テレビで、少年たちが川で、一人の少年を川の深みに追い込み、二人で覆いかぶさったりして、ふざけていた。そのふざけ(イジメ⁈)が、段々とエスカレートして、その被害少年は、川底に沈み一時、心肺停止になったという。
そのビデオで映っている中では、川に沈めた二人の少年は、川底に沈んだ友人を、助ける素ぶりを見せなかったという。
そして、それを離れた橋の上から撮影していたのも、女子高生達でした。
動画には、最初は女子高生達の笑いも入っていました。でも、そのうちに「イジメだよ」「まじじゃん」「きゃー!」と、緊迫感も感じ取れました。
どちらにしても、悲しいショッキング動画を再現した、イメージ映像になってました。
友達を沈める行為、それを止めない仲間たち、そして、それに制止する声もあげないで撮影を続ける女子高生達。
もちろん、コメンテーターからは「コレはイジメではなくて犯罪だ!」「そんな時は、撮影してないで、助けるベキでしょう」「これは高校生で、14才を過ぎているので刑法で裁けます。いや、裁かねばならない」と…
僕も内容がショッキングなだけに、映像が流れている間、やるせなさと悲しみを感じていました。
被害者の少年は、快方に向かっているそうですが、川に沈んだ記憶は完全に失われているといいます。
その被害少年の母親は「そのビデオを見ながら『こちらにおいで、こちらに~』と、私が助けてやりたいと思いながら、一生懸命に泳いで、足のつく所に戻ろうとしている、我が子が可哀想で、涙が止まらなかったと…もし、加害者である二人の少年の親たちも同じ立場の状況で、ビデオを見れば、そう思ったはずです」と…
僕も、その母親の気持ちに、共感して、涙した。
ただ、テレビでは、誰が、その少年を川底から救ったのか?
心肺停止した少年が、どのように助けられたのか? わからないまま、放送は終わりました。
コメンテーターの話も、あの少年も、撮影していた少女達も「裁かなければ!」と言う雰囲気で、そのコーナーは締めくくられた。
だけど、僕は思う。
すべての罪を少年や少女の責任にしても、大人は良いのかと…
「今の子供達は」とだけ言えないことは、大人の世界にでもある。
誰かの責任にして攻撃し合う、政治や、マスコミや、私たち…
その番組でも、結局は、学校が、子供達が、親のしつけがと、言う結論で終わり、笑いながら次のテーマの番組へと移って行った…
撮影した少女たちや、その二人の少年のあまりにも度を越したフザケ(イジメ)の代償、それを、ノリで見ていた少年たち。さらに、その関係者の家族の心に残るキズなど「自業自得だろ」とでも言うように、進行されて行くテレビ番組。
誰にでも、フザケているつもりが、いつの間にか、相手を傷つけていたという経験は、一度や二度くらいは、人生であったはず。
それが、とんでもない事になった場合と、ならなかったケース。
僕が一番、嫌悪を感じるのは、正義の名の上で、自分を省みないで「正義」を振りかざす人びと。
間違わないで頂きたいのは、だから「イジメを認めましょう」ではなく、誰もが「自分には関係ない」では問題は解決しない。
「イジメを止めましょう」と、芸能人を出演させて言わせるよりも、芸能人が「人は、ついつい気がついたらエスカレートする恐ろしさが、自分にも、相手にもあります。だから、誰でも加害者や被害者になるかもしれません。だから、みんなで『もう、止めろよ』と言える勇気を持ちましょう!」と伝えるほうが大切なのです。
被害者が加害者になる場合もあるし、その逆もあります。
売れない芸人を小馬鹿にするテレビ番組もあるのだから。だから、正義の顔は誰にもできない。
だから「今の子供達が悪いからだ」という決着を、安易に誰かに犯人を押し付けるのは意味がないのです。それこそが、今度は「社会のイジメ」になってしまう。
僕は思います‼
「批判」からは新しいものは何も生まれない。真実が生まれるのは「自己反省」からだと思っているのです。
事実、テレビのコメンテーター達も、「集団になると興奮がエスカレートするから子供達は怖いですね」と、加害者の少年と、制止もしないで撮影していた少女を責めるだけで「私たち大人も反省しましょう」とは、どのコメンテーターからも意見は出ませんでした。
テレビ局側の雰囲気で、イジメた高校生を批判するだけで「これは私たちも反省しなければなりません」と、コメンテーターとして、周囲から孤立してでも「イジメる子供達も、イジメられる子供達も、社会の被害者かもしれません」と擁護する意見も必要なのです。
「みんなで大人達も自己反省しましょう」と言う意見が誰からも出ないまま、大の大人が興奮して誰かを裁く。
テレビは視聴者に「今の子供達は」と苛立ちだけを与えて終わるのがテレビ番組のパターンなのです。
コメンテーター自身が「集団は怖い」と言いながら、テレビやコメンテーター集団に合わせて、加害者を責めることだけに終始してしまう。それこそが自分で言った「集団は怖い」を証明しているのです。
誰かが悪いと、犯人探しをするだけでは、イジメの問題はトカゲのシッポ切りで、何も解決しません。
その少年を沈めた、加害者の少年にインタビューしていたが「あれはイジメではなく、ジャレていただけ」とモザイクの中で語った。
それを見て「何を言うか!」と思う気持ちは僕にもあります。
でも、一方では、それが本音かもしれないとも僕は思うのです。
人は誰もが、コメンテーターもそうであるように、集団になると古今東西、個人の判断能力は下がるのが、人間の恐ろしさです。
だからこそ、僕たちは集団の中で「自分自身の恐ろしさを、監視しなければならないのです」それが教育なのです。
ただ、誰かが悪いと思うのがイジメの第一歩なのです。
「アイツがクラスの雰囲気を壊しているから」
「ヤツがヘラヘラして笑っていて何を考えているか、みんなに分からなくて気持ちが悪いから」
「あの子が、私の大切な友達を傷つけたから」
怖いのは、イジメている側にも「自分が正しい」という正義があるのです。
僕が何度も、ブログで書いて来ました。
正義が、戦争や他者への迫害を起こしてしまうのです。
あの頃の日本で、戦争時に声高に「戦争はよくない」「人殺しはよくない」と叫べた大人が何人いたでしょう。
それを考えれば、子供達にだけに、すべての悪を押し付けるのは、大人げないのです。
だからこそ、僕たちには「教育」が必要なのです。
どんな教育か、
いいかい、「僕たち人間は、間違う可能性がある動物」だから、自分が間違っていないかをつねに疑いましょうと。
だから、コメンテーターも、僕たち大人達も、子供達を責める前に、僕たち大人が、姿勢を正すことが大切なのです。
僕の好きなアーネスト・ヘミングウェイが「人間の勇気とは、窮地に陥った時に、見せる気品のことである」と語っています。
自分も間違う動物です。だからこそ、誰かを責めてばかりいないで、自分の周囲から、誰かを、攻撃すること、責めることを、まず止めましょう。
それこそが、イジメをなくす、模範となる大人なのです。何より、大人が興奮しないで落ち着いて大人として、子供たちを守りましょう。
だから、子供だけを批判するのは大人げない‼
誰かを攻撃する言葉よりも、行動を!
イジメ問題の裏にあるイジメ…
自分のリミッターをはずせ。
毎晩のように、オリンピックに興奮して僕は寝不足が続いています。コンマ数秒の、瞬間の中にドラマがあるのですから。
ならば、100mを10秒で走れる人なら、同じコンディションで100メートルを8秒で走れることになります。
これではスポーツ競技は、ただ早く走れば良いと言うことになり、人間の競技ではありません。速く走れることが目的ならば、足に車を付ければ良いし、身体にエンジンを付ければよいのです。
スポーツの感動とは、記録ではなく、そこに至るまでのプロセスなのです。
初飛行をしたライト兄弟が、数十メートル飛んだ長さの数万倍の距離を、僕は一週間で飛行機の移動によって飛んでいます。でも、飛行機の中でライト兄弟の数万倍の感動と興奮を味わっているかと言えば、僕は飛行機の中で、ただ寝ていたりします。
42.195キロの距離を、通勤で通っている人もたくさんいます。でも、その人達が、会社に到着するたびに、毎日感動の涙を流しているコトはないのです。
スポーツの中にある感動は、距離でも記録でもありません。
弱い人間が、自分の限界を乗り越えて
挑戦するからこそ、人は感動を共有するのです。
オリンピックでも、国際大会でも、そこに至るまでの練習の中で、汗と涙にまみれた、アスリートの闘いがある。
いくたびも逃げ出したいと思ったり、自信を失ったりしたことでしょう。
それでも、苦しい日々の中で、自分自身やコーチ、そして応援してくれる仲間を信じるマインドに立ち戻ってくる。
そのようなドラマが、オリンピックのコンマ数秒の中に、たたみ込まれているからこそ、人は感動するのです。
「たかが、コンマ数秒、縮めるのにあの人たち、バカみたい」と笑い飛ばす人たちには、そのコンマ数秒の中に、泣けるような感動が幾重にも隠れていることには気づかない。
人は、自分の限界を超えた時に、自分の世界が広がるのです。
アスリートは、その自分の限界を広げる戦いを、目に見える形で表現しています。
「心」にも同じコトが言えます。
人間関係の中で、めんどくさくなると逃げ出したり、辞めたり、逆ギレする人は、その限界を越えることができません。
それが、その人の限界値なのです。
だから同じようなシチュエーションになると「いつもこんな感じで終わるんだよね」と本人も、あきらめてしまう。
途中で本人も「後味は、いつもこんな虚しい感じになる」と空虚な結論までも、すでにウスウスと気づいています。それでも同じコトを続けてしまう。
それを心理学では、人生脚本のゲームと呼びます。
心理ゲームの特徴は、同じパターンをくり返して、最後は後味の悪さだけが残るのが特徴です。
人は誰もがみな、ゲームに巻き込まれています。それは、誰もが無意識の世界ですから、意識しないと気づけません。
「自分なんか価値がないから」という誰かのゲームに乗っかると、こちら側が「そんなことないよ」という、お助けゲームにのせられます。
このゲームは「前向きになろうよ」と、こちら側が元気づけても、落ち込むことで、かまってもらうことが、その人の無意識の目的になっているので、その人を勇気づけようとすればするほど「どうせ私なんか」と落ち込み続けるという戦略を取り続けます。
それは、落ち込むことで、誰かにかまってもらうという、無意識の目的が達成するからです。
個人ブログなどで見られるバトルも、同じです。
ブログに対して「こんなのつまらない」と言われる批判ゲームに乗せられると、こちら側は「詳しく説明させてください」というゲームに入ります。
「それでも、つまらない」と言われると「あなたには解らないだけだ」と売り言葉に買い言葉で、怒りの炎は燃え上がってしまいます。もともと攻撃することで、自分を認めさせようと思っている人に、まともに理解してもらうのは難しいことです。
人はそのようにして、マイナスな関わりでも誰かにかまってもらおうとします。それほどに人は人と関わりたいのです。でも心理ゲームのような、ゆがんだ人との関わりは、最後は「いつも私はこうなのだから…」と気分は落ち込みます。
最後は「自分は、こうだから(性格)」と自分で作ったワク(枠)の中に逃げ込んでしまい、新しい自分になることを拒みます。
自分自身に確信があるための「自分は自分」ではなく、ただ意地になって自分を守ろうとしているだけなのです。
そして、その枠を認めてくれる仲間だけの意見を聞こうとします。
だから、人生に変化が見られない。
逃げ、現状維持、攻撃、落ち込みばかりの人生で終わってしまいます。
脚本は意識して変化させないと、くり返されます。
競泳の途中で、もうワン・ストローク誰よりも速くと思っても「自分はムリだ。ここが限界」と思ってしまうと記録は伸びません。
そこが、その人のコンフォートゾーン(自己の限界値)なのです。
そして、自分はムリだからと自分の限界を決めてしまいます。
結果、人生の中で同じコトを繰り返す。そして、何よりも逃げクセがつきます。
その限界を越えたければ、いつもと同じ脚本のパターンになりそうな時に、人生脚本だと気づき、自ら作り出した、自分のコンフォートゾーンから飛び出すしか変化は望めないものです。
いつもよりも限界のリミットをはずす行動をする。
筋トレのバーベル上げも、手がブルブルときて、あと一回で筋肉の線維をブチと切る! それが次に負けない太い筋肉を再生してくれます。
その先に、本物の笑顔で生きている、あなたに出会えるかもしれません。
負けるな、あ・な・た!
