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Channel: 日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき
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自分らしさって?

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 女性のタクシー運転手も増えてきました。

 

 先日乗ったタクシーの運転手は女性で65歳の人でした。女手一人で息子さんを育てあげたそうです。その愛する子どもも結婚し、幸せになってくれたから、今が一番幸せだと彼女は言った。タクシーに乗って8年目、その前は洋装店をやっていたが低価格の量販店の進出で、年々売り上げが下がり、泣く泣くお店を閉めてしまったそうだ。

  一度、やり出したお店を閉めるのは勇気と決断が必要です。店を辞めようと決心しても「ここがあるから洋服に悩まない」と、一人でもお客様に言ってもらうと決心がゆらいだと言います。

 

 僕の父も長年やってきた仕事を閉じた時は苦しかったと思う。でも、従業員に給料を払い、重機のリースを払い続け、仕事がなければその重機は休ませねばならないし、ただ仕事がなくても従業員には給料を支払わなければならない。そんな彼に「父さん、借金してまでも、会社をやり続けるより、もう、ゆっくりしたらどうだろうか…」と僕が父の闘いにタオルを投げてしまった。その仕事が父の生きがいで、彼のすべてだと重々知っていた僕だったのに…

 

 経営者は上潮の時はいいのです。でも、引きぎわの瞬間は何よりも苦しい。僕も経営者の端くれとして、今なら痛いほどにわかる3年前の父の気持ちが…

 

 ただ僕の記憶の中には、彼の経営者としての闘いの日々も喜びも残っている。決して家庭人ではなかったけど、仕事には惚れていたことを…

 

 話は外れましたが、前述の女性ドライバーは、とっても穏やかなハンドルさばきだったので「とっても走りがスムーズですね。運転歴は長いのですか?」から始まった会話でした。

 

 店をしていた若い頃と、手放さなければならない時代の淋しさが、車窓から流れる街の景色に重なって、栄枯盛衰の儚さを感じていた…

 

 「その後『喫茶店でもしようか』とも考えたのだけど、また従業員やら支払いやらと考えるとね…。でも、給料暮らしはいいわよ。ただ、一所懸命にやればいいんだから」と彼女の話はつづいた。

 「じゃぁ、今は充実しているわけですね」と僕。

 「そう、一番充実していますとも。何よりも何時間でも安心して眠れる。私くらいになると、友人たちは寝ても『3時間ごとに目が覚めるよ』と言うのよ。でもね私は15時間でも眠れるのよ。休みの日には『もう夕方じゃない』って時もあって自分でもビックリするんですから」

 「へーそれは若いですね!僕でも15時間は眠れないなぁ」と会話が今の現実の世界へ引き戻してくれた。

 

 悩める人を面談していて感じることがあります。

 

 人は本当に身体が疲れているとよく眠れます。彼女が言うように15時間でも眠れてしまうものです。でも、心が疲れていると眠っても浅い眠りになってしまう。この女性ドライバーは一生懸命に、今を充実して生きている。だから、身体は疲れていても心までは疲れてはいません。

 彼女が経営者だった頃には、支払いの期日と戦っていたのでしよう。未来の不安に一生懸命にあせって、戦っていたのだと思います。

 そして、こういう時ほど悩むタイプの人は「明日のために眠らねばならない」とあせりだしてしまう。早く寝て明日の仕事にそなえなければと、さらにあせりだすのです。

 

 もっと睡眠を充実させて受験勉強にそなえなければとか、仕事をこなしてローンを早く払わなければとか、早くあの人に報告書を提出しなければならないと…焦ってしまう。悩むタイプの人は、仕事をやった後に疲れたのではなく、行動をする前に、考えることに疲れきってしまうのです。仕事をやって疲れた人や、運転をして疲れた人は、眠ることに努力はいらないのです。

 だから、悩むタイプの人は、現実の仕事は一つも進みません。そして、また仕事が進まないことで「このままではいけない」と、またアセる。

 

 これらの人々は、きっと「もっと早く」「もっとシッカリ」と言う、過去の人たちから、心の中では、いまだに叱られ続けているのかもしれません。その結果、他人からすれば何でもない職場環境に対しても、その人にとって恐ろしい場所になってしまう。その人が考えている以上に周囲の人々は好意的なのに…

 

 こんな時は疲れているのだから、仕事をやらないでいいし、ムリに眠らなくてもいいのです。しっかり周囲に相談して休めばいいのです。それを許してくれない会社ならトットと辞めればいいのです。その会社は、自分自身には合わなかったのです。受験に落ちるなら、そこは行く必要がなかったのです。家のローンが払えないなら、早く持ち過ぎたか、借家の中にこそ自分らしい幸せがあるのかもしれません。競争に負けたなら、負けた美学を学び講師になればいいのです。どれをとっても死ぬようなことは起こらないのです。すべてに悩み続けていた後に「もう後は、死ぬしかない」と、なれば本末転倒です。まったくアホな話しです。

 

 人生これが成功とか、これが失敗とか、自分で勝手に現実を体験しないで決めつけているのです。いや、誰かに間違った幻想を押しつけられていたのです。僕たちは他人の奴隷ではなく、自分が主人公なのです。自分らしく堂々として生きればいいのです。

 

 そんなことを考え(セルフ・カウンセリング)ているとタクシーは目的地に到着しました。「ありがとう!今を楽しんでいる運転手さん。ステキな時間でした!」

 

 久しぶりに大分に帰ってみようかなぁ。父に、今の自分を味わってほしいと思うから…息子ではなく心理カウンセラーとして。

 

 

 

 


世界と仲良くなろう

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 成功とはなんだろう!

 

 それは、どんな状況でも幸せを感じる心の内側にある能力の獲得で、外の環境的な幸せではないと僕は思っています。

 

 お金や、周囲からの注目を集めなくても、貧乏は貧乏で楽しむ人。無名は無名で人生を援助している人。愛の時も楽しめるし、愛する人のいない期間も楽しめる人。高級なフランス料理も味わえるし、質素なお茶漬けにも舌づつみも打てる人。高級なスーツで完全武装しなくても、安物の吊りのスーツでも、イキイキしている人です。

 こういった人々は、「幸せとは〇〇である」と、他人から与えられた固定観念が少ないのです。

 

 カルト教団に引っぱられる人や、詐欺にあう人は「貧・病・劣」に弱い人だと言われています。

 ここに来るとお金持ちになれます。不治の病が治ります。優秀になって成績が確実に上がります。

 

 僕はカウンセラーとして、お金持ちが決して幸せとは思っていません。お金や地位に頼って、人間的に鼻持ちならない人もいっぱい見て来ました。その逆に、心の優しき貧乏人もたくさん知っています。病も不摂生な自分を正すチャンスを教えてくれ、病んだ時にこそ周囲の親切や、優しさに気づかされます。また、劣っているから、弱さや劣っている人々への優しい眼差しが生まれてくるのです。

 

 お金持ちにならないと、健康でなければと、劣った者はくだらないと、なると、お年寄りや重複障害者に、不寛容な社会になってしまいます。相模原の重複障害者への恐ろしい殺人者の信条も、その考えが肥大したものです。

 

 これが優れた人、劣った人、お金持ちが勝者、貧乏人は敗者となると、不安感は社会の競争心を生み出し、その競争に破れた人々は勝手に自信を失い、より心の病が日本中に広がっていきます。お金持ちでなくても自然は平等に存在します。誰の上にもお日さまが降りそそぎ、めぐみの雨を与えてくれます。青空は、優秀者やお金持ちの頭上にだけ存在するのではありません。夕日はやはり美しくもせつなくて、人の親切や笑顔はどこにでも探せば、あなたの周りに存在するのです。

 

 不安な心のメガネで世界を見わたせば、そんな世界の美しさすら感じられなくなって、間違った世界観で生きてしまうのです。鬱の時は、世界は色を失います。そして、世界から嫌われ取り残された気分になります。

 

 同じ会社でも、バリバリと仕事をしている人と、心が憂鬱になる人がいます。

 

 それは「ハードに働かなきゃ💦自分はダメ、ダメ人間だ!」と、周囲から見捨てられる不安から走り回っている社員と、ただただ、自分の「今を味わって」ワクワクな日々を楽しんでいる人々がいます。働くハードさは同じなのです。でも、笑顔の人もいれば、見捨てられる恐怖からハードに働く人がいます。

 

 これは、追われる獲物と、追っている猟師の違いです。互いに同じ速度で追って、追われて走っています。「追う者」と「追われる者」とは、速さは同じなのです。でも、心理的に不安と疲れかたが違ってきます。

 

 獲物(追われる者)は恐怖の不安から走り、ハンター(追う者)は獲物を仕とめる楽しさで同じ速度で走っているのです。人生も同じく楽しく今を走りたいものです。

 

 「成功セミナー」に馳せ参じる人は、成功しなければ「人生は負け組みだ💦」という「同じ価値観」を持った人々ばかりに出会うことになり、さらにかたよった世界観を信じることになります。そして、さらに未来の不安感を強めます。その世界観を信じ、そのようにアクションをすればするほど、そのかたよった思い込みは強固な固定観念に固められていきます。成功しない自分は価値がないと

 成功していても、さらに成功、成功と不安な人は、もうすでに今の自分では価値がないという不安からのスタートです。そう自信のなさからスタートです。これらの人々は、どこまで成功しても脅えています。永遠に不安から追いたてられます。

 そして、「成功した自分」と「成功しなかった価値のない自分」という不安から、その人の未来は単純に二元化して、追われる者の心理にかたよっていきます。

 

 そして、会う人は自分に役にたつか、役にたたないかの二元化となり、さらに、この姿勢は、儲かるか?儲からないか?で周囲を見渡すので、この人のビジネスも決して成功しません。さらに不安から人に会いつづけるので、心からの友情は生まれなくなり、周囲の援助も得られなくなるという悪循環に入ってしまうのです。

 

 メンタルの教室で教えたいことは、本当の成功者はひょうひょうとしていることです。あせっていなくて、友人が友人としてだけに存在しています。決して金づるではありません。いつも、自然に歩き、自然に周囲にとけ込み、自然の太陽も小鳥のさえずりも、人びとの笑い声さえ決して、こちらをあざけったり、さげすんだりしているとは思っていません。世界と融和して生きています。

 

 僕はそれが成幸者だと思っています。

 

 あなたは最近、ゆっくり景色を眺めながら歩いていますか?風の音を聴いていますか?冷たい空気さえも「今日が平和だよ」と、優しく告げてくれていますよ。あくせくしたって、世界は同じ速度で廻っています。ゆっくりと、ゆっくりとね。

 

 まずは、そこから始めましょう。

 

 世界は敵対するものではなく、味方で味わうものだということを

 

 

 

 

 

 

 

 

年の瀬に、心の決算書を!

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 日本には内観療法という歴史ある心理療法があります。親鸞の「身しらべ」という修行から作られた自己探求の技術です。

 

 内観療法では「誰かの世話になったこと」「誰かにして返したこと」「誰かに迷惑をかけたこと」を一人静かに孤独になって、自分の誕生から現代までを、年代に区切ってふり返る時間を作る歴史のある心理療法の一つです。

 

 ある刑務所に入っていた受刑者が「自分は誰からも愛されなかった!」だから世界を憎んで、復讐する気持ちから犯罪をくり返していました。

 

 刑務官のススメで内観療法をやって受刑者が気づいたこと、それは、自分を捨てた母に会いに出かけた幼い頃の記憶

 

 その母は、もうすでに別の男性と暮らしていました。そのことから「自分自身は、やはり実母に捨てられたのだ」と恨みが残っていました。

 

 母の住む家を訪れた時に、実母が一緒に住んでいる男性に語ったセリフが、幼い彼をさらに傷つけました。

 「息子が来たから、面倒だから、お金をあげて追い返すよ!」と実母が、男にコインを見せ、自分の手のひらに握らせて追い返すようにして、後ろで戸を閉めました。彼の記憶は、それだけでした。彼は泣きながら帰った、悲しくて淋しい記憶

 

 ところが内観療法中に、彼も忘れていた記憶がよみがえって来たのです。

 

 母の家から泣きながら帰っている時に、そのコインの形状が変わっていたという忘れていた記憶。そのコインは、米つぶをノリ状にして数枚に重ねた細工されたコインでした。そのコインは一枚のように見えて、何枚か重ねていたのです。

 

 それを彼が、帰りの田んぼの水で洗って数枚のコインにしたという、消えていた記憶さらに、その米つぶのノリが硬くなっていたのは、息子が来た時のために、実母がずっと前から準備していた証拠だった。なぜなら、米つぶのノリが固まっていてコインを分けるのに、幼い頃の自分が苦労した淡い記憶。それは、母が貧乏な生活の中で、息子が自分の所に訪ねて来た時に、コインをたくさん息子に渡してあげたいとの思いで、時間をかけて母が細工した愛のコインだったのです。

 

 そして、一緒に暮らしている男性には、外側のコインを見せ、子どもには細工したコインをしっかりと握らせて、あわてて戸を閉めた母の姿でした。それは、自分を愛していなかったのではなく、自分は愛されていたことを示す忘れていた記憶だったのです。

 そして、冷たいと思っていた母は「子どもの来訪を願っていた、愛情多い人だったのだ」という確信に変わりました。

 

 また、母の家からの帰りに、泣いていた彼に「大丈夫か?坊や」と声をかけてくれた、優しい大人たちのこともそんな自分自身は、社会や周囲に、何もお返しをしていないということに気づき、彼は模範囚へと変身していきました。そして、彼はお返しをするために社会に復帰したのです。

 

 この年末を、皆さんは、どう過ごされますか?

