球から見ると星が集まった光の川に見えます。それを天の川と呼びます。そして、僕たちの銀河系の大きさは端から端まで10万光年です。これもまた10万年前の星の発した光を僕たちは七夕に眺めているのです。


 10万年前と言えば、アフリカから人類の祖先ホモサピエンスが中東やヨーロッパに広がった頃の宇宙の姿を、私たちは見ています。七夕の夜に仰ぐ光は、10万年の昔に、星々の発した光なのです。宇宙を見上げた時、僕たちは深い歴史の重なりを同時に見ているのです。


 そして、あなたの存在には、両親である父親・母親の2人の親が存在し、その両親には、さらに2人ずつ計4人の祖父母がいます。その4人の祖父母には、それぞれの両親がいるのですから8人の曾祖父母がいます。その上の両親は16人、その人たちにも両親がおり、その数は32人。その次の6代前は64人となり、10代前では1024人になります。15代前は3万2768人になり、そして20代前まで過去をさかのぼると、それぞれの両親の数は104万8576人にまでになります。


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 「自分の番(いのちのバトン)」


 父と母で二人

 父と母の両親で四人
 そのまた両親で八人
 こうして数えてゆくと


 十代前で、千二十四人
 二十代前では…?

 過去無量の
 いのちのバトンを
 受けついで
 いま、ここに
 自分の番を生きている


 それがあなたのいのちです
 それがわたしのいのちです


 作: 相田みつを



 そうなのです。あなたの先祖の一人が、人生を悲観してどこかの世代で命を断てば、あなたはこの世には存在しえなかっただろうし、もし、現代に生きている誰かが「わたしなんて…」と言って、自分で命を断てば、20代先の未来の命が104万8576人分、一瞬にして失われることになります。それは恐ろしい大量殺りくです。

 その未来の105万弱の人たちの中には、星の天文学者になる人、偉大なスポーツ選手になる人、誰かのように臆病でも、それでも一生懸命に生きて、幸せな家庭を守っているかもしれないのです。その小さな幸せも、今を生きる誰かの一瞬の判断ミスで、すべての未来のドラマが0(ゼロ)になってしまうのです。


 ですから、今は死にたいほど辛くても、しがみついてでも生きようとする、あなたの「今日」が、多くのステキな物語たちを救えるのです。


 両親のドラマには、たくさんの人々のつながりが存在していたことでしょう。二人をとりもった人々。二人がデートした喫茶店でコーヒーを運んだウエイトレス。映画の切符を販売した売り子。そして、美しいと思った道ばたの花ですら、100万年の光が必要でした。


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 誰かの存在には、多くの人々の偶然が関わり合って、命のバトンがあなたに渡されたのです。


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 このように、誰かのために、たとえ自分に子どもがいなくても、あなたの存在がなくてはならないのです。


 あなたの存在は絶対必要です。


 呼吸するのがツラく、何もかもが意味がないと思えても、一休みしてもいいし、泣いてもいいから… 自分に渡された命のバトンを、決して自分で捨ててはいけない!


 どんなことをしても、来たるべきSTORYのために生きてくれ!













美意識に生きる。

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 アクティブ(能動的)に生きるか、パッシブ(受動的)で生きるかで、人生に生きるうえで、ストレス度合いは変わってくると思います。

 ある人は、ある後輩OLにイライラすると言う。こちらは残業して頑張っているのに、後輩OLは我、関せずというように定時でサッサと帰ると言う。
 その態度にあきれてしまい、気に入らないらしい…

 僕は「君も定時で帰ったらいいのに」と言うと「それは出来ない。そんなことをすると仕事がどんどん溜まっていく」と首をふった。
 「じゃぁ、君が定時で帰ることを選ばないで、残って仕事をすることを選んだ!」と言うと「違います!それは、しょうがないから、私がやるしかないから」と不服そうに反論した。
 人は定時で帰るのも、残って仕事を終わらせたいと思うのも、選ぶことは誰でも自由なのです。

 もちろん、立場的にそんな勝手なことは出来ないと人は思うかもしれません。そんなことをしたら「責任がはたせない!」と言いたくもなるかもしれません。でも、誰かから無責任とレッテルを貼られたとしても、定時に帰ったからと言って法律上で裁かれるわけではない。でも、そんな無責任な自分にはなりたくないから、残って仕事をすることを彼女が選択しているのです。