祈りと言う静けさ…
心理カウンセラーという役割をしていると、
「私の知り合いに、こんな人がいるのですが…」
「間違った生き方をしているのが心配で…」
「うつ病の友人を見ていると、今のままの考え方ではダメだと思うので…」
誰かに「助けて!」と言われた時のカウンセラーとして援助の方法はたくさんあります。
ただ「救って欲しい」との、本人からの依頼がない時に、正義の虫や、おせっかい虫が騒ぎ出すと、いらぬお節介になることがあります。
僕も心理学やコミュニケーション学を学び始めた頃、すべての問題点を救ってあげたいとカウンセラーとして躍起になっていました。
ましてや心理学で心の歪みや、誰もがトラブル思い込みのパターンが解ってくると、より一層その正義感で、お節介の傾向が当時は強烈でした。
アメリカで学んだプロフェッショナル精神とは「出来る事」と「できない事」が、分かっていることでした。
何でもできると言うのは、プロではないのです。
「いつでも話を聞くからね」と言ってしまうと、不安神経症の人は夜討ち朝駆けで、相談の電話をして来ます。
それに、堪り兼ねて「もう、いい加減にして!」となれば「相手は、いつでも電話をして良いと言ったではないか⁇」になります。
この場合「常識を考えてよ」は、通じません。なぜなら、悩んでいる人は、人一倍、誰かに頼りたいという気持ちが強いのですから。
それを見越して言葉を選ばなかった人がプロではなかったのです。
ですから「なんでも私に任せてよ」と言ってしまう人は、プロではありません。
また、どんな悩みでも解決できるカウンセラーはいません。それを言い切る人は、人の人生を簡単に考えているのです。
私は「なにが得意」で「なにが不得意」であるかを自分自身で熟知している人、それがプロフェッショナルなのです。
最近、僕は「縁なき衆生は度し難し」という言葉が身に染みます。
僕は宗教家ではないので、縁(関係ある)とか、衆生(人々)、度す(助ける)くらいの意味しかわかりませんが、カウンセリングルームで、悩みが解決する相談者は、問題が解決できるタイミングで、カウンセリングに来ているのです。
そこには、その人なりの絶妙なタイミングが働いているのです。
「時間」や「環境」「出会い」「もう悩むのが、心底イヤになったから」などの、その人なりの最高のタイミングが、カウンセリングの成功する陰には隠れています。
それらを広い意味で「縁」と言うのかもしれません。
悩みの解決には「時間」と言うタイミングを、仲間につけないといけないし、カウンセラーと相談者の「相性」や「波長」といった、目に見えないものが関係しているように思えます。
心理カウンセラーC・ロジャースは、「悩ませると時には、トコトン悩ませなさい。そこから学べることが多いと…また、悩みは人生に気づくためのエッセンスだと」教えてくれました。
トラブルの元は、悩んでいる人よりも、周りの外野が、それに耐えれなくなっているのかもしれません。
「馬を水辺に導く事は出来るが、馬に水を飲ませる事は出来ない」ともいう。その渇きを待たないといけない時もある。
このブログの上のバーにある「ひとりごとアーカイブ」の2010年12月23日にも書いていたようですが…
病気になったり、不幸に見舞われた人に「大丈夫?」「どうなの?なんでも私に相談してよね?」などは、その人の自己満足に終わることがあります。
僕の長男が小児がんになって入院した時に、周囲に「大丈夫ですか?その後どうですか?お坊ちゃんの具合は?」と毎回多くの人に切り出されると、その度に説明するのがツラかったのを覚えています。
もちろん、心配してくれているのはありがたかったのです。
でも、その病に冒された子どもの親の僕にも分からない、これから向かうであろう子どもの病状を語ることに、辛さを感じるようになっていました。
やがて「お陰様で、ありがとうございます。僕たちは子供は良くなると信じています」と、だけ返すようになっていました。
一番ありがたかった人の声かけは「何か出来るコトがあれば、声をかけてくださいね…私で出来ることは何でもしますから」とだけ伝えて、遠くで見守ってくれている人でした。
小学生だった頃、義理の母が亡くなりました。近所の人々が「ノブくん、大丈夫かい?ツライね」と言った後、その近所の人々が大笑いして、誰かのうわさ話に、花を咲かせていました。もちろん、分かっています。そのご近所に悪気は無いことも…
僕の知り合いが、ガンでいよいよと知らされて、彼のお見舞いに行きました。
年老いたお父さんが「もう、痩せてしまって子供は、誰にも会いたくないと言っていますから…」と言ったと、伝え聞いて、僕は「治ることを信じています」と手紙だけを託して帰った。
一緒に行ったメンバーは「それでも、来たのだから」と一言かけてくると、病室に入って行きました。
せっかくのお見舞い者に「帰ってください」とは言えない家族と、子供に先立たれる親の気持ちを考えると、僕にはそれができなかった…愛の側になると、人は正しいという思いに支配される。
お葬式で、親が死んだ事を知らずに無邪気にはしゃぎ回る子供を、可哀想にと抱き上げ、涙ながらに頬を押し付ける瞬間に「自分は情のある人間だ」とナルシステックにも自分に酔う瞬間が無いのか?を見つめる目を持ちたい。
子供は突然抱かれて、知らない人に涙いっぱいの頬を押し付けられる。子供は、その瞬間は、親の死が分からない中で生きているのに…突然、現実という他人の優しさの演出に担ぎ出される。
僕はこの劇場型社会の中で「沈黙」という意味を噛みしめたい。
静かな祈りとは、激しい親切よりも、「縁」を感じることがあるからです。
お盆に想う…
故郷は遠きにありて思うもの…
お盆ですね。
僕は大阪の都会で生まれ、九州の大分で育ちました。だから、僕は途中から故郷ができたのです。
夏休みは祖母の家に遊びに行く。
その田舎だった場所が、家族の都合で、僕の故郷になりました
当時、お盆には、今は亡き祖母が、盆踊りの練習や、子供たちへの踊りの手ほどきを公民館などでしていました。
盆踊り当日は、幼なじみの女の子が、化粧をしてもらって踊っているのを、非日常の不思議さと、憧れの混じった思いで見ていました… 僕に気づいた幼なじみから、手まねきされて、僕は照れてしまいコクリと、ぎこちなく会釈して、走って帰宅したことを、今も鮮明に覚えています。
それ見ていた祖母から、帰宅して早々に「何をあんたは、照れたんね」と笑われて、心を見透かされたようで「照れてなんかないき」と、ムキになっていた、あの頃…(笑)
アメリカでも、ネイティブ・アメリカ(インディアン)のパウワウ(pow-wow)が、この季節にあります。 それはインディアンの盆踊りのような大会です。ネイティブの長老たちが、一生懸命に子供に、ステップを教えている姿に、僕は遠くアメリカという異国で、大分の故郷を思い出していました。
日本でも、世界でも、故郷は同じ香りがします…欠かせないのは、老人と子供たちの笑顔 ‼ それは、過去(老人)と未来(子供)だから。
その二つの季節が、キラキラ輝いていたら日本も大丈夫です。
今(大人たち)は、その二つの季節を守る(つなげる)ためにあるのです。
だからこそ、大人(今)には屈強な身体があるのだとインディアンは言います。
だから、インディアンが祈るように、7世代先(永遠と同じ意味)の、未来の子供達にも、同じ季節が来るように今の大人たちが、努力しなければなりません。
そう、冷たい川のせせらぎ、ホタル、風鈴を揺らす風、スイカ、セミの声、夕立ち、夜空の星々の美しさを過去から、僕たちが、ゆずり受けたように、未来にも残してゆかねばなりません。
何よりも、誰かを愛する気持ちを…
このお盆の季節の過ごし方。
田舎のある人も、都会で育った人も、幼かった頃に、通った登下校の道を歩いてみるのもいいかもしれません。 学校の校庭も、 遊んだ公園も、楽しかった駄菓子屋さんも とてもとても小さく、狭く見えたら、それは、あなたが大きくなった証拠。守られる側から、守る側になっている証になります。
頼れる人が、少なくなるのは、さびしくはあるけど…
今、あなたの季節は、誰かを守るためにある夏の時期かもしれません。
そして、夏の時期を精一杯に生きて、秋や冬の黄昏時代に、そなえねばなりません。
秋、冬の季節に「夏の時代を、もっと楽しめばよかった」と後悔しないように…
PR: FXなら、約定力No.1のマネーパートナーズ
噴火直前の大人たちへ、ミルクはいかがかな…
また、大人たちが怒っている。
「日本の立場が」「なめられている」「弱腰外交」「腰抜け政治」
その先に何が待っている?