 

 年末は、普段は落ち着きはらった師匠たちも、年末はあわただしく走りまわる日本の「師走」と違って、アメリカの修道院で生活をされた人のお話しでは、年末の三日間は、静かに一年を振り返る三日間だったそうです。第一日目は、一年間を反省する日、二日目は、一年間に、いただいた恵みを思い起こす感謝の日に、最後の三日目は、新しい年を、いかに与えて過ごすかと決意をして祈る日だったそうです。

 

 この修道院での「年の瀬」の過ごしかたは、忙しさの中に見失っていた「自分の内部」を知る機会になったのだ。と… 

 

 そして、この人は語ります。

 

 人はいつか、自分の「一生涯」にケリをつける日を迎えると。それは、年の瀬どころではありません。その大いなる人生にケリをつける瞬間に大切なことは「私たちが集めたものではなく、私たちが与えたものなのだ」と

 

  過去、愛されなかったという人にかぎって、周囲の人を、今、愛していない自分にはフォーカスしないものですね。暗い、くらいと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょうよね。

 

 年の瀬は、商売人は棚卸し、在庫確認、集金とあわただしいです。後は、帳簿の売り方、買い方の締めもあるのかもしれません。だったら、心の貸借対照表を書いてみるといいかもしれません。

 

 この一年、心にお借りしたものと、心づかいをお返した量を

 

 え!借方が多いですか それは、心が負債でいっぱいで大赤字ですね。

 

 それでは、来年はシッカリとお返しして、人生の貸方を増やしましょうよ。

 

 もちろん、それは僕にも言えることです。

 

 今年もたくさんの優しい心から、お借りしたものが僕の心に積もっています。来年には、何とか、お返しをしたいと、はい💦考えております。きっと💦

 

 本当に、今年もたくさん、ありがとうございました💝

 

 

 

 

Welcome2017❣

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 お正月休みの人も、そうでない人もいると思います。

 

 お正月は、それぞれに実家に帰ったり、家族が集まるので準備をしたりと、子どもになったり、親や祖父母、叔父叔母さんの役割をする人がいるかもしれませんね。幸せでもあり、大変でもあるのかもしれません。

 

 日常とは違う役割をこなすのは、嬉しくもあり、ストレスがかかることでもあるからです。

 

 お孫さんが来たら色々と遊び相手をして、観光地や買い物に連れて出かけ、頑張り過ぎて、お孫さんが帰った後に寝込む高齢者が多いのも事実です。

 

 人の体温や心拍数や呼吸の状態が安定していることを恒常性(ホメオスタシス)と呼びます。もちろん、日常の仕事にも恒常性はあるのです。同じパターンの動きが多い日常の行動パターンがそうです。
 ハンス・セリエ博士は、ストレスとは恒常性が崩れた時に身体に誤作動を起こし、それが病気につながることを発表しました。これがセリエのストレス説です。

 

 だから、正月でも、引き続き仕事をしていたり、変わらない日常を過ごしている人は、正月休みを楽しむ人びと見て、うらやましく感じられるかもしれませんが、うらやましがらなくても大丈夫です。
 その変わらない生活は、日常だからストレスがかかりにくいのです。ただ「みんな休めていいなぁ」「自分は損だなぁ」「なんで正月なのに働いているんだ💢」と、思うと心的なストレスになり、不快ホルモンが身体を行きめぐって病気になるかもしれません。

 

 それよりも、多くの人びとが、お正月休みを楽しめるのは「我々が、今も働いているからだ」と正義を守るヒーロー、スーパーヒロインのような広い心でいてください。それが、ストレスが一番かからないどころか、幸せホルモンが身体を行きめぐって健康にしてくれますから。

 

 そんな中で、ボーッと休みの日にNHKを見ていると、人工知能AIが人間を超える日が、もうすぐ来ると言った議論をしていました。

 

 AIは人びとを幸せにするのか、不幸にするのかと言う論議もしていました。AIのスーパー能力を殺人マシーンに転用されるかもしれない。それがテロリストのような恐ろしい人達の手に渡ると、不安だと言う意見と、だからこそ、たくさんの人々がチェックできるようにコントロールしていけるのだから大丈夫だ、という意見に分かれていました。

 

 良い人が武器を使うのか、悪い人が武器を使うのかと言う議論は、昔からあります。でも、どんな良い人も、立場を変えると悪い人の側面が生まれるのも人間の悲しいサガです。

 

 日本に原爆投下を許可した、トルーマン大統領は家庭では良い父であり、近所の子どもたちに対しても優しい隣人でもありました。その彼が第33代アメリカ合衆国大統領の立場に立ち、アメリカの若者を戦地に向かわせて、戦争被害の拡大をくい止めるために早期の戦争終結を考えてしまうと、原爆投下の命令を平気で許可してしまうのです。

 

 また、多くの戦争も自分たちの正しさで始まるのです。

 

 ここに人の心理があります。

 

 人には、誰もが二面性の側面を持つ怖さがあるのです。だからこそ「自分たちが正しいから間違うわけがない」と言う思い上がりを越え、人は誰もが間違いを犯す存在なのだと自覚することが、何よりも大切な時代なのです。

 

 だから、人は間違うから、人工知能に、人類の方向性を任せるのだ!と言う議論が最も危険なのです。

 

 なぜなら、人工知能(AI)は決して自然な知能ではないのです。それは、高度な人工道具です。その人工知能に情報を入力するのも、自分の立場だけの幸せを求める人間なのです。人工知能が勝手に考えることはありません。やはりどこまで行っても高度な道具に過ぎません。入力情報によっては、完璧にかたよったまま判断し、かたよりに間違わない存在になるのです。

 

 だからこそ、良い人、悪い人という二元論の議論を越え、人類の血の通った人の心が、未来さらに進化し、他者の苦しみが、自分の苦しみに直結し、世界規模の視野で、幸せを考えられるグローバルマインドを育てないといけないのです。そんなことをテレビを見ながらぼーっと考えていました。

 

 2017年、ステキな未来の第一歩になることを!

 

 

 

成功の奴隷ではない

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 さて、僕も2017年の仕事が始まりました。
 そして、暖かだった天候も冬らしく寒さが戻ってまいりました。
 企業講演からスタートし、名古屋のメンタルヘルス体験講座と、東京の昼の体験講座と、目まぐるしくそのまま夜の講座、そして、土曜日は東京の2回目と忙しいスタートです。

 

 ある体験講座で女性が質問してくれました。
 「自分は小さなことで落ち込んで、前向きになろうとするのだけど、前向きになれない」とのこと…
 その時僕は、前向きになれない時、落ち込む時は、自然は逆らわずで、落ち込めばいいと思いますと答えました。前向きになろうとしても、そのようになれない時に「前向きにならないと良くない💦良くないのに💦」と思うと「理想の自分」と、そうなれない「現実の自分」にギャップが広がってゆき、さらに理想の自分になれない自分を責めて落ち込みます。これが悪循環になる。

 

 だから、眠れない時に、眠ろうとするとよけいにイライラして眠れなくなる。
 大切な人を失った時には、悲しいくらいに泣いて泣き切って、落ち込んだほうが、立ち直りが早く来ます。だから、お葬式の時に気丈に振る舞っている人よりも、大いに泣いている人のほうが、立ち直りがとても早い。

 風邪の時には熱を出して思いっきり汗をかく。これをカタルシス(解除反応・浄化)と呼びます。日本では喪に服す時期、西洋でもモーニング(Go into mourning.)と呼びます。
 昔から人はムリをしないで、泣く時は泣く、落ち込む時は、徹底に落ち込むことが大切だと知っていたのです。
 
 講座後、本のサインの時に別の参加者から「それは、先生が「落ちた後には、必ず登る!」との成功経験があるから言えることですよね。僕も成功体験があるから、それは分かりますけど、成功経験がない彼女にはムリなんじゃないですか?」とスマートな紳士に訊ねられた。
 いやいや、僕は未だに、君ほどに成功体験したかどうかは分からないけど💦
 
 僕は「落ちた後には、必ず人生は登るから!」と、言いたかったんじゃないんです。それなら、成功は善、落ち込みは悪という尺度を、また作ってしまいます。そうすると最終的には「成功が良いこと、成功しないことが不幸だ!」という呪文から永遠に人は抜け出せない。今は「成功を目指すために落ち込め!」ではないのです。
 
 インディアンは雨の日も、晴天の日も、嵐の日も、靄(もや)の日も、人生にはある。そしてそれを楽しむことが「人生を楽しんでいる」と言える人だと僕に教えてくれました。
 
 晴天に恵まれなければ楽しめないでは、人生の一部しか楽しめないのです。
 病から教えられることもあるし、大切な人との別れから学べることもあります。また、貧乏だから得られる友情もあるのです。過去に成功した人が落ちぶれた時に、自殺する人は成功の奴隷だったのかもしれません。

 

 成功しなくても、貧乏でも楽しめる人が、人生サバイバルの達人です。
 
 だから、自己実現理論のアブラハム・マズローは「真の成功者はリッチな料理も楽しめるけど、貧乏な質素な料理にも最高の幸せを感じる人だ」と言っています。
 
 多くの人が前向きの奴隷、成功の奴隷、良いこと続きの人生の奴隷になっています。
 
 ならば、インディアンの言うように雨の日には、読書をしたり、音楽を聴いたり、ボーっと窓に落ちる雨しずくを眺めたりして楽しみましょう。
 
 そう、僕らは前向き、ポジティブ、成功の奴隷ではない!
 
 僕らは人生のフィールドで、すべての時を楽しみましょう!

 

 

 <<奴隷なんて者に>>

 

 前向きの奴隷になるな! 後向きな風向きの時も人にはあるから。

 

 チャレンジする時に、成功の奴隷になるな! 失敗にも豊かなドラマはあるから。

 

 「失敗してもいいなんて、そんな負け犬の遠吠えじゃないですか」と人の意見の奴隷になるな! 貧乏でも陽が昇ることに感動する人のほうが、成功していても空も見られない日々を過ごしている人よりは幸せだから。

 

 これが幸せだなんて人々の常識の奴隷になるな! 幸せなんて人の数だけあって、それぞれに発見するものだから。

 

 人の意見の奴隷になんて…

 

        by 心理カウンセラー 衛藤信之

 
 

 

 

本当のクールジャパン!

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 対立する個人感情。

 

 お互いに相手と感情がぶつかった時に、どうしても自分は間違っていないというスタンスに立ってしまいます。

 

 その時に心理学の世界では、エンプティ・チェアーという技術を使います。
 自分の気持ちを白紙にして、椅子を向かい合わせにして、相手の空席に座って、相手の置かれた立場や、生い立ち、相手から現実がどう見えるのか?を考えてみるのです。すると「負かしてやろう!」から「気持ちは分からなくはない」という心が生まれます。

 

 慰安婦像で日韓関係が悪化しています。日本は一昨年の日韓合意において、慰安婦問題は『最終的かつ不可逆的解決を目指す』を確認して、それに10億も払ったのに、どうして慰安婦像が釜山の日本領事館の前に立ったのか💢となります。

 

 でも、この考えに韓国人は納得できないのです。「お金を払えば問題は解決したでしょ!」という日本政府の見解に憤りを感じているのです。当然のごとく1日に40名近くの男性の相手をさせられて、それを自主的にしたのだと断定されていることに納得できない人がいるのです。
 なぜなら、過去慰安婦だった人の4分1は、その費用を受け取ってはいないからです。もちろん、受け取った人は戦後70年たって「もうこだわりたくない」と思って受け取った人もいるのでしょう。その受け取った人に日本人は「やっぱり金なんだ!」と言ってしまう姿勢は、僕は「人としてどうなのか?」と思ってしまいます。

 

 受け取らなかった人たちが求めているのは日本政府からの謝罪だったのです。その日韓合意の時に「これから日本と韓国の関係は良くなると思いますか?」という質問に対して、韓国の半数以上の国民が「YES」と答えました。

 

 しかし、その後に安倍首相は記者からの質問に対して「その出来事に日本政府は謝罪をする気持ちは“毛頭”ない」と言ってしまったのです。これに対して「日本と韓国の関係は良好になる」と答えた人は10数%に下がってしまいました。

 

 「戦時中に拉致があったか、自主的だったかは別にして、性的に強制的に男性の相手をさせられた人がいたのなら、それは悲しい出来事だと思います」と安倍首相は言うべきだったのです。

 

 ここに叩かれないドイツと世界から誤解される日本の違いがあります。

 

 ドイツでは、ユダヤ人を大量虐殺した施設のアウシュビッツを自国の費用で残し、虐殺されたユダヤ人の慰霊式典のたびに哀悼と反省の声明文を出しています。そして、ドイツの学校では「人は自分が正しいと信じ込むと、これほどの殺戮(さつりく)をしても人は正しいと思ってしまいます。だから、戦争は狂気なのです」と教科書で教え、平和教育で自分たちが正当性を持って戦った戦争であっても「人を傷つけた事実は一生涯、癒えるものではない」と、その教育を徹底しています。

 

 それに対して日本は、慰安婦は「20万人はでっち上げだ!」とか「強制ではない。」「公募で集まったのだ!」と反論をくり返しています。

 

 ここで「自分たちが正しい」から離れて、白紙になって考える練習が必要になります。

 