 アリの研究者によると、働きアリの巣を調べてみると、働きアリと呼ばれていても、巣の中にいるすべてのアリが働いているわけではないのです。2割がモーレツに働き、6割のアリが普通に働き、2割が何もしないアリなのです。そこで、アリ研究家が、五ヶ所の働きアリの巣からよく働くアリを選び出し、最強のアリ集団を作ろうとしたところ、実際にはすべてのアリが働くわけではなく、観察していると、やはり2割が思いっきり働いて、やはり6割が普通に働き、2割がサボりだしたのです。では、それぞれの巣から、ちょ~なまけ者のアリを集めてサボりのアリ集団を構成したら、全員のアリがサボって、あげくに飢え死にするのかと言えば、そうではなく、2割がモーレツに働きだし、6割が普通で、2割は以前と同じくサボって何もしなかったそうです。

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 実は、これは人間社会にも言えます。モーレツに働く人がいて、ほとんどは普通の人びとで、やはりサッサと時間がくれば、何も感じないで帰る人がいます。問題は、自分がどの集団に所属したいかなのです。

 僕も仕事を放り出し、家族を捨て、インディアンの地で一生、風の吹くまま、気の向くままに、自由な生活をすることも可能なのです。または、部下だけを働かせ、自分だけは、自由に気ままなエンジョイ・ライフを選ぶことも可能なのかもしれません。でも、それを選択し、ノホホンと生きていくことをカッコイイとは思えないし、そんな自分が決して好きにはなれないのです。

 自分のデザインは、自分自身がしていくものだと僕は考えています。親や周囲の影響ではないし、まして大人になれば選択は自由なのです。だから、誰かに仕事を押し付けてサボる側を、自分はカッコいいとは感じないし、そんな自分の生きかたを美しいとは、僕には思えないのです。だから、僕はハードワーカーな日常を、笑顔で走っていたいのです。

 アメリカで車を傷つけられたことがあります。ユーズドカーではあっても、気に入って購入した大切に乗っている車でした。その時に僕が「ヒドイ!」と落ち込んでいたら、カウンセラーだった先輩が「ノブ、こうやって人の車を傷つけて楽しんでいる人間の気持ちが解るか?」僕は即座に「解らないです。何でこんなことをするんだろう?」先輩の彼は即座に「俺にも解らない」と応えた。

 そして、次に彼はこう続けた「ノブ、ヨカッたな。俺たちは人の車を傷つけることが、楽しいと思えない側で生まれたんだ! この車を傷つけた人に、何があったのか?どんな幼少期や人生を生きて来たのか…俺たちは傷つけられた側だ、誰かの持ち物や車を、傷つけないと人生は楽しめない側でなくてヨカッたなぁ、俺たちは。『そんなくだらない楽しみが解らない⁈ 』と首をかしげる側で生まれ育ったのだから…感謝しよう。なぁ、ノブこの哀れな者のために祈ろうではないか!」と、彼はクリスチャンだった。初めてキリストの精神の奥深さを垣間見た気がした。

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 人生は、自分で自分をデザインできるのです。人を裏切る生き方をするか、人の不幸を喜ぶ側でいるかは、その人の選択なのです。
 ラクして生きる側でいるか、自分をストイックに追い込んで「満足した人生だったなぁ」と人生を笑って終わるか。

 それは、人それぞれの美学なのです。

 ですから、冒頭の女性は「自分が責任を持って働くほう」を自分で選択していると思ったほうがずーっとカッコイイ。いつでも、定時に帰ることも彼女には選択できるのです。でも、そんな自分は素敵と思えないなら、笑顔で職場に残って、ひょうひょうと仕事をこなしていることが美学だと、僕には思えるのです。

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 誰かの、だらし無い行動を見て、眉間にシワを寄せ、イライラ苛立ちながら、仕事をする時間がカッコイイと思うのか、それとも「人は人、自分は自分。私がステキだと感じて選んだ道を行く」と、軽やかに笑っている彼女の方が、ずーっとカッコイイと思えます。それが、生き方の美学です。

 アリの原理ではないですが、サボる人がいるから、自分がガンバろうと思えるし、その結果、自分は人間的にも鍛えられ成長もするのです。

 ただ、間違っていけないのは、早く会社を帰ることも悪くはないのです。その時々に自分のベストを選べばいいのです。
 サボってはいけないと思えば自分自身も追い込まれるし、早く帰る人を許せなくなり誰かを裁き攻撃したくなります。ガンバリを持続させるためには息も抜かないと…

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 カッコ良さは自分で決めればいいのです。自分を好きになるためにも…

 ある時期から、僕は自分自身をデザインすることの美学を意識し始めて、損とか得とか、そんな小さいことを考えなくなっていきました。

 そんな軽やかに生きられる自分を好きになっていったように思えるのです。

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