大きなケンカ⁇ 戦争…
「弱い犬ほど、よく吠える」肩を怒らせて、牙を向ける姿勢が強い人なのか?
僕にも、そんな時代があった。力くらべ、腕力くらべ…心が怯えていた、あの頃。
インディアンの地で学んだこと。
マザーアース(母は大地)、ファザースカイ(父は空)。
そして、その中間で、僕たちは生まれ生きている…すべて大地から生まれ、やがて大地と空が、僕たちの身体を、最後の時は、引き受けてくれる。
マザーアース(母なる地球)は、僕たち大地の子供から、けっして逃げはしない。僕たちは、そこに生まれ、そこに戻るのだ…その母なる大地は、誰のものでもない。
「まるでビーズを、売り買いするように大地を、なぜ、あなた達は所有したがるのか⁇ 」と、シアトル酋長は演説で語った。
人間はどうして、大地にラインを引き、海に境を設けるのか???と…これは俺のもの、そこは、お前のものと…大地は誰のものでもない。
小さな点のような島で、僕たちが血を流しあうのが、それが勇気だろうか?
誰も、そのことを言えない時代…
戦後67年、やはり時代は、くり返されてしまうのか?
人間どう生きるか?
どのようにふるまい、どんな心で日々を過ごせばいいのか、本当に知らなくてはいけないことは、僕たちは全部、幼稚園の砂場で学んだとロバート・フルガムは語る。
では、幼稚園で僕たちは何を学んだのか?
僕たちは何でもみんなで分け合うこと。
ずるをしないこと。
人をぶたないこと。
使ったものはかならず、もとのところに戻すこと。
ちらかしたら、自分で後片づけをすること。
人のものに手を出さないこと。
誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと。
食事の前には手を洗うこと。
トイレに行ったら、ちゃんと水を流すこと。
焼きたてのクッキーと、冷たいミルクは体にいい。
釣り合いの取れた、生活をすること、
毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして、少し働くこと。
毎日かならず、昼寝をすること。
おもてに出るときは車に気をつけ、手をつないで、離ればなれにならないようにすること…
この大地に住む世界の人々が、3時に、おやつにクッキーを食べ、ミルクを飲み、ふかふかの毛布にくるまって安心して昼寝ができる。
そんな、世の中であればどんなに暮しやすいことだろう。幸せの世界はむつかしく複雑ではない。
各国の政府が、大地の仲間とケンカしないこと、友達をぶたないこと、どんな時も、手をつないで、心が離ればなれにならないようにすることを基本政策に掲げ、これをきちんと実行できたなら、僕たちの、未来はどれだけ幸せに近づけるのだろう。
そう、大学のてっぺんに人間の知恵があるのではなく、すべては幼稚園の砂場に知恵は、たくさん埋まっていたのです。
子供のように、俺たちは日本人だ!
俺たちは韓国人、中国人と言い合う世界を終わり、僕たち⁈
「僕たちは地球人‼」と言える時代へ
「走らないかんぜよ!なぁ、龍馬」「また、大人たちが小さきことで、ほたえよるよ…」
今、世界の人々がイライラしている。 もしかして、それがマヤ歴の終わりと関係していなければ良いのだが…
恋は終わり、愛が始まる…
愛し始めた時よりも、別れる時のほうがストレスを感じるものです。
昔、読んだ詩に、小包の紐をほどきならが考えた、結ぶ時よりも、ほどく時のほうが時間がかかるものだと…
「出会いは突然に」と言うけれど、関係を結ぶ時には「自分達が、これから大切な関係を結ぶのだ」とは、意識には上りません。
別れの時、互いの関係をほどく段階になって、人はその結び目が、知らないうちに、いかに固く、強く互いに結ばれてきたかを気づき、涙するものだと…
そして、出会った時には、ほどく瞬間がやって来るなどとは、誰もが気づきにくいものです。
「どうすれば、別れの悲しさから逃れられますか?」と、カウンセラーとして、僕も未だに答えなど見出せない、質問を投げかけられます。
ただ、僕は「逃れないほうがいい」と思っています。
大切な人との死であっても、恋愛の別れであっても、関係を自分から解くにしても、相手から解かれるにしても、僕は「その結び目の固さに驚き、悲しむ時間が必要なのだ」と感じている。そこで人は成長するから… それは、過ごした日々であり、笑った瞬間であり、自分と相手との大切な時間が、結び目の固さに織り込まれているのです。
悲しさも、喜びも、大切な自分の人生だからです。
自分の人生に後悔する人は、後悔することがらにあるのではなく「後悔した」と、自分の過去の出来事に対して、簡単に白黒に分けてしまう、心のクセにあるのです。
投げやりに、その結び目を力で断ち切る人もいるでしょう。時間をかけて、その結び目を、感謝しながら大切にほぐしてゆく人もいます。
結ぶ時は、人は互いに優しくなれます。ほどく時にこそ、人はその真なる美しさが垣間見えます。
悲しみのあまり攻撃に転じる人もいます。相手の不幸を、どこかで願うこともあるかもしれません。
だから、その人の価値は、その始まりではなく、終わりの時に愛の真価が問われます。
そして、子供のような恋が終わり、真なる愛が始まるのです。
「歌は終わった、でも、メロディーが鳴り響いている。」村上春樹
貴方は、どんなリズムで生きてゆくのか?
人生はオセロではない。
恋愛をするのが怖いという人がいます。
悲しい思いをしたくないからだと言う。
過去の失敗を考えて怖気づくのだとも…
「でも、楽しいこともあったのでは?」と聞くと、最初は幸せだったけど、いつも悲しい結果に終わるから恋愛に臆病になって。
そうなんだろうなぁと思いながら、僕は考える。
人生を考えてみると、波のようにピーク(頂上)もあれば、ボトム(谷)もあると思う。
谷にある悲しみを恐れている人には、至高の幸せも訪れないのです。
悲観的に感じられるかもしれないですが、出会いと、別れはセットなのだと僕は思っています。
どんなに愛しあった夫婦でも死が二人を分かつ時があります。
妻という役割は、夫の他界で終わります。親になることも、子供のひとり立ちで、ほぼ終わってしまいます。
部長という役割も、定年退職で終わってしまうのです。
人生は、いつもピークも、ボトムがつきものなのです。
結果、別れることになったから、出会わなければよかったと言う人は、オセロのように最後が黒だと、出会った時の感動も、楽しかった瞬間の想い出の白の部分も、すべて黒にしてしまうのです。
限られた人生の中で、それは損な生き方だと思うのです。最後の一枚が黒なら、すべてが黒に変わってしまうのですから。
「親から愛されなかった…」と言う人もそうです。人間は赤ちゃんの時に、ジャングルに放り出されると、三日も生きれないでしょう。オオカミに育てられないかぎり(笑)
人は一度叩かれたら、三度は抱かれているのです。でも、叩かれた記憶は残りやすく、抱かれた記憶は忘れやすいものです。
でも、黒の部分や悲しいことだけに、クローズアップして生きていると、自分の人生は価値がないものになってしまいます。
人生はオセロではありません。白はやっぱり白なんです。宝くじを買って、はずれた時に「結果が出るまで、ワクワクとした、幸せの時間を過ごせた」と思う人は幸福な人です。「外れたから買わなきゃよかった」と思う人は、人生を楽しめないタイプなのです。
白は白として、幸せだったと思える人は成幸者です。
白があっても、終わりや結果が黒だとオール黒だと思ってしまう人は《結果至上主義》なのです。
あの学校に合格出来なかったから、勉強しなければよかった。
金メダルを獲得できなきゃ練習した日々はバカみたい。
誰からも見てもらえなければ、ゴミを拾っても意味がない。
そして、愛してくれなければ、愛さなければよかったになります。
人生を悲しいことと、楽しかったことを、シッカリと分けて、オセロのように全部[白]とか全部[黒]とかに塗りつぶさないで、白を楽しめることが必要です。
人生も、幸せの瞬間と、不幸な瞬間を分けるバランのような物が必要なようです。
悲しみが、楽しかった日々まで侵食しないように味わいましょう‼
穏やかな愛国心
老いるパターンは二通りあります。
肉体的には、できたことが出来なくなり、何かを失っていくようで、頑固になって、自分の持っている物に執着するようになる人と、
もう一つは、年齢を重ねれば重ねるほどに、心は永遠に衰えることなく、ますます、心の視野が広くなり、次の世代の人を援助することに生きがい感じて、老賢人として自分の存在を世界のために使おうとする人がいます。
前者は「いつも、邪魔者あつかいされている」「ワシを小バカにしよって」と不信感と攻撃心で世界をせばめてゆきます。
老賢人は、穏やかに人と関わり、その年齢に到達するまで、身につけることの出来ない経験を、社会や地域のために還元させようとします。
自分が身体的に出来なくなっていくことに、心が奪われる人と…
若い時には「自分が、自分が…」と競争と権力を追求してきたことを反省し、自分の熟練した技術や経験を誰かのために生かそうと「今」やれることに心を注げる人がいます。
登山は登りよりも、降りる道のほうが事故が多いと言われます。
人生も登るよりも、降りる人生のほうが、人は難しいようです。
日本は、これまでの経済大国として「俺が、俺が」と、経済界で世界の覇者でした。でも、これからは豊かさを経験した国として、世界に語り伝えることがあるのではないでしょうか?