 あの慰安婦像を製作した作家は、韓国がベトナム戦争の時に、ベトナムの農村部で行なった非道な振る舞いに対しても、ベトナム戦後50年という節目に謝罪と反省も込めて韓国政府も一緒になって「ベトナムピエタ像」を贈っています。それは韓国のやった非道さを象徴するモニュメントです。「日本に謝罪を申し入れるならば、韓国が行なった非道な振る舞いを自ら反省すべきである」と…

 

 この報道に、韓国のネットユーザーは「ベトナムピエタ像」に非常に多くのコメントを寄せました。

 

 「韓国が日本と違うことを示すためにも、韓国は積極的に謝罪をすべきだ」
 「まず先に謝らないと恥ずかしいよ」
 「自分たちも過ちについて謝罪するのが正しい。韓国軍による虐殺は恥ずかしい歴史だ」
 「教科書にも載せて。このままでは歴史を捏造(ねつぞう)する日本と変わらない」
 「ベトナムの人たちに慰めの心を伝えよう」
 「人々が苦しむことのない世の中、戦争のない世界、これ以上、無念の死がない世界になることを願う」
 「韓国にとって慰安婦が拭い難い痛みであるように、ベトナム戦争で暴行被害に遭った女性たちの痛みも忘れてはならない」
 「良識ある国家こそ誇れる国家だ。日本に要求するのと同じように、ベトナムに謝罪しよう」
 「事実をありのままに認め謝罪すべきだ。自分が被害者だからといって、それで済まされるわけじゃない」
 「もっと早くやるべきだった」

 

と多くの若者がネットで寄せいています。

 

 「慰安婦像は気にくわない!💢」と叫ぶ前に、違う角度から白紙にして物事を見る必要があるのが紛争回避です。

 

 今、世界は自国の利益や怒りが蔓延している国際情勢で、その流れに流されないで物事を受け止めたいと心理カウンセラーとして思っています。

 

 このようなブログで、自分の思いを載せることは、批判の矢面に立つかもしれません。「もしかして、衛藤先生は在日韓国人ではないのか?」とか「じゃ、日本から出て行けばいいじゃないか!💢」と思われるかもしれません。

 

 僕はまぎれもなく日本で育ち、純血な日本人です。だからこそ日本が心から好きです。前にもブログで書きましたが、戦時中にアメリカの大統領が死去した時に、軍の宿舎で歓声がわいた時「たとえ敵であっても、人が病気で亡くなって喜ぶとはなにごとか!亡くなった人の愛した家族のことを思い静かに黙祷するのが侍魂だ!」と言った日本軍人が存在したことに、誇りを感じる日本人です。

 

 今、朴槿恵大統領が弾劾訴追決定された韓国政府自体も、日韓合意があるので日本領事館の前の、あの慰安婦像の設置には頭を痛めていると聴きました。あの慰安婦像を建てたのは民間団体です。韓国政府ではないのです。だから政府自体も、それを強制的に取り除くことはできないことにジレンマを抱えているのです。あれだけのデモで民衆の力を思い知ったからです。沖縄問題のように力ずくで押し切ろうとする日本政府と違って、今の韓国のほうが民衆の力を感じてしまうのです。

 

 さらに、慰安婦像は韓国内に37体あると言われています。今後、日本と韓国の関係が冷え込めば、さらに設置する民間団体がますます増えるでしょう。

 

 僕はどうすれば日本がカッコイイ国になるかを考えてしまいます。それが外交政策の基本だと思います。安倍首相がマリオの着ぐるみを着るよりも大切なことは何かです。

 

 日本が戦争の愚かさの象徴として、ドイツと同じように、そして、韓国がベトナムにピエタ像を贈ったように、日本からも慰安婦像を贈ればいいのです。そのほうが「慰安婦の人数が違っている!」「強制ではない!」「金目当てだ!」と批判ばかりをくり返す日本のイメージよりも、日本が世界にステキに映るのではないでしょうか。

 

 そして、忘れてはいけないのは、日本にも慰安婦がいたと言うことです。それも、含めて慰安婦像を戦争の愚かさの象徴とすべきなのかもしれません。

 

 

(参考文献) 美輪明宏氏談

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/peace-i.html

 

 

 

 

 

 

氷解

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 東京校の修了式が先日開催されました。
 260名の参加者でした。


 今回もドラマがありました。
 ある修了者の修了レポートを紹介しましょう。

 「Yを見ていると自分の嫌な部分を見ているようで腹が立つ。」
 私の前で「妹と二人の生活は気楽で良い」と平気で話す母。
 上京して五年。今日も実家は懐かしむ所ではなく、やっぱりここにはもう私の居場所はないのだと再確認する空間となり、いつものように気を遣って回せなかった洗濯物と、また少しくたびれてしまった心を抱えて電車に乗り込む。

 若くして親になった父と母は仕事に忙しい毎日だった。生後二ヶ月目から通っていた保育園での強い記憶は、友達がいなくなった教室で母の迎えを待ちながら先生の膝で絵本を読んでもらっていたこと。

 小学一年生の冬、インフルエンザにかかった時も両親は仕事で休めず一人苦しみに耐えていたこと。台所で忙しくする母に、学校であった嫌なことを話した日。「疲れているのにこれ以上イライラさせないで」そう背中が語っているようで、もう悩みを相談するのは止めにしようと心に決めたこと。

 いつしかそんな記憶ばかりが記憶に居座って、苦しみや辛さは一人で背負うもの、悩みを打ち明けるのは迷惑をかけるだけだから…と心に蓋をすることが得意になっていった。

 毎朝寝起きの私たち姉妹に「洗濯物干してゴミ出して、食洗機回しといてね!それと...」と言い残し仕事へ向かう母。もし一つでもやり忘れていることがあったなら帰宅後の機嫌は悪く、長女の私が叱られたあの頃。

 感情を表に出すことが苦手だった私は、高校生にもなると母の「行ってきます」の声を聞くまでは自分の部屋から出ず、母の「ただいま」を聞く前には布団に入る、そうやって背を向けて過ごすようになっていった。

 社会人になり初めて実家を出ることになった時も寂しさはなかった。子どもの頃から家事に慣れていた私には、周囲の人が言う『親の有り難みが分かる』という言葉も上の空だったような気がする。次第に実家に帰る回数は減っていき、連絡を取ることすらマレになっていった。

 誰にも何も言われず自由な時間が過ごせる、とても気楽で肩の荷が降りたような気分だった。次第に気楽さに甘えてしまい、他人とコミュニケーションを取ることすら面倒になり、気がつけば仕事以外では一人で家にいることが多くなっていった。しかし一方で、自分の存在は一体何なのだろうと虚しさが襲うようになり、考えれば考えるほど自分の存在の儚さと脆さに心が惑い涙が止まらなくなっていった…

 そんな時に書店で見つけた本が、比田井和孝さんの『私が一番受けたいココロの授業』だった。中でもディズニーランドのお子様ランチの話に深く感動し、電車の中にも関わらず声を押し殺して泣いた。こんな奇麗な涙を流したのは何年ぶりだろう...。冷えきっていた心がじんわり温かくなるのを感じた。その日からこの本は、どこへ行くにも持ち歩く私のパイプル書となった。

 それから数日後、妹から「凄く良い動画があるから観てみて」と突然YouTubeのURLが送られてきた。その動画を観た瞬間私は鳥肌が立つのを感じ、バイブル書の大好きなページを開いた。やっぱり!それは本の主人公、衛藤信之さんだ!
 
 後の授業で分かったが、この偶然の重なりは私にとって必要なタイミングで起こったシンクロニシティだったのだと思う。

 メンタルに通い始めて多くの気付きがあった。中でも音楽療法の授業は完全に潜在意識となっていた家族との記憶を引っ張りだされ、涙があふれて止まらなくなった。

 若い頃の両親の面影。

 忙しいながらも毎年夏には決まってプチ家族旅行に連れていってくれたこと。マラソンが苦手だった私に付きそい、休日は一緒に練習してくれたこと。
 思い返せば、どんなに忙しくても学校の行事には両親そろって応援に駆けつけてくれたこと。何よりも、それが嬉しく私の自慢だったこと。講座が終わる頃には、私の心に長く居座っていた『寂しさ』という記憶が少しずつ腰を上げて「私ってこんなに愛されていたのだ」と幸せで満ちあふれていた。そして、あの頃よりは確実に小さくなった両親の背中が浮かび、今まだ元気でいてくれていること、親孝行をするチャンスが残されていることに感謝の気持ちでいっぱいになった。

 愛や幸せは与えてもらって感じるものではなく、自分で気付き生み出すものなのだと、受け止め方を変えるだけで世界はこんなにも違って見えるのだと、初めて心から実感し、経験できた瞬間だった。

 その頃から、母と私との関係も少しずつ変わっていくのを感じ始めていた。
 ある日、実家に帰ると、母がいつものように妹との生活は気楽だという話を友達にしていた。今までなら、モヤモヤした気持ちを心にとめて黙っていたが『ここはアイ・メッセージだ』と思い、自分の心の思いを話してみた。まだまだ不器用で十分なアイ・メッセージではなかったし、私にとっては相当勇気のいることだったので口から出た言葉はほとんど覚えていないが、できるだけ穏やかな気持ちで「こういう話を聞くとやっぱり寂しいということ、私はお母さんが大好きだから」そんなことを私なりに伝えた。

 この時は、母が私の話をどう受け止めたかは分からなかったが、後になって「Yにも言われたけど、勝手な思い込みが見え方を歪めてしまっているのかもしれない」という話を父にしていたことをあとで知った。
 昔から「思っていることはハッキリ言い!」だとか「Yは何を考えているか全然分からない」と言われ続けていたので、私のアイ・メッセージは母を驚かせてしまったかもしれないし、もしかすると母を傷つけてしまったのではないかと気にしていたが、私が思っていたよりも、深く受け止めてくれていたことを知って、とても嬉しかった。

 そして何より私が嬉しかったことは、母がメンタルに関心を持ち大阪校に通い始めたことだ。五十年という長い歴史の中で築き上げてきた母の価値観や性格はそう簡単には変わらないだろうと思い、私自身が変わることで歩み寄ろうと意を決していたので、始めは母の突然の決断に驚いていたし、私にとっては予想外の展開となった。それも、ただの私の思い込みでしかなかったのかもしれない。これまで連絡を取り合うのは三ヶ月に一度程という、お互い必要以上に干渉しない間柄であったが、今では毎週メンタルを受講した後に、感想を報告しあうのが習慣になっています。実家に帰る頻度も増え、母とも沢山の話をするようになったのです。

 ある時、母がふと「Yが一年生の時インフルエンザにかかったこと覚えてる?」と話し始めた。 「あ~覚えてるよ。お母さんが仕事休めなかった時の…。」「あの日、帰るとYがすごく泣きながらね…」「そうそう」「近所のおばちゃん達に言わないでほしい。みんなが心配して来てくれると、しんどいのに外に出やなあかんくて辛いって。本当に可哀想なことしたなって、お母さん今でも覚えてる」「…。え、そんなこと言ってたん?覚えてない。」この時初めて、私が一人で我慢してきたと思っていた記憶は決してそうではなかったのだということを知った。

 朝は七時過ぎに出勤する母。きっと時間の無い中、私が一人寝込んでいることを伝え様子を気にしてもらえるよう近所の方々に頭を下げてくれたのだろう。病気の子どもを一人置いて仕事に行かなければならないこと、世間の目、少しでも早く帰ってあげたい、きっと気がかりで仕事も集中できなかっただろう。辛かったのは私だけじゃなかったんだ。私が忘れてしまっていることも、記憶に鮮明に残っているほどに母も辛かったんだ。もしかしたら私以上に心を痛めていたのかも知れない。
 
 そう思うと、これまで母に対して抱いていた過去の記憶への感情が申し訳なさでいっぱいになり胸が詰まった。あの時から二十年以上経っていたが、ただ辛かったとしか思えなかった経験がこんなに私の心を幸せで満たしてくれるなんて、想像もしていなかった。

  『辛』に一を足すと『幸』になるってこういうことなのだな。私にとっての寂しさは母にとっても寂しくて、私が我慢してきた出来事の裏には私以上に我慢してくれた母がいたこと。それに気付けたことで、これまでの心の傷は全て母と共に乗り越えてきた日々の勲章へと変わっていった。お母さん、ありがとう。お母さんの娘で最高に幸せです。心からそう思えた。

  『過去と他人は変えられないけれど、自分と未来は変えられる。』一歩踏み出しメンタルに通い始めたこと、ここから確実に私の見える世界は変わっていった。

 私が変わることで驚くほど周りにも変化が訪れはじめた。生きていれば色んなことがある。嬉しいことも悲しいことも、楽しいことも辛いことも。でもそれが生きているということ、全て大切な私の人生なのだと今は愛おしく思うことができる。

 神様から与えられた今という『present』。これからも沢山の人生の宿題が私の前に立ちはだかるのだろう。心折れそうになることも、諦めたくなることもあるかもしれない。でもそんな時、「この宿題は私に何を教え、何に気付かせようとしているのか。」そう向き合いながら乗り越えていこうと思う。『辛』を『幸』に変えるための『一』は私の心次第なのだから。

 どう受け止め何に気付けるか。これからも私にしか歩めない道を私らしく、私なりの『幸せの足跡』でいっぱいにしていきたい。そして沢山の愛を生み出せる虹の戦士の一人となれるよう、ここで学んだ経験をいろんな形で伝えていきたい。ここに巡り合えたこと、今があること、先生方、家族、私に起こる出来事や出会い全てに感謝をしながら...。
 
 今回はこの修了レポートを書いた、東京校のYさんと大阪校のお母さんも、東京校で修了式に参加していました。二人が姉妹のように笑顔で参加している姿に影ながら幸せをいただきました。

 とても、幸せです。
 
 
 次回は名古屋校の4月2日の修了式です!
 

 

会話はジャブから・・・

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 誰かと2人きりになったりすると、会話がもたないという人がいます。
 私たちは無人島で生活していない限り、人との会話はつきものです。

 太古の昔、人は弱い存在でした。牙も爪もない裸のサルであった人の先祖は、仲間で互いに守り合わないと生きてはいけない「個」としては弱い存在でした。

 それが、知恵を身につけ道具を使い、文明を進歩させることによって、この地球での最高上位の座に人間は君臨しました。でも、文明が発達した現代に至っては、直接、他人に頼らなくても平気で過ごせる社会へと変化しました。

  現代は、ご近所さんに「留守のあいだ、よろしくお願いします」と声をかけなくてもセキュリティの進歩で、地域のつながりは必要がなくなりつつあります。家族での会話も少なくなり、それぞれの家族がネットに頼り、自分だけの個の楽しみを延長させればよい時代になったのです。

 でも実際には、いまだに学校や組織ではリアル・コミュニケーションは必要になるし、ビジネスから恋愛にいたるまで、すべての勝敗はリアルなコミュニケーション能力が必要なことは、昔も今も変わっていません。

 ただし、見かけ上では、昔よりもコミュニケーション能力がなくても孤独は感じなくなっているように思われます。

  電車でも、駅でも、時間があれば目の前に広がる社会の動きに目を向けずとも、小さな端末に思考を逃げ込ませる人が多くなりました。

 そして、日本は東日本大震災以降に、マスクを着用する人も増えました。もちろん、風邪の予防や他者への気づかいもあるのでしよう。ただ、心理的にマスクが手放せない状態になると「マスク依存症」になります。自分の身体的なコンプレックスを隠すためや、あるいは他人との会話が苦手、表現が下手だから、顔や表情をなるべく人の目から隠すためなど、他人と無意識で接触を恐れる理由での「マスク依存症」も増えています。もう、マスクが、お守りのような存在になると心理的に依存です。

 あるハリウッドスターが、日本人のスタッフ達に「そんなに、あなた達はありのままの自分自身を受け入れ、自分をアピールすることに自信がないの????」と激怒したこともありました。西洋社会ではマスクをしている人は、病院内でしか見られません。

 僕も誤解を恐れずに言うなら、マスクをいつも手放せない人には、自分の半分を隠してコミュニケーションされているようでフェアーじゃない気がして、個人的には好きではありません。心の奥で「素直な、あなたを見せてくれないかなぁ」と思ってしまいます。もちろん、化粧をしていないとか、乾燥を避けるためにとか、病気の予防もあるのでしょう。でも、その背景に他者への防衛や抵抗が少し隠れているのなら、会話の時に、マスクをはずすことは自分をチェンジする機会になるかもしれません。

 話はそれましたが、今は文明の発達で孤独を感じにくい「お一人様の時代」だとも言えます。ただ、何か不測の事態が起こった時には、やはり必要なのはサバイバル・コミュニケーション能力になります。
 そう!周囲の他人とソツなく「ふれあえる能力」です。

 人と話せない人と話をしていて、自分が人からどう見られているか、どう思われているかを考えすぎて、実は、「自分に」注意が行っているために、他人を見ていません。「人が…」「周囲が…」といっけん他人を意識しているような言動なのですが、実は自分が嫌われないか、自分が変に思われていないかの「自分自身」を意識し過ぎて、自分以外の周囲や他人の言動や表情には無関心なのです。

 だから、カウンセラーとして僕が「あなたから見てステキな人や、憧れる人は、どんな会話や話題を話しています?」と訊ねても「え?どんな?」と首をかしげます。そしてカウンセラーに訊ねてくるのは「僕はおかしくないですか?」「私の目線はおかしくないですか?」と、自分だけに意識が向いているのがよくわかります。

 コミュニケーションの基本は、ステキな人からの取り入れ(モデリング)です。だから、自分ではなく、周囲を観察することです。

 笑顔、うなずき、視線「なるほど!」「そうか!」「うん、うん」といった相づちや、沈黙、姿勢の向き、そして、会話コミュニケーション力など。

 もし、どうしても2人きりになって会話がないと不安なら、古典とも言える処世術ですが『木戸に立ちかけせし衣食住』を使ってみるのも良いかもしれません。

  親しくない人との沈黙で間が持たなくなったら、これを順番に使ってみると軽いジャブの会話からストレートの深い会話につながることもあります。

 《木(気候)戸(道楽とおぼえて趣味)に(ニュース)立(旅)ち(知人、共通の知り合い)か(家族・家事)せ(世情・政治)し(仕事)衣(着ている服)食(食べ物)住(住んでいる地域)》

★気候
 「今日は雨が降りそうですね。」「東北は雪がスゴイんだって」「僕の住んでいたアリゾナ州は夏は毎日40度以上ありました」「スノボー行くんだけど雪あるのかな…」
★道楽・趣味
 「最近、英語を習い始めたんだ」「あの映画を観ました。面白いですよ」「アニメのコスプレが大好きなの」「あのピコ太郎、頭から離れない」
★ニュース
 「トランプ大統領のツイッターを読んだ!」「あの昭和のスターが亡くなって淋しい」「築地市場どうなるの?」「〇〇選手、新記録更新ですって!」
★旅
 「先日、北海道に雪まつりを観てきたんだ!」「出張のついでに郷土料理を食べてきました」「日本は冬でも、ニュージーランドは夏だからね行こうと思うの!」「あなた、旅はどこに行きたい?」
★知人
 「あの人とはよくお酒を飲みました。」「あの人は、僕の大学の先輩でね。」「あの人なら紹介してあげられるよ」
★家事
 「子どもが小さくて汚すから、全然家がかたづかない」「お姉さんが今度結婚するの」「娘が大学を卒業しましてね」「リフォームって高いの?」
★世情
 「不景気で困ります。」「あれが流行ってるよね」「安倍さんの外交で日本はどう変わるのかね」「悲しい事件が続いていて苦しくなる」
★仕事
 「僕は営業をしていて思うのですが…」「会社にうつ病で休職している人がいて」「僕の職場はステキな人が多いのです」「僕の会社はこんな商品が売れているのだけど」
★衣装の話
 「その服どこで買ったの?!ステキね」「この服、私の好きなデザイン」「今年の春のコーデは」「それ日本で手に入らないブランドじゃない」
★食の話
 「あそこのラーメン屋は行列が出来るよ」「あの地域に行けば、あれを食べたらいいよ。」「あのスィーツ最高だった!」「肉料理には、あのお酒がオススメです。」
★住まいの話
 「近所ですよ!一緒に帰りませんか」「僕の母は出身があなたと同じです。」「昔、学生時代に、そこはよく行っていたよ」「近くに彼の会社があるのよ。」「あの地域は治安がイイですね」

 ただ会話でも「天気いいですね」だと「はい」で終わりますから、クローズド・クエスチョンは避けましょう。一番は、オープン・クエスチョンです。「このまま天気が良くなって、春っぽくなるとイイですね。僕は春が好きなんです(自己開示)。あなたは、どうですか?」

 どちらにしても他者や世界に関心がないと、この古典的会話の技法も内容のないものになってしまいます。ネットだけの情報などは、どこかの記事をショートカットした内容なので、会話していても個性や知性が感じられなくて深みが出ません。だから、最初はジャブ的な会話から始めたとしても、人と出会ってリアルなコミュニケーションを持ち、本を読んだり、他人や周囲にもっと関心を持ちましょう。
 
 初めてのデートで会話がないというあなたへ

  アイ(愛)メッセージを使ってみては
 「じつは、先ほどから自分らしくなくて自分自身でも戸惑っているんだ…きっと、君に気にいられたいという思いで頭がいっぱいで、それ以外のことが頭に浮かばないせいだと思う…」

 うまく言うことばかりを考えるより、自分の思いを正直に伝えることが大切になります。そう、自己開示ですね!!

 GOODLUCK!👍


 


 

誕生日に再誕生のお話し

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 昔、日本は人の移動も少なく、村社会では、そんなに積極的に自分を前に出さなくても、冠婚葬祭の行事に参加すると「〇〇さんかたの次女やな」と、歓迎するしないに関わらず、地域の人は自分の存在を知っていました。たとえ消極的で無口であってもです。

 でも、流動的な社会になると積極的に人と関わらなくては、自分の存在感がなくり孤独になってしまいます。

 

 そこで、どうすれば自分という存在を周囲にアピールできるのか?
 やはり100人に1人の存在になることが大切なのです。
 それには、人と違う個性を持たなければなりません。集団の中で個性がないと、そこにあなたが居ても居なくても同じ存在になってしまいます。要するに誰に変わっても取り替えがきいてしまう人です。そうなると誰からも必要とされなくなり孤独を感じてしまうのです。

 

 一千人や、一万人に一人なら、ムリかもしれませんが、百人に一人、そう1%なら、なれそうな気がしませんか?

 

 100人が働いている会社で笑顔は誰にも負けないとか。
 100人の主婦の中で料理のチャレンジ精神ならピカ1だとか。
 100人のガードマンの中で、頭の下げかたが最高に腰が低いとか…

 

 また、100人の中のトップは難しいけれど、別の領域を重ねるのもレア感が広がります。

 

 美容師の中で1%のスーパーエリートはムリだけど、美容師でカウンセラーの資格があると急にレアな存在になります。観光立国を目指す日本であるなら、挨拶レベルの程度であっても中国語が少しでも話せるなら、さらにレア感が強まります。

 

 お笑いのキングコングの西野あきひろさんは、吉本興業では100分の1にはなれないけど、絵本作家ならレアな存在になれると思って、クラウドファンディングで資金と人材を集め、そして絵本「えんとつ町のプペル」を制作し、アマゾン絵本ランキングで1位になりました。

 

  これからの時代は人と同じよりも、レア感のある存在の人が、社会に必要とされる人間になるのです。だから、人がスマホでゲームしているなら、あえて空いている時間に本を読むとか、もしくはゲームを作る人になったほうがレアな人になります。なぜなら、人の作ったゲームの世界で、人生に大切な時間を費やすなんてもったいないと思いませんか?

 

 もちろん、レア感だ!個性だ!と言っても、人に歓迎されないレア感では意味がなく悪目立ちするだけで「困った人」になってしまいます。誰からも喜ばれ、必要とされる個性のあるレア感が大切なのです。

 

 そこで、日々インターネットをして過ごしているなら、あえて本を読んでみるのもレア感があります。さらにベストセラーも良いのですが、ベストセラーは多くの人が読んでいる本だからレア感がない。だから、あえてレア感を出して、ベストセラーでなくても名著はあります。それは再販になった本です。出版不況の時代に、リライトされる本は、本屋さんが推したい本です。だから、プロが認めた本だからレア感がある。

 

 メンタルで講師をしていた林恭弘さんの単行本が文庫本になってリライトされました。彼の処女作なので、当時そばで見守っていましたが、彼の想いがつまった力作だと思います。

 

 そして、メンタルの講座を広島で受けていた野口嘉則さんの本です。これも完全版としてリライトされています。奇しくも同じ編集者が担当した本なのですね。

 

 今日は僕の誕生日です。インディアンは、誕生日は周囲に感謝をして与える日にします。だから僕の本を紹介したいのですが(笑)誕生日に再誕生した本の紹介です。

 

 あえてリライトされた卒業生の本を紹介しました。本を読んで、皆さんもインディアンの言うように周囲から「生まれてくれてありがとう!」と言われるレアな存在を一緒に目指しましょう。

 

 ん?! 💦

 

 僕ですか。だから一緒にですから「たどり来て、いまだ山ろく」って心境です。

 

 

 

 

 

 

生きづらい君へ

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 君は何のために生きているのか、わからないと言う。

 

 「もちろん、私にもわかっています。生きたくても生きられない子どももいて、死を逃れて一生懸命に生きるために国をわたる人びともいることも」だから、その人に私の生きる権利を譲りたいと…
 甘えていると思う。こんなじゃダメだと思う。

 

 みんなと違うことは生きづらい国…日本。

 

 不登校の男の子が「みんなと違う電車に乗り込んでしまったようです」と僕に話してくれたことがあった。電車は走り出しているのに、自分だけが違う電車に乗ってしまったと気づいているのに、どうしようもなくただ「部屋と言う電車」に独り乗り続けていた彼…

 

 先ほど生きづらいと言った彼女の母親は「あなたも子どもができて、人を育て始めたら命の価値がわかる」と彼女をさとした。それも立派な答えだと思う。

 

 それに対して「私は、こんなに生きづらいのに、その世界に子どもを産んで、その子は生まれたくなかったかもしれないでしょ。私も自分から望んで生まれて来たんじゃない。だったら、その子も「生まれたくはなかった」と思うかもしれない。そんな自分勝手な残酷なことは私にはできない」と彼女が語った…

 

 僕は言葉が出なかった…いや、それは彼女の生きづらさを「まったく分からない」と、反対側から言い切ることが出来ない自分も、僕の根底にはあるからなのだと思う。
 大人は、誰しもこの「生きづらさ」を麻痺させながら生きている。ほんの少しの日常の幸せを幸福なのだと麻痺させることが大人の処世術でもあるし、それを大上段から彼女に「こう考えないさい」と伝えることもまた、大人の処世術でもあるのだと分かっているから、僕の心は沈黙に入った。