経済が中心になれば、今の経済界のように原子力発電所を「止めるな!」となります。
でも、世界の中で「心の大国」日本として確固たる地位を獲得すれば、これから日本は大切な役割が果たせます。経済大国よりも、エコ大国日本として。
なぜなら、日本は世界の中で、唯一の原子爆弾の悲惨さを経験した国です。
さらに、世界の中でも、最初にアジアの中で経済大国の地位を経験しました。
ですから、東洋の和の精神と、西洋の競争原理の精神を経験し、それを学んできました。
競争社会の経済至上主義で「日本は幸せだったか?」と問えば、公害汚染を経験し、子供達は受験地獄の中で、心を壊し、家族は崩壊…人々は豊かさの中で笑顔を失いました。
日本はその経済大国が向かう方向に、本当の幸せがあったかどうかを、誰よりも利点と欠点を語れる国です。バランスの大切さを伝えられる先輩国です。
マイケル・ジャクソンも医療用の睡眠導入剤で心を鎮静させ、ホイットニー・ヒューストンは孤独にホテルのバスタブで亡くなりました。
彼ら、ハイソサエティな世界の代表者は、ショービジネスの勝利者であったかもしれませんが、幸せの勝利者には、なり得ませんでした。
経済という覇権の先には、幸せはなかったのです。
現代は、いろんなことを気づかせるようなニュースが日本にヒントを与えています。
自然を壊し、バランスを崩したツケは、急激な気候の乱れを各地域にもたらしています。
日本は、東北の震災で、自然はコントロール出来ないこと、クリーンエネルギーと言われた原子力エネルギーの正体を徹底的に見せつけらました。
そんな中にも、ブータン王国の国王夫妻の微笑みに、日本は懐かしさを感じたのです。
日本の家族では親殺し、子殺しの殺人事件がテレビでは報道され、通り魔やイジメ、孤独死など、他人に対する無関心さ、地域のつながりの弱さが露呈しています。
悲しいことに、日本人は自殺者3万人を14年連続続けています。預貯金残高No.1のこの国なのにもかかわらず…
隣国である韓国でも、日本の過去を見るように受験地獄で多くの家庭の問題が噴出してきています。
中国は急激な発展により、大気汚染の問題が深刻化して砂漠化が止まりません。
だからこそ、日本は隣国と競い合うよりも、経済至上主義や発展の先にどんな問題点があるのかを先輩として、たくさん語ってあげられる立場にあるのです。
島を東京都がお金で買い取ると、隣国を刺激し、陸海空の自衛隊の合同で実弾訓練を、富士のすそので開始しました。
どちらも挑発合戦です。
私たちは神功皇后や豊臣秀吉が「朝鮮征伐」という言葉で、隣国に攻め入り、100年前は彼らを植民地にして、北朝鮮の拉致よりも沢山の人々を日本に連れてきて、高島炭鉱や夕張炭鉱で日本人の名前に変えて、日本語を強要して働かせたのです。
日本から韓国に攻め入ったことは何度もあっても、朝鮮半島から日本支配のために攻めて来たことはありません。元寇の時ですら、彼らはモンゴル帝国の属国であったために、彼らは日本攻略の前線基地にさせられ、元軍の食料の補給で貧しい生活を強いられた。
だから、彼らには、彼らの言い分があるかもしれません。
大切なことは、いつも自分の言い分だけではなく、相手の立場に身を置くことも、冷静さを取り戻すためには必要なのです。
いま、日本人は、頑固な老人が怒りをあらわにしているようで心配です。
威風堂々とした風格を持った穏やかな尊敬される紳士な国でありたいと日本を心から愛する一人として思います。
シリアで亡くなられ、世界中が悲しんだ、ジャーナリストの山本美香さんが「人は善にも、悪にも成りえる。この戦争という病魔は突然に始まるのではない。確実に戦争の準備があり、それにジャーナリストが多大に影響する」
「そして、意地の張り合いの戦争が始まると、もう誰もが止められないし、一番の被害にあうのは、交戦的な人達ではなく「平和を願う」穏やかな人々や子供たちなのです。
だから、この戦争という病魔を伝えることが、ジャーナリストとして自分の存在なのだと思う」と、彼女は生前に語っていました。
「戦うことが愛国心‼」というようなムードが、67年前どんな悲劇の結末をもたらしたかを僕たちは、しっかり考えたいものです。
国と国の意地の張り合いに、人々は冷静で巻き込まれないでいたいものです。悪魔は正義の装いで忍び込むといいます。
愛する心を武器に立ち上がれ!
国家の威信よりも、僕たちの小さな交流が、世界の流れを変えるかもしれません。
心理学の受講生でもあり、本城式英会話学校の校長のノリから週末に連絡があり、ブログで紹介してほしいとYouTubeの画像が送られて来ました。
さらに昨年の震災の時には、こんなブログもありました。http://ameblo.jp/leading/entry-10829981248.html
哀しみをチェンジさせる。
先日、大切な人を喪った人がいた。
残された者の悲しみは、誰にも代わることは出来ません。グリーフケア(悲しみのケア)にとって、最も有効な手段は「時間経過」です。時間薬とも言われます。
そんな折、東京校の受講生でもあり、読書療法学会会長の寺田真理子さんから「僕がいつも語っているような内容の絵本があるから」と本部に絵本のプレゼントが届きました。
必要なことは、必要な時に起こるのですね。
おじいちゃんが大好きな可愛い坊や(孫)に、おじいちゃんからのメッセージです。
おじいちゃんのために泣くのはいいが、泣き過ぎてはいけない。なぜなら、おじいちゃんは、お前の笑った顔が一番好きだったから…でも、時間はその傷みを薄れさせてくれるだろう…
とても孫を愛する祖父の愛が、残された者への優しい眼差しのようにダイレクトに伝わってくる優しい絵本です。
そして、先日は福岡校の卒業生で笑顔共和国大統領の福田純子さんと一緒に食事をしました。
純子さんは、一般的に死とは、暗い・悲しい・辛い・無など「陰」に捉えられがちですが、でも亡くなった日を死日ではなく、命日=命の日と呼びますよね。さらに「故人は生前はこのような生き方を…」と偲ばれるじゃないですか。生前、つまり生きる前と語られるのです。
また、旅立ちと言う言葉は死を陰にするには言葉が似合わないし、ましてや悲しく暗い所から誰かを親切にお迎えに来るのも納得がいきません。それも笑顔で、ですよ。
何よりも誕生日の「誕」とは「いつわり」という意味も持ちます。今ここがいつわりに生まれた所、そして、死の瞬間こそ命が与えられた命日になるのもヘンです。
純子さんは、この世界は、あの世に旅立つための滑走路かもと笑っていました。さすが笑顔の達人
フロイト派の心理学者のオットーランクもバーストラウマ(出生時外傷体験)といって生まれてくる時が、一番の心的トラウマだと言いました。
なぜなら、子宮の中では体温調節も栄養も、排泄も母体まかせで、静かな楽園なのです。
完璧な穏やかな世界に住んでいて十月十日(280日)で、追い出されるのですから、エデンの園を追われるように「そりゃあショックでしょうよ!」
子宮の世界では、誕生は子宮から胎児の姿がいなくなるのですから、失う状態です。まさに子宮の世界では「死」です。
でも、この世界では誕生なのです。
ですから、この世界の死も「どこかの誕生日」かもしれません。
大切な人を失うことは「彼方の世界」に旅立った時に、歓迎者がたくさん増える事だと考えると、少し楽しみになるかもしれません。
きっと、あちらの世界はいい所ですよ。
だって、今まで一度も帰ってきた人はいないのだから。
PR: それは、ただのビジネスか。クオリティ・ビジネスか。
疲れたカウンセラーのひとり言…
今だに、発散の方法がわからない。
今だに、トラウマから抜け出せない。
今だに、未来の展望が見えない。
今だに、夢が叶わない。
今だに、ある人を許せない。
今だに、完全な愛に出会わない。
今だに、幸せがわからない。
今だに、大切なものが見出せない。
どこに行けば、その(理想郷)パーフェクトワールドにたどり着けるの?
君は聞くかもしれないね。でも、その理想郷を求めれば、永遠にそこに到達し得ないかもしれないよ。
なぜなら、人は幸せになると、さらなる幸せな状態を夢見始める。すると「今」の幸せな状態は、不幸な日常に変わってしまう。
昔からギリシャの哲学者たちが「幸せのパラドクス」と呼んだんだ…
欲しかったオモチャが手に入ると、やがてそれはオモチャ箱にゴチャゴチャに投げ入れられる日常になるように。
だから、悟った時も、また落ち込む時もあり、出会った時もあり、出会っているのに気づかない時もあり、
せっかく出会った人を喪う時もあり、また、笑えたり、笑えなくなったり、答えを発見したり、迷ったりもする。
急ぐ時も、止まる時もあり。陽があたる時代もあれば、日陰の時代もある。
褒められる時もあれば、笑われる時もあり、前向きな自分に出会えた時もあれば、心ふさぐ時もある。
焦る瞬間もあれば、気長に鼻歌唄う時もある。
手を握り合う時もあれば、拳を握る時もある。調子にのる時もあれば、うなだれる時もある。
お腹が空いてる瞬間と、もう大変だ~ってくらい満腹な時もある。
眠れる時もあれば、眠れない夜もある。
愛情に包まれる瞬間と、淋し過ぎて涙する瞬間もある。
こうして世界は回っているのさ!
それらの日々が、すべて生きていること、学んでいること、迷いもふくめて人生なのだと味わうことなんだよ。
今がパーフェクトワールドなんだと気づくことさ。
夜がないと朝がわからないし、悲しみがないと、喜びが何かも味わえないだろ。
幸せは探すものでなく「今、ここ」が
幸せだと味わうものなんだ。
昔、僕の大切な小さなお友達が、この世を去ってね。
「彼はね、大人になりたいと願いながら」お母さんの腕の中で、次の世界へ旅立ったんだ。
そう、君が「分からない~」と叫んでいる世界に「生きて見たかった」にもかかわらず、その望みも叶えられずに…
もういいかなぁ。
僕は、今、その質問の数々に応じるのに疲れてしまってね。
でもね、その疲れも幸せだと僕は気に入っているんだよ。
なぜなら、僕の幼い友達の「幸せの世界だからね」…
《旧約聖書 伝道の書》
すべてのことには時があるー
生まれるに時があり死するに時があり、こわすに時があり建てるに時があり、泣くに時があり笑うに時があり、悲しむに時があり躍るに時があり、捜すに時があり失うに時があり、保つに時があり捨てるに時があり、裂くには時があり縫うには時があり、黙るに時があり語るに時があり、愛するに時があり憎むに時があり、戦うに時があり和らぐに時があり…
今そこにある危機!