 

 

 

 人は母の胎から分離した瞬間から「皮膚にかこまれた自己」を自分と認識することから自己認識がはじまる。社会も自分を意識することを求める。やがて自分以外は、他人なのだと孤独が生まれる。

 

 この自分自身という者はかなりやっかいな者で。いつも、変わらずに呼吸し続け、食物を摂取し、それをエネルギーにし、自分の細胞に取り込み続けなければ「今日」という日すら、自分自身としての「個」は生きられないのです。

 

  母の胎内にいた時は、呼吸も、栄養も、すべては母まかせだったのですから。その楽園からの追放が「誕生」なのです。エデンの園を追い出される恐怖のモチーフは、そこに元型があります。

 

 この根源的な「生きづらさ」を、意識に昇らせれば彼女の「生きづらさ」も僕にも分からないわけではない。

 

 足が千本のムカデがある時に考えた「どうして自分は、このたくさんある足たちをからませないで歩く事が出来るのだろう」と、そして一本、一本、意識して考えながら歩こうと思った、すると余計に歩き方がぎこちなくなって、からまって歩けなくなり、太陽の熱で干からびて死んでしまった。という話を師から聴いたことがある。

 

 だから、大人はそれを意識に昇らせないで、それを麻痺させて生きている。

 

 「個」として、生きるということは根源的な孤独はぬぐい去れない。ゆえに人は絶対的な一体感を希求します。それを家族や、恋人に求めてしまう。

 

 でも身体はどこまでいっても別々だから、この一体感を完全に求めることは不可能なのです。でも、それに近い瞬間を味わいながら人は生きています。

 

 だから、自然と一体になった瞬間や、ケンカして恋人が仲直りした瞬間、先生と生徒の心が分かり合えた瞬間、母と娘が理解し合えた瞬間、父と息子の誤解が解けた瞬間、友情が再確認できた瞬間に、講演していてたくさんの会場の聴衆と「一つだなぁ」と思った瞬間、人は完全ではないが、人と人との一体感を感じます。

 

 それを人は「幸せ」と名づけた。

 

 僕もカウンセリングの現場で、その生きづらい彼女とチューニングを求めていた。少しでも一体感を感じようとして、そこにはどんな処世術も、説得も無意味なような気がしたから。そんな思いが一瞬の沈黙となって二人の間を流れた。

 

 それともトランスパーソナル心理学をベースにした、未来心理学の講座を担当した、次の日であったからなのかもしれない。一体感を求める人びとの根源を知ろうとする授業に影響されたのかもしれません。

 

 やがて、僕は「この世界で、その答えを求めて生きているのかもしれない…」と彼女に語った。

 

 君のように「分からないから、不安だから、生きるのを辞めたい」ではなく、「分からないから、答えを探したいから生きている」と。

 

 君のまわりの大人たちが君に何を言っても、誰にも「真なる答え」は分からないのかもしれない。なぜなら、今の時点で、それぞれが持っているそれぞれの答えだからね。

 

 「君がそれをピンとこないなら、君だけの答えを見つけるしかないのだと思う…」と。

 

 僕も一生かけても「真なる答え」は見いだせないのかも知れない。最後に分かった気持ちで、あの世に行っても「それはノブユキ、違う!」と神様がいるなら否定されるかもしれない。でもね、たとえ答えが見いだせなくても、それでも死のふちギリギリまで生きて、自分なりの答えを探したいんだ。僕だけの答えを…

 

 ギリシャ悲劇のように、運命に逆らっても生きようとする主人公のように。

 

 戦時中に「この戦いは無意味なのかもしれません」と言った戦艦大和乗組員に対して「いいか無意味なら、未来を生きる人々に『いかに無意味な戦いであったか』を教えることくらいは、俺たちの命にもできるはず。そのための出艦だ!」と言った、心は反戦者の上官のように。

 

 今は生きる意味が分からないから、生きる意味があるような気がする。僕はそう思っていると締めくくった。

 

 そこに生きづらさを抱える彼女の涙だけが残った…

 

 「その涙も、生きる意味なんだよ」と僕は心で感じながら…

 

 

 

 

 

 

 

ギブの法則

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 人との関係がうまくいかない人の中には「与えない人」がいます。
 もらう(テイク)ことが当然、親切にしてもらって当たり前の人です。
 
 「死ぬ~!」って大騒ぎして、周囲が優しくしてくれて当たり前!自分が孤独で淋しい時には、人が親身に聴いてくれて当たり前…人が自分の話を「可愛そうに…」って同情してくれて当たり前の人がいます。どれだけ友人の時間をさいて聴いてもらっていても、自分の淋しさだけにフォーカスがかかっているから、相手が時間をさいて関わってくれていることや、その相手が夜中一晩中聴くことの大変さが分からない。自分が苦しいこと(悩み)だけにフォーカスがかかっているから相手の親切が意識にのぼってこない。
 
 ある相談者に「死にたい」と言われて、夜中にタクシーで走ったことがあります。でも、彼女は「まさか来るとは思わなかった!」と、「もう死ぬ気がなくなったから帰っていい」と言っただけでした。
 
 「本当に大丈夫なのかい?」とたずねると「カウンセラーは悩んでいる人の、いつも味方でしょ。それを確かめたかった」と言い放った。彼女は一度も、お礼を言わない。
 
 その次の予約の時に、彼女の前の相談者がカウンセリングが長引いて、彼女はカウンセリングを15分待たされた。待たせたことを「申し訳なかったね」と、こちらが伝えると、その言葉をすり抜けて「待たされた!💢ありえない」とカウンセラーは不親切だと怒りだした。
 
 彼女は周囲にパーフェクトな母親を求めています。友だちも親切に、自分の話を夜中でも聴いてくれて当たり前。カウンセラーが淋しい時に飛んで来てくれて当たり前。自分の思っているように、周囲の人は自分が悩んでいる時に「私に親切にすべきである」と思い込んでいます。

 まさに周囲に完璧な母親を求めているのです。

 

 幼い時は、泣いて、叫べば母親が優しく抱きあげ、ミルクを与えて、オシメを換えてくれて当たり前。だから、いまだに心理的に理想的な母親を周囲に求めてしまうのです。
 
 そのことを指摘すると、自分も「ありがたい」と言う気持ちはある。でも、それは伝えなくても分かってもくれるはず。「それを理解するのがカウンセラーでしょ!」と悪びれることもなく不満そうに告げた。
 
 私たちは身近な人に、慣れてきた人に、気をつかわない人にほど、甘え(母子一体感)が出やすくなります。「伝えなくても分かってよ!」「感謝なんて水くさいじゃない!」「結婚しているのだから…」「恋人なのだから…」「親だから…」「カウンセラーだから…」となる。要求ばかりを求めてしまう。
 
 このような甘えの人は、他人にギブ(感謝を)しないから、人間関係がうまくいかない。「してくれて当たり前」は、 子どもの心理です。大人は「親しき仲にも離別感です」他人がしてくれたら「ありがとう」「感謝しています」「助かりました」と笑顔で返す、それが大人です。
 
 先ほどの女性の相談者にも、僕の思いを伝えました。君はきっとお母さんを周囲に(友人・カウンセラー・恋人)に求めているような気がする。君が感謝しなくても、与えなくても、周囲は「私に親切にしてくれてあたりまえ」「優しくすべき!」「親切に私をあつかうべき!」
 
 そのような都合のいい愛が存在するなら、幼い時のお母さんだけだと思う。君はエチケットを知っているかなぁ。エチケットの語源はチケット(切符)なんだ。君はギブ(与え)続けてくれる完璧な母親(誰か)を求めているのだと思う。でも、パーフェクト・マザー(完璧なお母さん)は、永遠にどこにもいないんだよ。
 
 「私は実のお母さんに愛されなかった💢」と言い放った。「だから、こうなった💢」と周囲に攻撃性を向ける。
 
 僕は答える「そうかもしれないね。だから、君は大人になっても完璧な愛を探している。自分が努力しなくても愛されるマザーを。他人は一時的に親切にしていても永遠に一方的に愛を期待されると、逃げ出してしまう。だから、君は僕のカウンセリングを受けているんじゃないのかい?『皆がいつの間にか君から離れて行ってしまう!』というテーマで」
 
 「じゃ愛はないの?」と、彼女はか弱くたずねた。
 「あるさ」と僕。「大人の愛は育てないといけないんだよ」人は親しくなると愛を育てなくなる。感謝しなくなり「足らない💢足らない💢」と言い始める。
 植物に水が必要なように、水をやらなくても育つ植物がないように、身近な人間関係にも水がいる。その水は「当たり前」のことに「感謝して、ねぎらい、ありがとうを伝える」それが大人の愛を育てることなんだ。「それが愛の水なんだよ」
 
 人間関係がうまくいかない人は、親しい人に「ギブという水」を与えなくなる。若い子の中には、不機嫌な顔をしていれば、誰かがかまってくれるはず。不満を持ち続ければ、誰かがその不愉快さから「導き出してくれるべき」と求めてしまう。その不機嫌な人から周囲は離れていく。
 
 これがギブの法則なんだ。テイク(求める)ことはするけど、君はギブ(与える)ことをしない。だから、君の周りから人がいなくなるんだよ。泣いていて、怒っていても、人が寄って来てくれるのは、子どもの時代だけ。だから、大人の君は、チケットを手に入れないといけない。
 
 それは、笑顔だったり、感謝だったり、ねぎらいだったり、色とりどりのチケット🎫はあるよ。それがギブの法則だよ。そして、君のためなら何かをしたいと思えるような周囲の愛を育てるんだよ。

 

 

 僕が彼女にした厳しい意見をコンフロンテーション(対決)と呼びます。カウンセリングは受容(母性)だけではダメなのです。厳しい(父性)関わりも必要なのです。大人になるには、彼女が母子一体感(甘えの世界)から別れて、大人として周囲と協調して生きることなのです。だから、やってくれて当たり前、親切に周囲が私に関わってくれて当たり前は幼児性の表れです。
 
 彼女は泣きながら「先生、このあいだタクシーで来てくれて、ありがとうございました」「いつも私の話を聴いてくれて、ありがとうございます」
 
 僕は「何だか、そう言われると嬉しいなぁ~ 。なんか、また君を助けたくなったなぁ~」と答えました。
 
 「よろしくお願いいたします」と彼女はペコリと頭を下げた。
 
 「よし!何だか君のために、やれることをしたくなったなぁ~」と僕は笑いながら応えた。
 
 心の中で、僕は彼女にこう思っていた。
 
 それが、大人になった君を守ってくれる、たくさんの新しい両親を外に作っていける方法なんだよ。過去の失った親の愛を探し続けないで、新しい母や父を自分の力で作ってゆく。「いつも、ありがとう」「感謝しています」「お世話になっています」「私があなたに何かできることはありませんか?」
 君が大人になっても孤独にならない、誰からも君のためなら、何とかしてあげたいと言われるエチケット(切符)なんだよ。もう一度REBORN、自分で世界を作りなおそう。君のためならと思える笑顔、瞳、可愛さを身につけよう。自分の力で…
 
 ガンバレ! 過去の失った親の愛を探し続ける大人たちよ!
 
 それが、孤独にならないための「ギブの法則」なんだよ。

 

 

=追記=
 
 「誰にも世話になってなんかいない」と冷めて笑顔のない若者が増えている。
 
 それでも彼らはカウンセリングが終わった後には、親の家に帰り、冷めた目で親が作ったものを食べる。そして、親の家で寝る。それでも「誰の世話にもなっていない」と言ってしまう。もちろん、押し付けがましい親の愛もある。親のシツコイ関わりに、嫌気がさす時もあるだろう。ならば自分で笑顔を作って「君のためなら」と言ってくれる、外の親を探せばいいのだと思う。そう! 一人で独立して親離れして生きれば良いのです。ただ独立する勇気はない。でも、親にとやかく言われたくもない。甘えたくない人に、甘えないと生きられなければ、人は「意味のない不機嫌」に見舞われる。
 
 頼りたくない人に、頼らなければならない時に、人は不機嫌になってしまうのです。母子一体感から離れたいのに、一人では生きられる自信も、勇気もない。人はその時に、自分でも意味不明の不機嫌に苦しむのです。

 

 

 

 

静かな旅立ち…

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 人生にはピリオドがある。

 

 昔、アメリカで「元気なんだけど、君達の命があと三日しかなければ何をしたいか?」皆それぞれにアイディアを考えて来いという課題が出されたことがあります。
 若い時代だから「大好きな彼に愛を告白する」という人もいたが「あの人にゴメンなさい」と伝えるとか「笑顔で両親のお手伝いをしたい」「すべての人にありがとうと伝える」「ケンカの絶えない妹に優しくする」とか感動の発表が続きました。
 最後に教授が「皆さん素晴らしい!一つだけ考えて欲しい。皆さんは三日間しかなければ、それをするのに、どうして一生となるとしないのですか?」としめくくった。

 

 ガンで余命宣告された人が「今年で最後になるかも」と思って見る桜と、通勤時に「キレイね」と通りすがりに見る桜の花には違いがあるのかもしれません。

 

 戦地に、おもむく青年士官が「最後に!」と恋人の手にふれるのと、毎週のデートでふれる恋人の手には、手の細胞深くに記憶されようとする感覚が違うと思っています。

 

 小児がん病棟で子どもに「明日も起きてね」と願いながら子どもを寝かしつける母親と、明日も子どもが元気で当然だと思い「早く寝なさい!」と子ども部屋に追い立てる親には違いがありました。

 

 いつも、このブログの最後に僕の横顔のシルエットのマークがあります。それは、博多校の生徒さんが、感想文の横に落書きのように書かれていたものです。僕が感動して「これもらえますか?」と言ったら、その人は「では清書して次回持ってきます」と言って下さって、次の回にCD-Rに入れたものを頂きました。

 その人はデザインのプロでした。それからは、僕はこのマークを気に入って使っています。このマークをシールにしているので、バックにもスマホにも貼っています。

 

 

  ある駅で僕のキャリーバックに貼られていたシールを見て、後ろからかけ寄って来た若い女性がいました。「心理カウンセラーの方ですよね?」「はい!」と僕。「どこかの教室か、講演会に来て下さったのですか?」「いえ、このマークのブログを見ていますから」「ありがとうございます。衛藤と言います」と挨拶しました。その女性は僕の名前は知らないけど、このマークは憶えていてくれたのです。

 

 海外からの旅行者からはエレベーターの中で「これは君だね!」と必ず声をかけられます。

 

 ステキなデザインです。髪型だけで僕だとわかる…

 

 僕以上に知られているこのデザインの生みの親である受講生が先日、亡くなりました。
 僕はFacebookをしていないので、スタッフから「○○さんが亡くなられました。ご主人がFacebookにあげられています」と…新幹線の車内にいる僕にメールが入りました。

 

 高速の乗り物の中で、僕の時間だけが止まった。59歳は早いのでは…

 

 ガンに罹患されたことは知っていました。でも退院された後も教室にリピートで元気に来てくれていました。そして、風の噂で再発されたことも…

 

 その後からも、貴女は教室にリピートに来てくれていましたね。
 僕が一度「お身体のほうは、いかがですか?」と聞いても、貴女は僕の両手を握って、柔らかく微笑んでうなずくだけでしたね。
 それからは、あまり病気のことは心配もされたくないだろうと思い、僕も、貴女にならって貴女を微笑んで教室にお迎えすることだけを心がけていました。
 貴女は教室に来た時と同じように、静かに優しく一礼して、柔らかい微笑みだけを残して教室から出て行かれましたね。
 「今日もガンバりましたね。安心しました」と言って見守ってくれているように…

 

 「どうしていらっしゃるだろう…」と思っていた矢先の訃報。

 

 3月19日午前11:30、最愛の妻、○○が亡くなりましたことをお知らせいたします。
 卵巣癌を発症して5年2ヶ月。よく頑張ったと思います。
 二度目の転移以降、抗癌治療をせずいい時間を過ごしながら戦って行こうと過ごしてまいりましたが、願いも叶わずこの日を迎えてしまいました。
 誰にでも平等に優しく接し、明るく優しい人でした。
 何よりも、最大限に私を理解し評価してくれました。
 残念でなりません。
 葬儀にあたっては、本人の強い希望で家族葬といたしました。
 存命中、お世話になった皆様にはお知らせできず申し訳ございませんでした。
 全て終わった後に、お知らせしてほしいとの希望でしたので、今、お知らせした次第でございます。
 妻とお付き合いいただいた全ての方に、お礼を申し上げます。
 本当にありがとうございました。


 ご主人の文章から、貴女らしい静かな日常と、ご主人の貴女への思いが伝わり、ご家族のたたずまいすら感じられる文面でした。まるで優しい絵本を読んだ後のように、貴女は柔らかく微笑んで、次の世界に静かに出て行かれたのだと…

 

 言葉を使う仕事をしている僕に、静けさの中にたくさんの優しい言葉があることを教えてくれたのは貴女でした…

 

 貴女の残してくれた僕のマークは、これからもブログの最後に、静かに、そして雄弁に、貴女の微笑みと共に文章の最後をしめくくってくれることでしょう。

 

 ありがとう。

 

  また、次の世界でも微笑んで僕の手を握って下さいね。
 その微笑みの中に「ガンバってましたね。衛藤先生!」があるのを僕は知っているから…

 

 

 

 

 

 

 

 

名古屋の修了式を終えて…

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 名古屋校の2017年(春)ライセンス授与式が終わりました。
 271名のメンバーの喜び、笑顔、涙目が会場にあふれていました。

 

 あるご婦人は、余命宣告を受けたご主人に感謝のアイ・メッセージを伝えようと結婚記念日に病室に行ったそうです。するとご主人のほうから逆に「オレの人生で一番良かったんはあんたと結婚したことや。オレはずうっと幸せや」と、過去形でなく言ってくれたこと。
 奥さんは「これからも二人で行きたい所がいっぱいあるもの、私が運転するから隣でガイドをお願いしますね」と言ったら「ムリはいい。オレはいま幸せや。あんたに感謝しとる」「私こそあなたがいてくれたから、今こうしていられる。伴侶であり、友であり、支えられて生きてこれたの…」そして奥さんは続けて思わず「ひとりにせんといて!」彼女の本音の愛メッセージだったのかもしれません。
 それに対してご主人は「ひとりやないぞ。オレはいつも見守っている。自由に生きろ、あんたは生きていける。オレはあんたが楽しそうにしているのを見ているのが嬉しいんやで、今日は最高の結婚記念日や!」その日は「あの時、この時…」たくさんの思い出話しが出来たそうです。

 

 そして、五日後に愛するご主人が亡くなったそうです。
 「今日は仕事だから、明日の早朝に行くわね」と話したのが最後だったそうです。僕が以前に義理の父の最後に会えなったことを「会えなかったのではなく、会いに来てくれたのだと信じている」と話したことがあります。家族の笑顔の好きだった義父だから、横で涙でみとられるよりも、家族がワイワイと楽しく食事をしているところを見て、一番好きなシーンを確認して旅立ったのだと思っている」という話を思い出して「私が一番仕事が楽しい!」と言っていたので、あの人は職場に来てくれたのだと思うと語ってくれました。

 

 でも、やはりご主人が亡くなった後は淋しさと悲しみからメンタルの後編コースは、来られなかったそうです。後編コースの予約はキャンセルして、仕事以外はどこにも外出しなかったある日の夜が明ける頃に夢を見たそうです。
 後ろ姿のご主人がゆっくりとふり返り「どんなことも、なるようになっていくんやで、安心したらええ」それだけ言っていなくなった夢だったそうです。でも、その瞬間に講座の後半に出ようと新年から後半の講座に彼女は出席を始めた。
 講座を受けるたびに落ち込んでいた気分が浮上し始めたそうです。

 

 論理療法の講座で、僕が悩んでいる人は「自分だけが不幸」と言ってしまう。でも、リストラで苦しんでいる人、大切な人と別れて悲しんでいる人は、海の砂の数、夜空の星の数ほど存在しています。その人たちのすべてがノイローゼになるわけでも、ウツ病になるわけでもない。アルバート・エリスは「自分だけ不幸であってはならない。自分だけ特別であるべきだと、ノイローゼの人は完全な人生を求めてしまう」でも、誰にも孤独な夜はあるし、思うようにいかない日常もある。

 

 子どもはそれに耐えられないけど、大人は孤独でも死なないし、大人は不幸でも生きられる強さがある。子どもはいつもミルクをもらい、抱きしめられなければならない。でも、大人は孤独でも生きられる強さがある。また、その強さを身につけないといけない。その時の大切なことは、人から愛がないと生きてはいけないではなく、大人は荒野にたたずんでも「どっこい生きてやる!」という自己信頼感、いさぎよさが大人の心の条件なのです。そして、孤独に打ち勝つ力は「セルフ・ラブ」自分が最大のパートナーなのです。だって60兆個の細胞がいつも味方なんですから…

 

 僕のその話を聴いて、ご主人を亡くした奥さんはいつも身体を優しくさすって、「大丈夫、私がついている」と言いきかせているそうです。
 「大人は独りでも生きられる。それが大人なんだから」と唱えながら…そして、講座に来るたびに心が安定して来たそうです。

 

 そして、何か「自分は役割を持とう!」
 役割が弱い自分を強めてくれると思い心理カウンセラーになって、自分のように孤独で苦しんでいる人を助けよう。そして、4月2日にライセンスの授与式があると知って、今回参加してくれたそうです。

 

 彼女の顔は、最初に教室に来た頃とは、別人のように輝いていた。

 

 そう、生きることは孤独だけど、でも、目に見えない一生懸命に生きている仲間との連帯感を、今回のパーティのように、ほんの少しでも味わえる瞬間があれば、人は孤独でも生きて行けるものなのですよ。大人は一人でも生きて行ける!!!

 

 

 

 

 

 

桜に寄りそって…

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 桜が咲いた後に、雨が降ったり、風が吹いたりすると恨めしく思います。
 ただ、いさぎよく花びらを散らすから、桜は美しいと言えるのかもしれませんが…

 

 話は変わりますが、知っていましたか?
 桜の花びら🌸が、落ちる速度は「秒速5センチメートル」だそうです。アニメ「君の名は」で有名になった新海誠さんが、世界中で有名になるキッカケになった、初期のアニメの冒頭のセリフが、この桜の花びらが落ちる速度は、秒速5センチメートルなんだよ。それが映画のタイトルになりました。

 

 桜の花も、そのはかない時の短かさを、運命として受け入れつつ、静かに風に舞い、大地に優しく落ちていくから、花びらが風に舞うシーンは、なぜだか静けさを感じます。

 

 カウンセリングも、風に舞う花びらのように、静かに人の心によりそうことが必要になりますね。

 

 ある先生が言っていました。高2を担任した時に、女子同士が3つのグループに分裂して、どのグループにも仲良くしている女子学生がいました。ある時に、その彼女が泣きながら保健室に来て「もう帰りたい」「教室には戻りたくない」とか「もう学校を辞めたい」と言いだしたそうです。

 

 最初は養護教諭の先生が聴いていましたが、担任でありメンタルの受講生でもある彼が、その日の4時限目から養護教諭にバトンタッチして話を聞くことになりました。

 

 「こうしたらどうだ」「こう考えてみたらどうだ」とありとあらゆるアドバイスを彼は試みたそうです。それに対して女子学生は「でも…」「それは分かっている…」「そんなことしたら友だちの、◯◯ちゃんの立場が…」と、彼のアドバイスをすべて否定して聴く耳をもたず。頭にきた彼は「だったら、もうアドバイスはしてやらない」と心に決めて極端に口数を減らしたそうです。
 頭の中では「早く終わらないかなぁ」「よくしゃべる奴だなぁ」と思いながら適当に相づちを打っていた。
 すると、彼女の話はクラスのモメ事から、自分の進路の話、弟が非行に走って困っている、父親が再婚するかもしれない…と、どんどん変化していった。たまたま、授業のなかった彼は6時限まで黙って話しにつき合った。
 しばらくすると女子学生は涙も消え、沈黙になり…
 笑顔になり「先生、私頑張るね!」と一言だけ残してチャイムと共に教室に戻って行った。

 

 そして、翌年の卒業式の日に、ホームルームが終わり、その女子学生が担任である彼に寄って来てこう言った。「先生、ありがとうございました。12年間の学校生活で先生が一番いい先生だった。本当にお世話になりました。」彼は「まぁね、お前達には本当に時間を割いたからなぁ。進路のこと、文化祭、体育大会…本当に疲れたけど楽しい一年間だった…」と言いかけたら、その女子学生は、彼の話をさえぎって「先生、私が一番嬉しかったのは、保健室で3時間も、ずっと私の話を聴いてくれたじゃん。あの時何も言わず、ずっと聴いてくれたことが一番嬉しかったんだよ」と…

 

 彼は生徒たちに学生生活の思い出が残るように、様々なことを計画し、達成させたり、バックアップもしてきた自負心がありました。しかし、一番の思い出が、あの適当に話を聞いていた保健室の3時間だったんです。その意味がメンタルを受講してわかりました。

 

 彼は言う、僕が今まで様々な書籍を読みあさり、講演会や各種研修や講座に行って学んでいたことは、どうやって生徒を「変える」かの一言でした。

 

 でも、メンタルで学んだことは「離別感」そう「先生」の問題なのか「生徒」の問題なのかを分けて整理することでした。そして、生徒に自分で解決する力があることを手助けすることでした。生徒の人生を、親なり先生が、そばにいて一生ついて指導などはできないこと…だから生徒に解決できるんだと信じてあげる「親しき仲にも離別感」でした。

 

 悩んでいるのは当の生徒であり保護者であるのに、相手の不安や心の奥底を、今までは聴きもしないで「定期試験を受けないと、追試験が」「このままでは登校日数が足らないから退学になる!」と、彼は自覚なく脅していたり、不登校の理由をムリに生徒から聞き出そうとしたり、頼まれてもいないのに「市の若者相談課」に連れていったりと「生徒」の心を完全に置き去りにして「自分」が何とかしないといけないと、先生である彼自身がもがいていました。

 

 衛藤先生の言う「親しき仲にも離別感」なのに、「親しくもないのに一体感」で、自分の問題としてとらえて、自分自身が生徒や親に巻き込まれ苦しんでいたのです。と、先生は反省されていました。それから立ち止まること、相手の心の動きを見つめることをするようになりました。

 

 そして、彼は受け持っている生徒にもメンタルで学んだ話しなどを自分の教室でもするそうです。女子生徒の中には目を見開いて相づちを打ちながら聴いている者も多く、彼女たちに話しを聴くと、友人関係やSNSでのやり取りに悩み・疑問を抱えている生徒たちが多かったそうです。

 

 ある時に彼が、就職試験の面接練習を担当する機会があり、そこで「好きな言葉」「座右の銘」を学生に質問すると、三人の生徒が「親しき仲にも離別感!」と答えたそうです。

 

 その理由をある生徒に聞くと「中学、高校の部活動でも顧問の先生から格言やコトワザを教えてもらった。でも全部ただのキレイごとに聞こえ、大人から押し付けられているだけで、私が求めている言葉ではなかった。でも自分自身が悩んでいる時に聴いた『親しく仲にも離別感』この言葉は自分の中に、薬のようにしみ込んで、精神的にも楽になって、周りを気にし過ぎず、胸をはって生活ができるようになった」と彼女たちは嬉しそうに語っていたそうです。

 

 これはカウンセラーEtoh.も聴いて嬉しくなりました。ウィキペディアの格言部門に選ばれました「親しき仲にも離別感!」ってね。

 

 そう、私が「解決してやろう」ではなく、相手の心が落ちる時には、落ちる心を引き受けて、桜に寄りそう風のように、相手の行きつくであろう、答えの道のりを一緒に旅することも大切ですね。散る桜も儚いけど、それにも意味があるのです。

 

 

 

 

 

引寄せのセミナーって??