昨年に震災があり。
たくさんの人命が失われました。
その日本が、今や近隣諸国と、今までは日本国民があまり知りもしなかった島で睨み合っています。
日本は中国と1972年の9月29日に日中国交正常化を結びました。
その時の中国の周恩来首相は、パンダを日本に贈りました。
記者会見の席で日本の記者に囲まれて、尖閣諸島の問題をたずねられた時に、周恩来首相は「今の私たちでは争ってばかりで、解決を見出せない、だから、未来の人々はきっと、頭が良くなって、素晴らしい解決策を見つけてくれるでしょう」と会場の緊張を和らげました。
それから、40年経って、僕らは解決策を見出せるほど、頭がよくなったと思えないような、意地の張り合いが続いています。
中国側は、海洋監視船二隻を尖閣諸島に向かわせ、そして、日本の海上保安庁は厳戒態勢に入ったようです。
まさに、一発触発の「今、そこにある危機」が平和な日常生活の裏で刻々と進んでいます。
お互いにケンカになりそうな時にインディアンは「相手の目になり、頭になって、世界を考えて見るものさ」と言いました。
中国の目になり、頭になって考えてみると、日清戦争のドサクサに紛れて、日本が領有権を奪ったと思っています。
そして、自分たちの祖父母を奴隷にし、戦争の指揮をとった軍人も祀られている靖国神社へ、国家の首相が参拝することは、戦争支配を謝罪する気など、日本人には皆無だと思っているようです。
中国外務省は「日本は侵略の歴史を直視しているのか、中国のようなアジアの国々の犠牲者の気持ちに日本の敬意は皆無だ」と批判をしています。
そこに、弱腰外交と言われ続けた日本政府が世論に煽られて、あわてて尖閣諸島を買う行動は、完全に日本国家が中国にケンカを売ったのだと、彼らは思っているようです。
ドイツの友達も、靖国神社への参拝はやっぱり問題だと、僕に言ってきました。
そのドイツ人の彼は「ガウク大統領やメルケル首相が戦死した兵士を祀っている教会とか、ハイドリヒやゲッベルス、その他の殺人者の墓を訪問したとしたら、ユダヤ人も、アメリカ社会も許さないだろうと…」
僕はドイツの友に「靖国」は墓でも、教会でもなく、日本人の心の集まるところで、人は死ぬと、良い人も、悪い人もなく、すべては、それぞれ方向は違っても、日本のために働いた人だからって考えがあって??日本人は死んだらすべては神さまになる??
それは日本の「許しの文化」で「終わったことは水に流そう」と…???
だから、終わったことを、いつまでも持ち出す韓国も、中国も、日本の心情からすると「いつまで同じことを言うのだ…」という気分になって…??…?
「だから、死生観と文化の違いで、だから、この問題は日本人にも難しく」と…彼も僕も混乱しながらのやり取りが続くことになる…f^_^;)
それほど、日本の「思い」を各国の世界の人びとに伝えるには、相当な根気と時間が必要なのです。
ましてや「戦争で支配された」と思っている人びとに、気持ちを伝えるには、相当な敬意と根気が必要なのは当然なのです。
自国の論理をシッカリと時間をかけずに説明なく通そうとすると、それは諸外国からは暴挙と見えるのです。
日本は、説明することに手を抜く傾向にあります。
パンダを日本に贈った40年前に、周恩来が来日した際に、
戦争についてどう思うか?
「戦争は国を動かしている政治の問題なのです…日本人民も中国人民も、ともに日本がやった軍国主義の被害者にすぎないのです」と答えた。
「国」と「人」とを分けた解釈です。
僕は、彼のような穏やかな答弁が好きだ…
いつも、相手の立場になって考えられる人でいたいです。
日本の終戦前夜、知覧飛行場から飛び立った軍人が、弟に書いた手紙があります。 「人それぞれに本分がある。
いたずらに軍人に憧れるのはよくない。軍人を使命とするのは、俺たち一部の者だけでよいのだ。俺たちは海へ出て戦うが、君は君の本分を良く見きわめて、しっかりと本分をつくしなさい。
そして、なにより正しく強く真実を失うことのない人間でありなさい。
偉い人間とは立身出世した人間ではないのだ。
自分の思ったこと、信じたことを正確に素直に、実行できる人間が本当に偉いのだよ。
周囲がどんなに虚偽であろうとも、決して心にないことをするものではない。
周囲に負ける男はみじめで卑怯な人間だよ…」
この手紙を残して帰らないからと、「自分のお弁当を食べて下さい」と笑って飛び立った特攻隊員も、死を前にして弟に、あの時に日本が間違った方向へ行く時に「間違っている」と言えたらと、手紙に残したかったのかもしれません。
今、日本は、どちらに操縦桿を向けるのか?
「あの時に!」にならないようにと祈ります。
2012 メンタル祭り前夜‼
もう、明日になりました。
メンタルのインディアン・ツアー(in Island)です。今日は名古屋の教室で申し込んだけど落選した仲間がいました。
貴女がですか⁈ って感じの仲間で、とっても残念です。
パソコン上のランダム抽選のなせる技です
島員のロッジは200名です。 ごめんなさい…そこに300名の応募ですから。
100名近くが落ちました…でも、落ちた人も、今回は「運」を残していたから、明日から“素晴らしくラッキー”の連続です
では、当選した人はどうなのか、もちろん!ますますラッキーが続きます
では、申し込まなかった人はどうなのか?もちろん、あなたもねd(^_^o)
では「アイランドって何?」と思っている人はどうか?
字数の関係上割愛しますm(_ _)m
一人で来る人は不安でしょうが、安心していて。きっと孤独な時間になることはないから。 そして、大人になって初めて出来る心の友に出逢えますから 優しい大地の中で、海の音を聞きながらインディアンのように、自分は自然の一部なのだと知ることができるワークでいっぱいです。
インディアンの地で学んだ、自分と地球を癒すワークです。
マザーガイアとの一体感、そして、3日間と短い期間に人の優しさを感じることができます。
仮装あり、カヌーあり、釣りあり、語らいがあり、浴衣あり、望めば水遊びあり。
今年、夏を楽しめなかった人は、アイランドで最後に、夏の名残りを楽しみましょう‼
名誉ある撤退…
連休はメンタルのアイランド・ツアーでした。
二泊三日の予定のスケジュールで土曜日に、全エリアから定員200名の仲間が参加してくれました。
一日目の夕食時に、大型台風の接近のため「今の状況では、帰る日は船が全便欠航する予定」と島を管理する村長に言われ、明日の昼までの台風の動きで最終結論がでるとのことでした。
それからは、楽しそうな仲間たちの歓声を聞きながら裏ではスタッフたちが天気図を見つめながらプログラムを削除したり前倒しにしてと大変でした。
「こんなに晴天なのに⁇」と首をかしげながら… その夜の島の上に広がる星空の美しかったこと…月がなかったので、星が胸を張ってさらに輝いていました。天の川銀河が見えました。
それぞれのロッジでの語らいは、笑いあり涙ありと…今までは知らない者どうしが、なんだか昔から知っていたように心ふれあう時…
二日目は、目隠しをしてパートナーを探すワーク。 僕らは言葉や視覚に頼ってコミュニケーションを取っています。 ふれあった手の感覚と記憶だけで200人の中から無言で一人のパートナーを探す。
相手を探し出して、お互いに無言で座る。パートナーが見つかり抱き合ったり、パートナーでない人に手を引っ張られて、確信もなく座ってしまい、パートナーとは違う人と座って落ち込む人
たかだか、ゲームなのに、人に引っ張られやすい性格があらわになったりする人。
自分たちはパートナーが見つかったからと、安心してお互いの成功談に夢中になっている人。
たくさんの仲間たちが、パートナーを一生懸命にいまだに探していることに無関心であったり。
「最初はゲームだから」と面倒になって、誰か他のパートナーを強引に引き込んであきらめて座ってしまう人。
その人も、やがて気づいていく。
自分のパートナーが、一生懸命に自分を探している姿を見て涙を流し始める。
「お願い!自分は、もうその輪の中にいないから、早く誰かを見つけて座って」
でも、その願いも、他の仲間が自分のパートナーを探すことへの妨害になる、自分勝手な考えになってしまうのです。
たしかに、パートナーが目隠しという孤独の中で、自分自身を輪の中で探し続ける姿は、他の人と座ってしまった人にとって、いたたまれなくなります。
そう、自分はもっと真剣にゲームに取り組めば良かったと…
正直、目隠しの中で、200人の中からパートナーを探すことは、孤独と淋しさとの戦いです。 まるで、人生のようです…
人は誰もがみな「夢」や「愛」。そして「大切な人」を人生の中に、手探りで探している。
もう、いないのかもしれない。もしかして運命の人は、誰かと、もうカップルになって、こっちらを見て笑っているかもしれない。
でも、あきらめて座ってしまったら、パートナーが、輪の中で孤独と戦いながら、自分自身をまだ探してくれているなら、相手は自分に永遠に出会えなくなってしまう。
静かな輪の中で、耳の近くで、パートナーと出会った仲間たちの感動して泣く声がする。
そんな感動の声を身近で聞きながら、自分のパートナーを探し続けるわけですから、時間経過と、ともに不安と孤独は深まる。
日常の人生みたいに…
その究極、不安のゲームの中でパートナーと出逢えたことの喜びは、ゲームに参加した人しか味わえない感動があります。
だから、パートナーと出会えなかった人は、これからの人生に、あきらめない、投げ出さないことを胸に誓うようになります。
また、パートナーを探している時にも気づきがあります。
パートナー以外の人の手をさわって「違う」と思うと、手を振りほどいて次に行こうとする人たち…
私たちは、人とのコミュニケーションの中でも、利益のないことには無関心であったり、身近な人ほど、話を真剣に聞いていない時があります。
でも、ゲームが中盤にさしかかると、同じ立場にある仲間の孤独に気づき、手を離す時に振り払わくなります。
一緒に探している仲間に「がんばろうね」と、ねぎらう気持ちをポンポンと合図にして、誰しもが手を離すようになるのです。 目隠ししている手ぬぐいは、涙でにじみ出す… そして、皆が何かに気づいてゆく…優しさが200人のメンバーの中にわき起こってくる。
そして、午後に島の村長からは、最終結論は「明日は船が動くか、動かないかわからない」
僕は、二泊三日を断念して、一泊二日に切り替える結論を出しました。
もちろん、明後日には船は動くことはわかっているので「三泊四日に切り替えてほしい」という要望もあり「明日、船が動くことを信じて続けましょう」と言う声も…
なによりも、出逢った素敵なメンバーと、もう一日だけ一緒に過ごしたいが一番多かった。
でも、大切な仕事に影響が出る人がいたり、誰かとの約束をはたせ無い人がいるのだけは避けたかった。 で、名誉ある撤退になりました。
でも、Facebook(僕はやっていませんが)とうで、20年近くアイランドツアーをやっていて、初めての名誉ある短縮の年に、アイランド参加できたなんて記念に残るし、最高じゃないですかと多くの受講生が言ってくれたそうです。
やっぱりステキな仲間です。
ハプンニグも「あなたとなら楽しい」なんて最高の言葉ですよね
夜のインディアン大地と空のワークや星空へのトリップ・ワークはできなかったけど、未完成は次につながるから来年が楽しみです。
来年のことを言うと、鬼が笑うと言うけれど、大笑いさせておきましょう。
ちなみに、やはり当初帰るはずの予定の日は、船は終日欠航になりました。
決断は、正解でした!