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 「どうしても不安がなくならない。」
 「完璧に不安がない世界があると思っているの?」
 「はい。引寄せの本に、引き寄せれば不安がなくなり真っ直ぐな幸せな道が続くと…」
 「えーっ💦不安のない世界などないし、不安よ〜、なくなれ💦なくなれ💦と思っていると森田療法の言うように、不安によけいに意識が向きすぎて、不安のお化けに取り憑かれてしまう💦」
 「だって、イヤな上司も引き寄せが上手くいけば変わると書いていたから…」
 「そんな本は破って捨てたほうがいい!」💢
 
 「まぁ、その本を弁護するなら、きっと君の解釈がおかしい。君だけ良いこと続きでないと耐えられない!人生は幸せの連続であるべき!と『ねばらない主義』『べき主義』にこだわるから、イヤな上司の凹凸(デコボコ)にも、不安な心の凹凸にも気になるんだと思うよ。おそらくどこの職場にも、イヤな人の一人か二人はいるもんだよ。そう、どこに行っても凸凹はあるから。自分が行く場所は、すべてにおいて人間関係が満たされていなければならないと思うから、ありもしない「べき主義」や「ねばらない主義」に心が支配されて、よけいにデコボコだらけの上司が気になる。だから、その本で言う「意識が上がれば」と言うのは『どこにいてもイヤなことの1つや2つはある』『道は平たんではない』と現実を引き受けて心が強くなれば、デコボコの人生の道も「これが普通さ!」と意識が上がってデコボコの道も、平たんな道に感じるってことだと思うよ。それは、不思議なことではなく、心理的にタフになれば、チョッとしたデコボコ道にも、強くなってつまずかないと言うことじゃないの?」
 
 「あ、そう言う意味か!引寄せって…」「知らん💢!僕はその本を読んでいないから」
 
 「でも、君はこの上司嫌い、嫌いと思っていると以心伝心で、相手にも伝わって、よけいにイヤミを言われたりするから、その上司の前でも、笑う努力をして、その上司に言われたら『イヤだなぁ』と思わないで『はい!』と明るく仕事をしてごらんよ。引寄せの力より、自分の努力のほうが大切だと思うよ。やりにくい相手の話をイラだたないで聴く技術を使ったり、対立をしないように対立を解く方法を身につけたり、相手に好感をもってもらえる伝え方でお願いしたりと、君もメンタルに参加して、教室で人間関係の技術を身に付けてみたらどうだろうか…」
 
 「え〜引寄せ起こらないかなぁ」「そんな奴には、何も起こらん💢!」(笑)
 
 どうでしょう!最近「思いは具現化する」「願いは叶う」と言って、努力を放棄して、思いだけですべてが上手くいく的な夢見る夢子さん、夢夫くんが多すぎます。そんな人が変なセミナーに引寄せられて「それはあなたの思いや念が弱いからよ!もっと成功するために強く思うのよ!」「そうですね。先生『念』ねん、ネン!!!」って、さらに引き寄せられて行く。それが引寄せのセミナーか???
 
 もちろん、思いは大切です。
 東大や宝塚音楽学校に入るには強い思いは大切です。願うことなく「気がつけばタカラヅカ歌劇の舞台で踊っていました💦」は、絶対にない。
 思いも、願いも大切なのです。

 

 そして、それに見合う努力が、人間には何よりも大切なのです。
 
 エジソンも言っていました。「発明・発見には、1%のひらめきと、99%の努力である。」と…
 
 思っているだけで、イヤな親も、イヤな上司もいなくなるなら、空からお金が降って来るなら、それはハリーポッターの魔法学校に入学願書を出すことです。
 
 入学おめでとう!夢見る夢子さん、夢夫くん!

 

 

 

 

 


ヘアードネーション

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 アメリカのインディアンの保留地で、インディアンの風になびく髪がカッコよくて、アリゾナで風を感じたくて髪を伸ばしはじめました。
 帰国後、インディアン・カウンセラーと異名で呼ばれるようになり、いつの間にかこの髪型がトレードマークになっていました。

 

 

 髪の毛は神経から伸びたセンサーとも呼ばれています。第二次世界大戦でアメリカのインディアンだけはレーダーでも分からない敵の動きを察知することができました。ですから、多くのインディアンが、戦地での偵察兵として雇われました。しかし、アメリカ兵と同じにように軍人カットにしショートに刈り込むと、その動物的な直感や特殊能力が失われてしまったと報告されています。そこで、アメリカの国防省はロングヘアーのインディアンと、ショートヘアーのインディアンをペアで組ませて、危険察知や危機回避の実験を行った結果、すべての項目でロングヘアーのインディアンのほうが高得点のスコアを示しました。その実験の結果からインディアンだけは軍隊の中でロングヘアーでいることが承認され推奨もされました。
 
 日本の侍も、敵と遭遇した瞬間に、相手からの殺気を風でとらえるために、髪の毛を伸ばすことを好みました。チョンマゲはそれの名残です。相撲取りが引退すると、おごそかに髪を切るのは力を失い、普通の人にもどる儀式です。

 旧約聖書に出てくる、怪力サムソンも髪の毛を切ったために力を失いました。古今東西から髪の毛にまつわる逸話はたくさんあります。
 
 実は、そのトレードマークの髪の毛を切りました。


 そして、ヘアードネーションしました。ヘアー(髪の毛)ドネーション(贈り物)したのです。小児ガンや無毛症、先天性の狭毛症、不慮の事故などで髪の毛を失った子供たちに無償でウィッグを提供するボランティアのためです。
 
 僕も昔、長男が一歳の誕生日を迎えてすぐに、肝芽腫(肝臓のガン)に冒されて、京都府立医大に一年間入院して抗ガン剤治療を受けました。その時に彼の髪の毛が抜け落ちました。もちろん同部屋の子どもたちも、皆そうでした。
 
 僕が講演会で話す、しゅんしゅんの髪の毛も抜けていて、彼も出かける時は帽子をかぶっていました…
 
 ある時にヘアードネーションというボランティアが日本にもあると受講生から教えてもらい、それからは祈りを髪に込めてカウンセラーとして心に仕えること(仕事)をしてきました。
 
 そして、髪の毛がある程度の長さに到達したのでドネーションしました。
 また、これから祈りを込めて初心に戻って、髪の毛を伸ばし始めます。もちろん、心からの祈りを込めて…願いはガン細胞、退散!!!


 すみません、皆さんには興味のない報告ブログになりました。

 

愛は遅れることはない。

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 人生すべてを受け入れて生きる。
 
 母なる大地は、われわれに食べ物や、住むところを与える。その母なる大地は突然に命を奪うこともある。(インディアンの言葉)
 人生のすべてを受け入れると言うことは簡単ではありません。自然を愛するなら、春を受け入れるだけではなく、秋や冬も受け入れないといけない。人生にも楽しい日々の後、木枯らしが吹く日々もあり、そして、じっと首をすぼめる冬もあるのです。
 
 ある受講生は、亡くなられたお母さんの思い出を語ってくれました。
 
 お母さんが病になって3年目の春。

 

 二度目のお母さんの手術は失敗に終わり、大きな傷跡だけを大切なお母様に残して終わってしまいました。
 窓から差し込む夕日に照らされた病床で、お母さんが天井を見ながら一粒、一粒と静かに涙を流しながら「ダメだったんだね」と力なくつぶやいた、彼女は「うん…」とだけしか返せませんでした。彼女はその情景を忘れられないと言います。
 
 だから、メンタルの講座の後に流される映像に…「その人を愛していますか?」お母さんのことを想いながら「はい。もちろん愛していました」しかし、「愛する人の、人生そのものすべてを愛していますか?」と続く映像に、彼女は「はい」と心から言い切ることができない思いがあった。教室に居ながら、自分自身がどこに居るのか、わからないくらいに頭が真っ白になった…
 
 お母さんが亡くなる1ヶ月くらい前、病院に向かう途中で、空に二本の虹を見つけた。珍しいので、それを携帯のカメラに収めた。その写真を病室のお母さんに見せると、お母さんはとても喜んで、しばらく二本の虹をジッと見つめて微笑んでいました。きっと、お母さんは奇跡的な虹と、奇跡のような病状回復を願って見ていたのかもしれません。
 
 それから、奇跡的な二本の虹の話しをして、虹の写真を見たがりました。

 最初は彼女も感動し、そのつど虹の話をし、携帯の虹の写真を見せていました。しかし、来る日も、来る日も写真をせがむお母さんに「さっき写真みたばかりでしょ!」「また、虹の話しをするの?何度も聞いたよ!」と冷たく対応してしまったそうです。
 
 「相手の話しを聴く時には、頭を白紙にして、相手の視点から世界を見つめること。何よりも相手を変えようとせず、相手の世界を知ろうとすること…」と語る衛藤先生の言葉が心に響きました…
 
 今なら母の気持ちが痛いほどわかります。病院の窓から見る外の景色は、母の目からは、虹の写真がどれだけ美しく映っていたことでしょう。病床にふせる母には、二本の虹の美しさは、私が見た以上に、さらに何倍にも輝きを増し、いつまでも心に残る景色だったのでしょう。 その当時の私には、その視点はなく、ただ「何度も同じ話しをする必要はない」と、自分自身の色メガネをかけて、母にきびしく接していたのです。
 
 今なら二本の虹の写真を大きく現像し、母がベッドから見ることが出来るように高い所に飾り、何度も虹の話しをする母と一緒に、感動を語り合えたに違いない。虹の写真を見ながら満足そうにベッドに横たわる母の笑顔が今なら想像できる…

 

 

 

 私は病の母ごと、すべてを愛せていたのでしょうか?

 私を含めて父も弟も私たち家族は、母がいつか元気になり、病が治ることを願うあまり、弱っていく母に「元気になる為の努力をすべき!」「いつか、元気になるべき!」という固定化されたビリーフ(信念)を持ち、母に対して「頑張って!」というYOUメッセージを押し付けていました。その当時、母は母なりに精一杯を生きていたのに。
 「もっと、頑張って治療をしなければ!」「今の状態で生きていてはいけない!」と、自分たちの価値観を押しつけていました。その当時の母は「息苦しい」とよく言っていましたが、それは病気だけのせいではなく、私たち家族のYOUメッセージが重荷となり、押しつぶされそうな思いで、母の口から出た言葉だったのではないでしょうか。当時の私は、母の心の叫びを聴いてあげられなかった。
 
 この受講生の気づきは学びになります。
 
 僕たちは健康が善で、病気が悪。前向きが善で、後ろ向きが悪。満ちたりた日々が善で、落ちこむ日々は悪と思って過ごしています。それを疑うこともなく、自分にも、身近な人にも、その価値観を押しつけています。

 森田療法の言う「あるがまま」や、ロジャースが言う「受容」は簡単ではありません。

 それはインディアンの生きる姿勢でもあります。
 
 話してくれた彼女は「今なら母の手をさすりながら『今のお母さんで充分だからね。私たちは、お母さんと共に生きていけるだけで幸せなんだよ』と母の手を取り、虹の写真を見ながら、やさしく I メッセージを伝えてあげられます」
 
 最後に、今なら「母のすべてを愛しています!」と言えます。笑顔でこうシメくくってくれました。
 
 インディアンは言います。「愛する思いは時空を超えて死んだ者にも伝わる」と…
 
 僕は思っています。「死は『死者』をおびやかすことはありません。死は『生者たち』の未来を生かすために存在するのだ」と。

 そう、今、僕たちが思えるなら決して遅くはない。愛は伝わるのだから…
 
 思った時に、遅れても僕たちは愛を伝えればいい。
 
 メンタルは、「時間差 I メッセージ」を大切にして下さいとお伝えしています。

 

 

 



 

隠れていた幸せ

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 気づきや悟りは、突然に訪れることがあります。
 禅寺に通わなくても、癒しスポットに行かなくても。
 
 「腑に落ちる」「腑に落ちない」の「腑」とは、はらわたという意味ですが、心の奥から納得するという意味もあります。心がそれを認める、心の底に落ちるとは、どのような感じを指すのでしょうか?
 
 哲学者のプラトンは「想起論」で言っています。人の心の奥底には、あらゆることを知っている場所があるそうです。それを「そうそう!」と認めた時に、人は何かに気づくのだと言うのです。だから、誰でも心の中に答えが宿っていて、それが現実と心の答えが一致した時に、人は忘れていた何かが起き上がり、想い出すのです。「想い出す」の英語をRememberと訳します。Re(再び)メンバー(仲間)が集まるのです。
 「よぉう!懐かしいなぁ〜。忘れてたよ、この感覚」って感じでしょうか。
 
 女性のメンタル生は、親の期待に応えながら、生きていました。
 
 彼女の思い出すシーンは、誰も来てはくれない部屋で、泣き叫んでいる可哀想な2歳の頃の風景。だから、彼女はその淋しさを、もう味わいたくなくて、親の期待に応え進学校から国立大学へ。そして、公務員になり、周囲から見ると青空の下を、大手をふって歩いているような人生に見えます。
 
 でも、彼女の中にある風景は、いつもドンよりと薄曇り。
 
 「仕事が出来る」と周囲からいくら評価されても、本心では自信がなく、いつもビクビクしていて、人に心をひらくことが出来ない劣等感のかたまり。だから、自分自身を好きになれず大嫌い。そんな自分だから「誰からも愛されるわけがない」という揺るぎない確信が心の中にありました。やがて彼女自身も二児の母となり、自分と母親が重なりあって、子どもの時には理解できなかった、母親の愛情も少しずつは頭では理解はできるようになっていきました。
 
 でも「やっぱり私は愛されない」という想いが、心の奥底でぬぐえないままでした。
 
 メンタルで心理学を学ぶために夫に「大阪で週一で勉強に行きたいんやけど」と伝えても「そうか。何時に帰ってくるんや」と、いつもと変わらず、どういうところで、どんな学びをするのかをご主人は尋ねてくることもない。彼女は「どうせ私のすることに関心なんかない。どうでもいい人なのね」という気持ちに支配され、そんな時には、涙を流している幼い頃の自分が目に浮かぶのでした。
 
 そう「私は誰からも愛されない」と究極の孤独が、よみがえって来るのです。
 
 メンタルの講座は予想以上に深く、毎回が笑いと涙と、驚きに心が揺さぶられる連続だったそうです。とりわけ彼女が気になったのが「親しき仲にも離別感」と言うメンタルで学んだ言葉でした。家族であっても、相手と私は違う…
 
 いつものように講座と食事会が終わり「楽しかった〜」とハイテンションの気分で、地下鉄に乗り、私鉄の乗り換え駅に降り立った彼女は、次の電車に乗るために財布を開いた。
 
 ん?! クレジット機能付ICカードがない!
 
 さっき地下鉄を降りたばかりだから、ないのはおかしい。絶対にあるはず。何よりも私が不用意に大切なものを紛失するはずがない。カバンをひっくり返すような勢いで三度も探し、ようやく彼女は現実を受け入れました。そう、カードを失くしてしまった…
 

 

 「ならば!カードを止めないとっ」自宅に電話をした夫に、ことの顛末(てんまつ)を話しました。黙って聞いていた夫は、いつもの通りの声で「うん、わかった」の一言のみ…
 
 彼女は久しぶりに切符を買い、タイミングよく来た電車に腰を下ろしました。とその時に、ご主人からLINEが入ったのです。
 「カード止めたからもう大丈夫。出て来ても、もう使えないからね」のメッセージ。これを目にした時に、彼女の中で一つのことが腑に落ちました。そのストンという音が確かに聞こえたそうです。
 
 現実の世界で失くし物をしたことで、すでに持っていたのに「ないない」と探し求めていた、心の世界にあった大きなものを、彼女はこの時に発見したのです。大切なカードを失くしてしまった奥さんを、一切責めることもなく、ただ淡々とサポートしてくれている静かなご主人が、そこにはいました。
 
 ず−っと、振り返るとご主人は出会った時から、何ひとつ変わっていませんでした。
 
 これまで彼女がミスを犯した時も、何も言わずにいつも助けてくれていたのです。ただ、それを当たり前のこととして見過ごしていて、人生の「足りない」と感じることばかりを探していたのです。ずーっと私は愛されていたんだ。その中で守られ支えられていたんだぁ。ストンという音と共に、その静かな思いが胸いっぱいにあふれ、彼女は電車の中で涙でいっぱいになっていました。
 
 それは私が求める形ではなかっただけだった。夫は夫なりの表現で、私を愛してくれていた。何も口出しして来ないのは、それは無関心からではなく「君を信じているよ」という無言の夫からのメッセージだったんだと…。
 
 彼女が幼なかった頃、忙しかった母親に嫌われないように、すべてソツなく「ちゃんとしなきゃっ」と、自分自身がしたいことよりも、どんな娘を演じれば母親が認めてくれるかを、いつも考え、不機嫌に生きてきたのでした。
 
 彼女はふりかえり、離別感の「り」も持ち合わせていなかった私は、母の口グセだった「ちゃんとしなさい」と言う言葉を、子どもたちに向け「ちゃんとしなさい」「しっかりしなさい」を同じように一体感でしばりつけていたのです。
 あなたの年齢では、お母さんはそれぐらい出来ていたよ!」と、子どもの、素晴らしいところには目もくれず、ダメ出しの連続、ダメ出しの嵐、また夫に対しても「私に無関心!私を愛してはいない」と不満で過ごしてきたのです。
 
 でも電車の中で、新しく見えた景色は、これまでとは驚くほど違っていました。
 
 離別感………。
 
 人はひとりひとり、唯一無二の自分を生きています。私の目に映る世界と、誰かの目に映るそれは、全く別のもの。だから、相手にこうしてほしい、こうなってほしい、と望むこと自体が、そもそも相手に対して失礼なこと。第一、そんなことを望んでも、誰もハッピーじゃない。私が私でありたいのだから。相手も相手をシンプルに生きたいのです。
 
 ただそういうことだったんだ!
 
 だから、私は私、あなたはあなたで、ありのままでいい。いえ、ありのままがいい…
 
 長く薄曇りの風景の中に生きていた私が、今は色鮮やかな世界に身をゆだねていることに気づいたのです。
 
 今、私はメンタルで心理学を学ぶことで、自分史上で最高にワクワクする時間を過ごしているのです。と、語ってくれました。
 
 彼女のように、悟りや、気づきは日常の中に、いつも隠れんぼしています。
 
 外に自分探しの旅に出なくても、自分探しは生活を静かに見つめれば、隠れていた幸せが、ふと顔を出しているかもしれませんね。
 
 シ・ア・ワ・セさん、見つけた!!!

 

 

 

 

理性よりワクワクパワーへ

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 何をやっても続かないと言う人がいます。

 

 それは本当に、心からやりたかった事なのか?「やらねばならない」と思って、心(感覚)より頭(理性)を優先した事なのか?一度、立ち止まって考えてみる必要があります。

 

 人間の心は強いエネルギーを持っています。

 

 「好きな人に会いたい🔥」と言うエネルギーは、艱難辛苦(かんなんしんく)の苦労にも耐えられたりします。「これをしたらイイだろうなぁ」と頭で始めた人と、「これをしたい🔥」と心で始めた人では、結果は違います。

 

 「頭」と「心」がつな引きすれば、「頭」は「心」に勝てないのです。
 
 会社が売上の目標数字を定めてもガンバレなかった社員たちが、自社ビルを建てた時の、新しいオフィスの青写真を見て、自分たちのフロアはこんな感じで、デスクはこんな感じの風合いで、窓から見える景色はこんな感じでとイメージが明確になったら、売上が前年度比の12倍に伸びた企業があります。人間は五感が感じれば素晴らしいパフォーマンスを発揮するのです。
 
 「5キロ痩せたい」よりも「見違えるカラダになって、去ったカレシが後悔する私になる」と宣言したほうが心エネルギーが燃え上がります。
 
 マラソンも苦しい時に、向こうで待ってくれる仲間や家族の笑顔を思い浮かべるから走れます。距離を考えて走っている人は苦しみに負けてしまうこともしばしばです。
 
 だから、人生は頭人間より心人間のほうが成功するのです。
 「あきらめないで、やり遂げねばならない!」は、すでに頭の思考パターンに陥っている人のパターンです。
 
 その先に何が待っていて、自分がどう輝いているのかが、しっかりと想像できなければ心のエンジンが動きません。「人がそう言っているから」も、すでに頭人間のパターンです。
 
 「前向きになりたい」「自分に自信を持ちたい」「人づきあいをよくしたい」「自分を変えたい」これらは、人がそう言っていたから、人に言われたからにすぎません。
 
 大切なことは心がワクワクするかどうかなのです。
 
 昔、僕の心理学を夫婦で学んでくださり、教室をいつも盛り上げてくれ、いつも若い頃の僕に、衛藤さんは「スゴイ!」と応援をしてくれていた、菅生さんと言う人がいます。

 

 彼ら夫婦は、昔からイメージを大切にしていました。彼の送ってくる毎年の年賀状には夢にあふれた写真がいっぱい散りばめられていました。そして、家族の笑顔の写真…その当時、幼かった長男が今や、テレビで大活躍の若手俳優の菅田将暉君です。

 

 

 菅生さんは、いつもこう言っていました。人生にはワクワクするイメージが大切ですよ。それが「息子さんにも受け継がれているんだろう」と、彼をテレビで見るたびに感じています。
 
 そのやりたい事の先に「あなたは笑ってワクワクしていますか?」

 

 

 

 

 福岡校研究17期生の香葉村真由美さんの本が出ます。
 タイトルは「子どもたちの光るこえ」です。 

 

※関連ブログ

2015年5月25日 虹の戦士としての旅立ち

 

 

 

十把一絡げ

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 学生の時に、教授が「『十把一絡げ』にして、人を見てはいけない」と言われたことがありました。頭のできが良くなかったボクは「十羽🐓一唐揚げ🍗」と勘違いして「鳥の唐揚げがたくさんあっても、人には見えないと思うけど」と友に耳打ちして、仲間や先生に大笑いされました。すいません僕は当時、アホでした。今でも、さして変わらないですが(笑)

 辞書によると、「十把一絡げ(じゅっぱひとからげ)」とは、いろいろな種類のものを、区別なしにひとまとめにして扱うこと。また、一つ一つ取り上げるほどの価値のないものとしてひとつにまとめて扱うこと、とあります。

 心理学では、この心理を「過度の一般化」と呼びます。
 「男なんて、単純な生き物よ」とか、「女は感情的になりやすいから」とか。

 たまたま出会った人がそうだったからと、すべてを決めつけてしまう心理を過度の一般化と呼びます。

 例えば、たまたまアパートの隣に住んでいる隣人が少しの音で怒鳴りこんで来る、アパートの管理人に聴くと大阪の人らしい。部下の手がらを自分の手がらにしてしまう身勝手な上司がいる。彼は大阪出身らしいと同僚から聞く機会があった。友人の中で、やたらなれなれしく、親しくもないのに距離感を縮めてくる、面倒な関西人のヤツがいる。こうも大阪が重なると「大阪人はタチ悪い👎」となる心理です。でも、実際に出会ったのは3名だけなのです。

 関西人にも気の弱い人もいれば、謙虚な人だっているのですから「たまたま、自分が出会った関西の人は…」と言うのが安定した、人を決めつけないステキな人の言動です。だから、カウンセリングに奥さんに別れを告げられた、ご主人が「しょせん、女なんて魔物ですよ!」と言われると、心の中で苦笑いしながら「そう見えてしまうほど悲しかったのでしょうね」と同調しないで、優しく返すようにしています。

 また、この一般化は他人だけに向けられるものではありません。自分にも、ゆがんだ決めつけが向けられる場合があります。
 
 何度か恋愛で失敗したり、人前で話すことにあがってしまったりすると「私は恋愛に向かないタイプだから、一生孤独な人生なの…」「自分はあがり症でダメ人間なの…」と未来の可能性までも数回の経験で決めつけてしまうから困ったものです。

 考えてみて下さい。ハイハイしていた乳児が、立とうと思ってトライしたけど5回失敗したから「自分は立つことができない!」と決めつけてしまったら、誰もが一生立てません。今ごろ、街中はハイハイの大人たちばかりになってしまいます👶

 子どもが勉強しないからと言って「ウチの子は、あの程度ですから」と親が決めつけてしまったら、子どもにはマイナスの暗示が入って(催眠にかかって)その子は人生の可能性を閉じてしまいます。学校の先生でも「あのクラスは、あの程度なんですよ」と決めつけてしまうヒドイ先生は、子どもたちの未来を暗いものにしてしまいます。

 そして、過去に日本は、アメリカという国は「鬼畜米兵と言って、赤鬼のような血も涙もない人の形をした鬼だと」信じて戦ったのです。当時のアメリカにも、日本にも、優しい人も、冷たい人もいたはずです。

 「十把一絡げで、人を見てはいけない」と言った先生の言葉が身にしみます。

 先日、博多でタクシーに乗った時に、紙袋を持っていた僕に「買い物ですか?」と聞かれ、買い物ではなかったけれど細かく説明するのもなぁと思い、「えぇ」と僕。

 「外国人が多いでしょ?それも白人じゃなく、中国人!」
 「今、彼らの国は勢いがありますから」と僕はプラスの気持ちで言ったのだけど、運転手さんは「中国人は、日本人がキライなら、来んときゃいいのに💢」と同調をうながすようにバックミラーをのぞき込んだ。

 僕は「そうですね。一部の人はキライなのでしょうね。でも、好きな人もいるから来ているのでしょうけど…」と、心で苦笑しながら、タクシーの車窓から遠い見えない未来を見ようとしていた…

 いつか、日本なんて、中国なんて「こんなヤツらばかりだ!」と武器⚔️をかまえないことを願いながら…

 

 

 

 

 

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