僕たちは、いつ真なる大人になれるのか…
ネイティブ・アメリカン(インディアン)のお話し。
まだ、この世界に星々が作られていた頃。
この宇宙には、たくさんのスピリット(精霊)が調和を保ちながら存在していました。
その中に、不安のスピリット(精霊)がいました。その淋しい霊は、いつも何かを疑っていました。疑いの思いから、この完璧な法則で創られた世界をも疑って見ていました。
すべてがうまくいく事など、あるはずがないと…この世界が友好的である、などと信じられず、何かきっと足りないものがあるはずだと信じていたのです。
この万物の学校は完璧です。創造主は、この世界で愛を学ばせるために、教材として、多くのスピリットを存在させました。
ですから、不安のスピリットが存在するのも、創造主の失敗ではないのです。教材なのです。人は誰もが疑うというエネルギーがあります。
不安のスピリットは、それの見本なのです。そう、人よりも多くの不安をもっていただけなのです。
不安感から妄想・疑惑というエネルギーで心の中がいっぱいになると、人は未来に対する恐怖に襲われます。嫉妬さえも、自分が完全であることを信じていないことからくる、未来の恐怖なのです。
ある日、不安のスピリットは、大蛇に化けて、インディアンの若い男性にささやきました「この世は完全ではない。悪があらゆるところに潜んでいる危険な場所なのだ」この話を大蛇から聞いた若い男は疑い始めました。
創造主は、間違いを犯したのかもしれない。でなければ、あんなことを言う不安のスピリットが創られることがないはずだから‼」
その時、若い男の中に完全に疑いが生じました。
彼は人びとに「創造主が、あんな不安のスピリットを創るという過ちを犯した。もう、信じられない。宇宙は完璧ではないのだ」と、言い始めたのです。
そして、それは恐ろしい伝染病のようにインディアン世界に広がりました。
不安のスピリットは喜びました。なぜなら、人びとに怖れられ、憎まれるようになって、やっぱり自分が伝えたことは、正しいと感じることができたのですから。
不安のスピリットがささやく「未来を疑う」ことを信じた人々によって、彼の言ったことが現実になりました。
やがて自分一人では一生使えきれない物を得て安心しようと思う気持ちが広がりました。
使えきれないほど貯め込んだり、盗んだり、ウソをついたり、殺したり、人びとは戦争を始めました。
人間はこうして隣人でさえ、互いに信じあえなくなり、愛し合うことをしなくなったので、心も身体も、病気になり始めました。
そのために聖なる人のところに、癒してもらおうと、多くの心が壊れた病人がやってきました。
聖なる人は、彼らをスエットロッジ(浄化の儀式)につれてゆき、彼らの中に入り込んだ「トゲ」を見つけ出したのです。
それは「天地万物は完璧ではない。人は隣人もすべて邪悪である。信じてはいけない」と、心の中から愛を奪ってしまう不安のスピリットからのささやきでした。
聖なる人は、言いました。
「それは知性から生まれた妄想にすぎない。しかし、人間の心の奥には、何が真実であり、誤りであるかをしっかりと知る力もある」と…
では、毒もった知性とは何か?
他の人や隣人は邪悪だと教え込まれる常識です。
真実の愛、貧しい人は不幸、勝ち組は幸せ、身勝手な国家、正義の国、許されざる民族、真実の歴史とは、背が低い、ガリガリだから、胸が大きいから、お尻が大きいから、肌の色が黄色、赤色、白色、黒色…あらゆることがらに、正解と間違いを分けること。
そして、他人は皆がワル賢く、ズルい存在なのだと。
インディアンは言います。
創造主(グレート・スピリット)は悪いものを何も創られないと。
人は生まれついて、愛し、愛され、知的で美しく、素晴らしい存在だ。
それが人間なのだ。
不信は、人の心に、いつでも忍び込みます。
子供の頃から、大人達の教育により頭に「自分の民族、国、コミュニティーのやり方が、どこよりも優れている」という考えを組み込まれていくのです。わが国は間違わないという自国中心的な考えを洗脳していくのです。
現代は、テレビや新聞、コメンテーターの言葉を通してささやかれています。
「なめられてはいけない。つけあがらせてはならない。やられるなら、やるしかない」
そのように不安のスピリットは、今も、人の心に不信感をささやいて誘っているようです。争いへの道を…
「制裁で、困るのは相手側だ」「国家・人としてのプライドを持て」という、過去の戦争前にも聞かされた甘い言葉で…
やがて、世界は不信の嵐が吹き荒れるのです…まるで伝染病のように、とても素早く。
人は、心が健康で幸せな時、安心して気分がいい時は、人や誰かを愛しています。なにより、世界の人々を信じています。
それが本当の姿です。
イヤな気分の時、何かを恐れている時には心を閉じ、怒りのスープをかき回しています。そして、分かち合うよりも、攻撃することを考えるのです。
そして、それは自分たちの未来に対する不安と恐れからくるのです。
聖なる人は言いました「愛の道を行きなさい」それが、真実の道だと。
心を喜ばせ、愛と美で心をみたしなさい。怒りで心を満たしてはいけない。誰かを攻撃したり、恐れたり、恐れられる道を行くことは、その人が「天地万物の道」を忘れてしまった印です。怒りや恐れは、愛が自分から消えてきていることを教えてくれる証明になるのです。美しさから遠ざかって行きます。
不安のスピリットも悪ではなく、人間が天地万物の法則を学ぶためにあるのだと言うこと。
やがて聖なる人の癒しにより、ふたたびインディアンの人びとは、自分や他の人が、善なる命そのものであり、自分と同じ大切な命なのだと信じるようになりました。そして、聖なる人は「自分がいたのでは彼らは、みずからの知恵で、創造主の心を学べない」とインディアンの国から旅立ちました。調和がインディアンの世界に戻ったのです。
そして、不安のスピリットも、インディアンの世界には住めなくなり、 彼の中にある不安や不信に同調する人を探して、インディアンの村からやがて逃げ出しました。
やがて武器を片手にインディアンの大地に「土地を所有すること、分けるのが当たり前だ」と言う人達の中に忍び込み、現れるまでは…
そして、聖なる人は旅立つ前に、インディアンの人びとに、聖なる教え(オリジナル・インストラクション)の予言を残して空に消えて行きました。
予言には「やがて、不安のスピリットによる疑いのささやきが、いつの日にか、世界に広がり、そのために病気、戦争、飢えが地球を襲うだろう。ただ、聖なる道を覚えている人びとは、子供たちを救い出し、地球も癒すことができる。
多くの人びとが道に迷うが、世界の破壊される前に、その教えを未来の人びとが思い出すことができるなら、きっと聖なる道に、人びとは帰り、愛で大地は癒される。
『天地万物のこの世界』は、聖なる教えを学ぶための学校であると、思い出した人びとが、やがて万物は調和した世界であり、人びとは愛と美の喜びへの道を目指すように。それは、未来の人びとの行動が決めるのだと…』
この万物の教えを指し示す予言のストーリーを、聖なる人は、岩に刻み込みました。
そこには、二人の人が描かれています。
ひとりは、聖なる道の方向に、耳を傾けて、帰って行く姿をしており、もう一人は、落ちようとする雷によって象徴される破壊の道へと、さらに歩もうとしています。そして、世界は崩壊します。
今、僕たちの世界は、疑いと、怒りと、不信感に満ちています。
人も国も互いに、信じることができたなら。
また、すべてをゆずりあって、仲良くすることを学べたなら、世界は愛を学ぶ場所として存続するのでしょう。
ホピの予言、マヤの予言、黙示録の予言、そして、我々の日常も、人として何を学ぶべきか考えないといけないと教えてくれています。
海から優しく突き出た、憩いのアイランド(島)が、愛ランドとして、仲良く、信じあえる場所になることを祈ります。
竹島も、尖閣諸島も、憎しみの象徴と戦いのノロシに、ならなければと心から願います。
アメ玉を取り合っている子供のように、大人たちが小さな島で目くじらをたてています。
僕たちは、いつになれば子供たちが憧れる、ステキな大人になれるのだろうか、人も国も…
《シアトル酋長の言葉より》
どうして、あなた達はこの大地をオレのものと、私のものと、分けることができると言うのか?
戦争の中の日常。
「太平洋戦争の開戦は、突然、朝の体操の時に『わが国は、本八日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入りました』と報告がされ、日常の普通の生活が一変し、戦争になった」と、ある先輩が話してくれました。
徐々にではなく、ある時、突然に戦争に…国民には、何の相談も説明もなく…子供には、何のことだかわからないままに…
どの戦争もそうですが、太平洋戦争も、誰しもが「自分たちは間違ってはいない」と、それぞれの正義で戦った戦争でした。
今、テレビで有名な司会者が、眉間にシワを寄せて「『遺憾だ』と日本政府は言うが、空虚に聞こえる。日本は『遺憾だ』の次に何をするんだ! 何も出来ないじゃないか!言葉ではダメだよ!」と、日本中の誰もが、この司会者のように怒り、臨戦態勢に入っていくのか…
戦争とは何か?
「今日もまた大豆ごはん。僕、大嫌いなのに」
「そんなぜいたくを言うものではありません。戦地の兵隊さんのことを想ったら。兵隊さんは泥水を飲んだり、草を食べたり苦労しているのだから。我慢して食べないと駄目でしょう」
「つまらんのう。つまらんのう」
私から叱られ、あなたは涙を浮かべてしかたなく食べましたね。
八月六日は登校日だったので箸をおくとすぐにランドセルを背負って家を出たのです。その姿があなたと、私との永久の別れになろうとは。
勝司ちゃん、あなたが生まれて二週間後に「支那事変」が始まり、そして八月六日の原爆から十日のちに終戦でした。
戦争の間に、あなたは産まれ生きていたのね。人間らしい楽しい生活も、平和も知らないままに。
あなたが、もの心ついた頃から、夜は燈火管制で暗闇の生活。食べ物は大豆ごはんやヌカのまじったおだんご。
あなたは大豆ごはんが大嫌いだった。
八月六日のその朝も、お母さんはしかたなく大豆ごはんを炊きました。
「嫌い」と言ったことで、あなたは、お母さんに叱られて、涙をいっぱい浮かべて食べましたね。そして学校へ行ったのね。ランドセルを背負って小さい背中で「行ってきます」と。
それが最後の言葉でした。
あなたはそのまま二度とお母さんのもとへは帰ってはこなかった。
あの時、なぜ叱ったのだろうと、戦争が終わっても、お母さんは心に残ってしかたがないの。あなたは、どこで死んだの。火に包まれながら「お母さん、お母さん」と泣き叫んだのではないかしら。全身に火傷をおいながら、苦しい息の下から「お母さん水を、お母さん水を」といいながら息絶えたのではないかしら。
どんな姿になってもいい、もう一度お母さんの胸へ帰ってきてちょうだい。 そうしたら、この胸にしっかり抱きしめて、そして真っ白いごはんを、お腹いっぱい食べさせてあげたいの。これがお母さんの切なる願いです。
この手記を書いた新谷 君江さんは、原爆の日に子供の勝司君を亡くされました。
家族の人を送り出す時には、どんな言いたいことがあってもぐっと心を押さえ「いってらっしゃい」と送り出してほしいと君江さんは伝えています。
「子供を叱って送り出したことは、生涯消すことができないと…」
また、長野の学校で教師をしていた人は、中国の山東省で捕虜の中国人に対して行なったことを告白しました。
4人の捕虜を新年兵として連行している時のこと。
捕虜をともない、部落に隣接した広い畑地に出ると、そこには、すでに高さ二メートルほどの四本の柱が立てられ、後ろにはそれぞれ深い穴が掘られていた。
この状況を見てとった4人の捕虜たちはハッと顔色を変え、口々に訴えた。「私たちは百姓です。八路軍ではありません。助けてください」
なかには、十五歳ほどの少年がいた。彼は私にすがりつくようにして言った。「私にはたった一人の母親しかいません。母親が私の帰りを待っています。私を家に帰してください」
彼は私に泣いて訴えた。私の良心に最後の望みを託して、必死に訴え続けたのだ。この少年の叫びに、確かに私の心は揺さぶられた。私も母一人を日本に残して中国に来たからだ。しかし、少年の願いを聞き入れるわけにはいかなかった。少年の願いを聞き入れるのは、戦時中には死を意味した。日本の軍隊では上官に歯向かうことは、天皇の命令にそむくことであり、命との引き換えでしか許されなかった。私は胸をえぐられる思いはしたものの、反射的にその願いを無視せざる得なかった。
そして「日本の軍隊機構ではしかたないのだ」と自分に言聞かせた。やがて彼らは、使役兵によって四本の柱に結わえつけられ、人間から「実的(生きた標的)」に変えられてしまった。
そして、初年兵は四列縦隊にならばされ、上官から「前方にいる者はすべて敵だ。必ず突き殺せ」との命令のもと、先頭の四人に対して、まず「出発!」の号令とともに半狂乱の新兵は短剣を構えて突進した。
恐怖でゆがんだ人間に向かって突進するのだから、向かう新年兵も目をつぶる、よろめいて倒れる者もいる。敵を前にして立ち止まってしまう者もいた。
「馬鹿野郎、敵だ、突くんだ!」という恐ろしい教官の罵声を浴びて、兵隊は我に返る。
「お国のため!」と後は、やみくもに短剣をつき出す。
「よし!」の許しが出るまで突かねばならない。そして、次の四人が出発する。事情はまったく同じ。
この地獄の刺殺訓練が終わった後、中国大陸の夏の真っ赤な夕日が、中国人の死体と、初年兵である若者の青ざめた顔を分けへだてなく照らしていた。
この日の夜、中隊は初年兵のために祝宴を開いた。先輩兵たちは「これでお前たちもやっと一人前の兵隊になれたなぁ。おめでとう!」と笑ったという…
このような異常な事態が、なにげない日常へと変わるという「戦争」
それが、戦争の持つ残忍性。
僕は人間の素晴らしさを知っている。
でも、人間が極限に追いやられた時の、狂気の心理も残念だけど知っています。
なぜなら、自分自身も環境の中では理性的な自分を保ちえないかもしれないから…
学生時代から負けず嫌い。スポーツなどは、誰よりも好戦的な、自分自身を誰よりも知っているから。
狂気が「誰かの為に・・・」にと、正当化された時の恐ろしさも知っています。
チームのため、家族のため、平和のため、祖国のため・・・そして、何よりも、スポーツと違って「戦争」にはルールがない。 興奮の中ではルールという、理性は吹き飛ばされる。
「正義」の名のもとで、戦争は始まる。その時、人の中にすむ悪魔が目を覚ます。だから、イヤなのです。人の中にある悪魔を呼び覚まさせてしまう戦争という異常な状況が・・・・
動物の中でも、人間は危険な存在なのです。ライオンには自分が生きるための殺しは存在しても、立場の違いでの殺しは見られません。
でも、人間は肌の色や宗教が違う、自国の立場のために、直接会ったこともない誰かを憎み、殺そうとするのです。
人間は、自分の正しさの前には、人を殺す、という血にぬられた歴史があるのです。
歴史教育が議論になります。
どの国側から歴史を教えるよりも、人間は立場が変わると、殺しも、美化されるものだという人間の歴史を、次の世代に僕達は教えなければならない。
人は雰囲気や状況によっては「狂気の人」になる。
歴史は、日本の側からの視点で見れば「西洋列強国からアジアを守るために大東亜共栄圏を作る」正義の戦い(聖戦)であっても、他のアジアの国から見れば軍服を着て、自国に入りこみ、思いのままに振る舞えば、これは完全に侵略に映るのです。
それが、人間の歴史だと思うのです。
立場や国が違えば歴史はこんなに違って映るのです。
それぞれの違う立場から見た歴史観を教科書に載せるべきなのです。
南京虐殺、慰安婦問題があったか、なかったか、という事実よりも、立場が違えば、人はこれだけ、それぞれに歴史の事実が、自分たちの都合で解釈してしまうという事実です。
そして、それを未来の子供たちに真剣に考えさせ教える。自分たちは間違わない存在ではなく、間違いうる存在だということを…それが、真の歴史教育だと僕は信じます。
自国の立場だけ載せる教科書は、真なる歴史教育ではないのです。
教科書に、何を載せるか、載せないかの議論は、自国優位教育の論争です。
戦争前夜の大日本帝国教育も同じ過ちを犯しました。そして、自国の正当性だけを信じて、あの戦争に突入したのです。
今、運動会の練習などで子供達のはじける歓声が聞こえる季節になりました。やはり平和な時代は素晴らしい…
国民学校で砂場に座らされた子供達に、先生がバケツを持ってやってきた。バケツには掃除の時に使う“ぞうきん”が入っていました。
その女の子はお母さんが、きれいな布で作ってくれた、雑巾が自慢でした。他の子はボロボロ。戦時中は物がないから当然といえば当然なのです。
だから、彼女の自慢の母の愛情の雑巾でした。
先生は、砂の上にバケツを置いて、自分の雑巾をそれぞれ手に持てと命じました。彼女は自慢の雑巾だからうれしく、誇らしかった。
いったい何が始まるのかと不思議に思い話し合っている子供達に先生は叫びました。「うるさい!だまって、雑巾を持て!」そして、子供達に「雑巾を丸めて胸に両手を当てて、砂場をめがけて走れ」そして「砂場に一歩飛び込んだら、体を伏せろ!」と言ったのです。
それは子供達の「自決」(自殺)の訓練でした。子供たちの未来を育てる学校教育で、自決の教育!
持たされ丸められた、雑巾は“手榴弾”を想定したものでした。「顔も頭も砂の中に埋めるようにしろ!」と先生はさらに叫びます。その子は、砂に顔を埋める埋め方が浅かったために、砂場の横で見ていた先生がかけよって来て、はだしの足で女の子の頭を二度も、三度も踏みつけました…
お母さんの作ってくれた自慢の雑巾で、子供たちに死の訓練…狂気が日常化されることが、戦争の姿なのです。
僕は心より願います。
どの国の子供達も分けへだてなく幸せになる社会を…
そして、それを語れる真の大人でありたいと…。
周囲の雰囲気で流されて、自国の安全、自国の平和が、戦争への悪魔の招待状だということを…
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真実の愛の証し…
僕の両親。
二人は愛しあい、僕と妹が生まれた。二人が愛し合った最高の瞬間に、僕と妹が授かった。
両親は別れてしまったけど、輝やいていた二人の季節は、確かにあったのだから。
その輝いた季節に僕たちの命が宿ったのが僕たちの誇り!
今、妹は大分と僕は大阪と離れて暮らしているけれど、僕たち兄妹は、この世に存在し生きている。
母は、大人になった僕に再会してから、離れてしまった娘、そう妹との再会を心の中で切望していたと思う。
僕が「会いたいかい」と訊ねると、遠慮がちに「いつか、逢えるなら、逢いたい…」と遠くの娘を思いやるように。
でも「お前にムリをさせたくはないからと…逢えるならね…いつか」と、それを僕に強要しない母でした。
育ててくれた祖母と父に遠慮して「私は会わない」と言い切った、妹の真っ直ぐさ…その気づかいさ。
あなた達、母娘は似ている。それを知っているのは僕だけでした。
僕の何気ない会話に登場する、妹の近況を聞くたびに、嬉しそうに耳を傾ける母。
僕からプレゼントした成人式の妹の写真。あなたの宝物…
でも、過ぎ去った年月、離れて暮らした申し訳なさから、僕に会うたびに「博子は、元気にしているかい?」とだけ遠慮しがちに確認したら、僕から彼女の話題が出ることを静かに待っていたのでしょ、あなたは…。
それが、僕には分かっているから、妹のことが伝わる話題を、僕は何気なく会話の中に織り込ませた、とっても、さり気なく。
僕が妹の話を始めると、まるで葉っぱから、しずくが落ちるのを待ちわびてたかのように、イメージの中で妹の姿を追っかけようとする母。
今でも、忘れられない、あなたの顔があります。
僕が「母さんと博子は、とても似ているよ」と何気なく言った時…母の優しい微笑みと、幸せそうな顔は今でも鮮明に覚えています。
あの瞬間に、あなたは離れてはいても、自分の分身が、この世界のどこかに生きていることの幸せを噛みしめたのでしょうね。
妹をこの世に誕生させた誇りと強さを感じられる優しい微笑みでした。
あなたの末期のガンがいよいよとなった時、僕は妹に頼みました。「母さんに会ってくれないか」と…
僕は「お前が、いつか子供を持ち、その子が病気になって、母親に自分の幼い時のことを聞いておけばよかったと後悔しないか? お前がどんな赤ちゃんだったのか? お前がいつ水疱瘡になったのか?ハシカをしたのか?お前をお腹に授かった時に、どんな気持ちだったのか? それから、それから…」
最後には妹は「会う」と言ってくれました。
それを、あわてて病床のあなたに伝えた時、あなたは、泣きましたね。
「ありがとう、ありがとう…」消え入りそうな声で、次に母から出てきた言葉に、僕は耳を疑いました。
「のぶゆき、ありがとう。でも、その博子の言葉で充分ありがたい…でも、逢うことはできない」
「どうして…」と訊ねる僕に。
「苦しいほど博子に逢いたいよ…あの子に…。 のぶゆき、私に未来があるならどんなことをしても、あの娘に逢いたいの。でも、博子に再会してもね、私は死ぬの」
「すぐに会えなくなるの…そしたら、博子をまた悲しませ、逢ったことであの子の周囲に気をつかわせて、あの子を苦しめるだけなの…」
そして、大粒の涙を流して、あなたは号泣しましたね。
強かったあなたが…。
僕の息子が小児ガンが完治した時に発見された、あなたのガンでした。
「孫を救ってもらったから、母さんが同じガンになって、あの世に、孫のガンを持っていけるだけでも満足だから…」と、言ったあなたが、はじめて「生きていたい!」と思った瞬間だったのでしょう。
自分の「ただ逢いたいの!」と思うエゴから抜けた、真の愛を、僕はあなたから教わりました。
自分が「逢いたい‼」と自己の欲求からの再会の希求なら、あなたは、きっと逢ったのでしょう。
でも、あなたは「逢いたい」気持ちを封印して、会わない、逢えない、とあの瞬間に娘の生活を思いやった。
騒がしい親子愛が氾濫する中で、僕は相手を静かに思いやる愛を、あなたから学びました。
その後、彼女は結婚して幸せな日々を暮らしています。あなたの優しい思いに照らされながら。
僕だけが知っている。母と娘は、とても似ている…
僕と妹を育ててくれた祖母の三回忌に、お父さんが、あなたの墓に見舞ってくれました。
「あいつにツライ思いをさせた」と言う父の横で、僕には、あなたの声が聞こえて来ました。
「とんでもない。あなたは二人を見捨てずに育ててくれました…」と、あの僕の自慢の微笑みで…
天から見てましたか、お母さん。
父さんが、あなたの実家まで運転してくれたのですよ。
あの、あなた達の愛し合った季節に、二人の愛を確かめるために、あなたへの逢いたさに通い慣れた、あの道を…
美しい季節は、誰にもある。
時がいくら過ぎ去っても…
トゲを抱えて生きる。
ついに身体が反乱をしました。
日頃のハードさと、筋トレのわりにはストレッチなどのスローダウンが足らなかったことが災いして、腰くんが反抗期に入りました。
もちろん、腰くんの気持ちはよく分かる、博多→大阪→名古屋→東京と毎週重いキャリーバックを引きながら移動と、長時間にわたる講座。
ヒプノセラピーなどでは、催眠誘導で暗示によりカチカチになった人を抱えたり、支えたり……
また、自宅でもホテルでも、眠たくとも自分にかせた日課になっているストイックなまでのハードな筋トレ。
やはり腰は月(つき)辺に要(かなめ)と書くように。人体の重要な、かなめなのです。
いつも、当たり前すぎて気づかない大切な存在を、太陽に対して(月)と表現されます。そうなのです、腰はとても意識しないけれども大切な存在(月)の要(かなめ)だったのです。静かに僕を支える…
でも、この痛みのトゲは時として、人の優しさを僕に教えてくれたり、自分の限界を学ぶ機会になります。
ひすいこたろう流に言えば「ピンチ ピンチ、チャンス チャンス、ランランラン」なのです。
今回は、二日も僕の担当をピンチヒッターで、メンタルの講師仲間が支えてくれました。
「持つべき存在は、仲間だ!」と再認識しました。
講師仲間たちは「日頃担当しないクラスを担当して勉強&気づき、になりました」と講座に穴をあけて落ち込んでいる僕に、ホローと、ねぎらいから、そのように伝えてくれました。
涙、涙です。
聖者パウロは,自分の肉体からトゲを取り除いてくださるよう三度も神に願ったそうです。
パウロの懇願に対して、神は「わたしの愛は十分にあなたに働いている、神の愛は弱さの中にこそ、まっとうされる」と…
それは「そうなのかも知れない」と以前から思っていた。
悲しみを知っている人は、悲しみを抱えた人を「弱さだ、意識が低いのだ」と単純にかたずけて責めない。
自分の痛みを知っている人は、他人の痛みにも、寛大な心で接する。
影を持っている人は、どこまでも謙虚に他者に対して振舞える。
老いの心理学のピアジェは「理想的な老いは、カラダの痛みや、体力の衰えに対してのみに心を奪われないで、その老いのプロセスの中で、自分が「今」できる最大限の努力を忘れない集団だと語った。
一方で「痛み」や「思うようにならない身体」のみに、心奪われて、ため息と不平不満の毎日を過ごす老いの集団もいます。
人は余裕がなくなると、その人の本来の姿が明るみに出ます。なぜなら、痛みがあると、何もかも憂うつになるし、モノを取るにしても、痛みから慎重さがなくなり、強引に引っ張り過ぎて雪崩のように目的のモノ以外のモノ集団が落ちてくることがあります。
ですから、痛みを持ちながら生きるのは、それだけでも普通の人よりもガンバっている時期なのです。
失恋の時も、鳴かず飛ばずの冴えない日々も…
僕は強く思う「生きているだけで強い」のです。
痛み(トゲ)と共に生きることは、その人を強めるのだと思った。
静かに痛みをともなっていた、この数ヶ月は、それを感じさせないように笑顔で過ごすことを心がけました。
でも、歩けなくなるほどの今回の痛みになると、これは身体くんからの完全な警告、強制終了です。
講座に穴を空けた二日間は、色んなことを学びました。
でも、カウンセリングの現場では、仲間が待っています。そして、まだ出会うべき人たちがいます。
休んでいるわけにはいかないのです。
そうなのです。
僕には痛みをおしてでも、やりたい仕事、そう心理カウンセラーと言う役割をいただいているのです。
そうなのですやりたく無い仕事に就いても、ガンバっている人びとが、この世界にはたくさんいます。そのような努力の人のほうが多いでしょう。
だから、感謝です。
僕は子供の時から憧れていた心理カウンセラーの仕事を「今」しているのです
神の愛は、僕には充分すぎるプレゼントでした。
僕はこれからも、いろんなトゲを持ちながら、生きることの訓練が必要なようです。「神の愛は弱さの中でのみ引き出される」のかもしれないと「今」強く感じています。
寒さの中でこそ、人の暖かさに出会うように…
《追記:丸山先生に話したこと》
「ず~っと痛みが何週間にわたって取れないのは、女性の生理みたい」
僕は思ったんだ「生理の時にはイライラするのは、生理の生理的作用ではなく、痛みのせいで、その人の本来の、こころの地金が出てくるだけなのかもしれない」「強引にモノを引っ張たり」「思うようにならない苛立ちを、誰かにぶっけたり」「痛みから過剰にワガママになったり」と…
人間は、痛む時、悲しみの時には、余裕が無くなる。その状況下で出て来るのが「本来の姿」かもしれません。
結論は「生理の時にはワタシ、イライラするの」と言う女性には気をつけろ‼
丸山弥生 先生は静かに、とっても静かに、その僕の発見を聞いてくれました。あの静けさは、僕に対する優しさなのか、何なのだろう???
カチンときた女性の読者諸君ゴメンなさい。はははは(笑)で(ゴマかす)腰の痛みからの撹乱。それゆえのたわ言ですから…
でも、僕の苦しい時にサポートしてくれるメンタルの女性たちは、誰もが「優しかった」です。もちろん、男性も当然に…
今日は東京に絶対に向かいます。
弱い時にこそ、僕が「どう振る舞えるか」を、自分自身で確認するために